2−5:小説を読むのが好き。

 小説を読むときに主人公に感情移入する人は多いでしょう。のめりこんでいる人なら読んでいる間は主人公とほとんど同一化しているかもしれません。主人公以外にも魅力的なサブキャラクターや、強大なライバル、悪役に共感している人もいるかとおもいます。しかしいくら感情移入するといっても小説のキャラクターでは自分が望むように動いてくれるとは限りません。PBMではこれがかなりの程度までできるのです。

 PBMでは、ほとんどの場合結果は小説形式で返ってきます。そしてそれに登場するキャラクターの一人(場合によっては複数)が自分が作ったキャラクターになるのです。参加者は運営団体にルールに従って作成したキャラクターを登録し、送られてきた情報をもとにキャラクターの取るであろう行動を申告。運営側はそれに基づいてキャラクターの行動を決定し、結果を執筆して再度送り返す、というのを繰り返すわけです。

 単なる小説と違うのは、明確な主役がいない事、あるいは主役が複数である事でしょう。登場するキャラクターは一人だけではなく、他の人が作ったキャラクターも同じシナリオに登場しているのです。このような状態ではよほどいい行動を取らないと主役級にはなかなかなれません。参加者作成で無いキャラクターを運営側が設定して主役にするという手段もありますが、それは参加者には好まれない手段です。

 基本的な世界観は運営側によって設定されていますし、参加者側にも無限の自由が与えられているわけではありません。例えばファンタジー世界にただ一人迷い込んだ現代世界人をやろうと思ってもほとんど無理でしょう。仮に「ファンタジー世界に迷い込んだ現代人」が認められるゲームであっても「ただ一人」の特別扱いはあり得ません(たまたまそういう設定が一人だけということが無いとはいい切れませんが)。行動においても世界観からかけ離れたものは出来ない事もあります。中世風封建社会の設定でいきなり現代的民主主義を唱えたら変人扱いされるだけということも充分あり得るのです。

 また、基本的なシナリオはあるとはいっても展開は参加者が動かすキャラクターによって左右されます。運営側が提示したシナリオで傍流と想定されていたストーリーに多数のキャラクターが興味を持って参加したならば、それが本流となる可能性も持っています。もっと単純に、敵が攻めこんできているのに戦闘するというキャラクターが少なくて他の事をしているものが多かった場合には、戦力では互角のはずなのにあっさり敗北するという事もあるでしょう。

 ストーリーの流れだけでなく、個人のキャラクターの行動も思い通りになるとは限りません。前にも書いたように一つのシナリオには複数のキャラクターが振り分けられているので、互いの行動が干渉する場合はどちらかが失敗したり摺り合わせが行われたりするわけです。漁夫の利をさらわれる場合もあるでしょう。そういう意味ではPBMでも不自由はあるのですが、相手も参加者であるかもしれないという点は大きな違いです。

 そして他のキャラクターも参加者が動かしているという事は打ち合わせての協力行動も可能になるという事です。同じシナリオの参加者は結果と共に送られる名簿に載っているか、運営側を通して連絡する事が可能であり、その他にも同時進行シナリオの総合的な情報を載せる冊子で情報交換の呼びかけも行われています。一人では無理な行動でも集団でならなんとかなるかもしれません。情報交換などを目的とした参加者の集まりも開かれています。


「知らない人のためのPBM解説」に戻る 雑草記案内ページに戻る