日記帳は猫のページにあるので、ここは雑記帳ということにしておいて下さい。(笑)

滅多に更新はないと思います…。m(__)m

 

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12月27日の出来事(名古屋にて)★(歌人さん「さわわさわわ」より)

所長のご冥福を祈って★(朱宮さん「神無月〜かんなづき〜」より)

 

「12月の空に」(池田貴族さんの葬儀の模様です)

 

 

「孤独のうた―言葉を失う夜に―」(中村茂樹「孤独の肖像」より)

 

今日も電話が鳴らない

文章を連ねるだけで過ぎ去ってゆく日々

一日部屋にいただけで

ずっと穴蔵に閉じ籠もっていた気がする

 

友達に電話をかけてみる

無機質な女性の声 テープの音

僕のお掛けになった電話番号は

現在使われていないらしい

 

また 一人友達がいなくなった

 

みんなに借金してたあいつ

もし借金を踏み倒すために

黙って実家に帰ったのであれば

一人ぼっちで帰る寂しさはどんなものか

荷造りするとき

トラックを呼ぶとき

何もない部屋で眠る最後の夜

故郷への電車に乗るとき

ずっとその寂しさが

つきまとったのではないのか

借金なんて どうでもいいのに

 

電気を消して寝た

どうしたんだ

今夜はほのかに明るい

窓から見上げた空に月

 

毎日毎日 売れない小説を書いていた

僕は自分で本を作り

裏表紙に住所と電話番号を載せ

あちこちに配っていた

ある日

いのちの電話の番号がわからずに

僕のところにダイヤルした人がいた

その夜 何時間話しただろう

僕は

今日まで逃げなくてよかったと思い

それから時間という時間を

そんな人への言葉を連ねようと決めた

いのちの電話にすら

見捨てられた人たちのために

 

何もない夜

突然の電話

知らない女性の声

ごめんなさい

いきなり謝ってくる

眠れないだけじゃなくて

震えも止まらないの

怖い

はじめて電話しました

ごめんなさい

 

彼女は

いのちの電話にかけようとした

でも番号がわからなかった

どうしようもなくなって

目に入った本の電話番号に夢中でかけた

それが僕だった

彼女は何も話さない

何を聞いても返事がない

お互いの吐息が電話線を走る

僕のあせりが汗になって額を走る

何を言っていいのかわからない

僕には言葉なんてなかった

だからとっさに

本棚から一冊の本を取り出し読み上げた

今度はね

哀しかったりした人がいたとき

私はこうだったよって話してあげられるよ

この本を続けて読んだ

印を付けていた行をもっともらしく読み上げた

なんとか時間が過ぎていく

 

もう深夜だね

もう寝たほうがいいよ

眠れるうちに眠っておこう

明日はまた 踏んだり蹴ったりされて

悔し泣きしなくちゃならないんだろ

いま僕の部屋からは月が見えるんだ

君の部屋はどうだい

 

彼女からの電話

あたしのこと覚えてる?

もちろん

覚えてる

忘れるわけない

ずっと待ってたんだ

 

彼女は自分の悩みを語った

とにかく一日を終わらせることで精一杯なの

カミソリの上で生活してるみたい

ひたすら落ちてくの

 

僕はまた本棚から取り出した本を開く

感情には表面張力があるんだ

それを崩すのは

たった一言の言葉かもしれない

だからまず人の話を聞くんだ

そうだろ そうだったろ

人を恨んでる間は

立ち直れないんだって

 

苦しみの中でしか生きることができない彼女に

投げ掛ける言葉はなかった

だから僕は本を手にとり

いま考えたようにしゃべる

まるで彼女だけへのメッセージのように

この試みが 失敗か成功かわからない

いつも本を開き 自分の言葉のようにしゃべる

名前すら知らない彼女に

何も話そうとしない彼女に

僕ができるのは本を読むだけ

 

君が悩み考えてることは

ぜんぜん恥ずかしいものじゃない

だって君は

人の不幸と自分を比べようとしないじゃないか

なかなかできることじゃないよ

必ずいつか君に照り返して

力になるものだよ

また二人で泣いたり笑ったりしよう

しばらくして

うん

と透き通った返事

はじめて本当の声が聞けた気がした

電話の向こうは きっと精一杯の笑顔だ

 

一冊の本がボロボロになり

何度目の電話だったろう

彼女は明るくなっていた

僕はやっと本当のことを告げた

ごめん

いままで僕がしゃべったことは

みんなこの本に書いてある

ウソついたようなもんだよね

ごめんね

 

なのに彼女はいつもの小さな声で

ううん

おまじないみたいだったよ

いままでありがと

たとえウソだったとしてもいいの

どんなウソだって

100パーセントのウソはないって

あなたが言った

いままで私もつらかったけど

話を聞いてるあなたもつらかったよね

いいや そんなことないんだ

力を与えられた気がした

僕はどこかに

君と分け合うだけの力が

残っている気がした

もう絶対にがんばれなんて君に言わない

僕に言われなくても

君は全力だったんだ

暗くて寂しそうだったけど

いつだって君は

全力だったんだ

 

僕たちはそれから

初めての夜のように何時間も話した

無邪気に笑いながら

ずっと受話器を握って

楽しかった

ずっと笑ってた

楽しかった

楽しかったよ

 

あれから彼女の電話はない

秘密を秘密とすることで

僕と話ができたのだろうし

何もない夜

一冊の本がボロボロになり

今日も電話が鳴らない

 

 

これはフリーライターの中村茂樹さんが7人の孤独な人にインタビューし

一冊にまとめ上げた本から抜粋したものです。

 

(2000年1月20日 記)

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「12月の空に」

 

1999年12月25日午前3時35分、池田貴族さんが亡くなった。

36歳だった。

HPで訃報を知ったが、初めは悪質なイタズラだと思った。

が、

正直に言えば、「やっぱり」という気持ちがあったのも事実だ。

事の真偽を確かめるため、TVのニュースにチャンネルをあわせたり、

ネット上をうろうろし情報を求めた。

TVでは何も得られなかったが、新聞社などのHPではすばやく反応していた。

告別式の会場について誤報が流されていた。

住所と寺の名称が違っていたのだ。

住所で検索をかけると表示されるのは日泰寺。

しかし、報道では大乗寺(これも「大乗殿」とHPでは表記されていた)となっている。

いずれにしろ、その住所をたよりに行けばなんとかなるだろうと、

歌人、KIA、朱宮、私の4人はチャットやメール、携帯で念入りに打ち合わせ、

新幹線名古屋駅で落ち合った。

(朱宮は25〜26日は休暇のため不在だったので訃報を知らせるのがためらわれたが、

26日の午後、我慢できずに連絡してしまった。)

かなめは直接現地へ行くとの事であったが、

彼女と落ち合わなかったことが後に重要な意味を持つことになる。

日泰寺についた。

表参道から山門まで人通りが少なく嫌な予感を全員が持っていたが、

とりあえず時間には余裕があったため門をくぐった。

人がいない…。

日泰寺は広いため、遠いところから入ってしまった可能性もあるので

寺務所で詳しい場所を尋ねてみることにした。

「……大乗寺は星ヶ丘ですよ……。」

やはり、間違えていたのだ。

私達がいるのは覚王山で、星ヶ丘はもっと名古屋の中心から離れた所にある。

おそらくこの時、自分ひとりだったら慌てふためいたかもしれない。

しかし仲間がいる安心感で、笑い飛ばすだけの余裕があった。

タクシーを捜した。

1台目は迎車のため素通り。

2台目に乗れたが中型なので少し窮屈だった。もっとも私は助手席だったが。

運転手に大乗寺の住所のことを聞くと、同じ町名だが字が違うらしい。

……そしてラジオからニュースが。

「……だった池田貴族さんの告別式が今日、1時より……。」

MiYOU』が流れてきた。

その時おそらく全員が、「間違えるべくして間違えたのだ。」と思っただろう。

かなめと待ち合わせていたなら…。

場所を間違えなかったら…。

1台目のタクシーが迎車ではなかったら…。

4人はこのタクシーに乗らなければならなかったのだ。

というより、見えない何かに私達は操られていたのだ。

告別式の時間少し前に、私達のタクシーは大乗寺にすべりこんだ。

短い坂をのぼるとすぐに本殿らしき建物が見えてきた。

供花がずうっと坂の上から続いている。

札の名前を見ていたら、ああ、所長は「業界」のひとだったんだと再認識させられた。

研究所の所員有志からも花が出ていると聞いたので捜したがみつからない。

見つけたのは随分あとになってからだった。

考えてみればそれもそのはず、

目立つところは「業界」関係が占めていたからだ。

所員の花は日陰ではあったけれど、

しっかりと所長の眠る方角を見つめていた。

いつのまにか受け付けが始まっていたようだ。

朱宮と私は記帳を終えた。

しかし、歌人は…。

信じられないことに香典袋を忘れたのだ。

前日に金額まで決めていたのに。

そしてKIAは…。

内袋にだけ記名した表書きのない香典を持ってきたのだ。

またしても、なんという偶然!

結局連名で香典を出し、事無きを得たのだった。

二人が記帳し終わった頃、ひとりの運転手風の男性が私のもとに近寄ってきた。

「あの…このチケット、期限過ぎてます…」

寒くなってきたのでひだまりに移動した。

ここからだと、ちょうど遺影の正面になる。

かなめはまだ見つからない。

どうしたのだろう、遅れているのか…。

読経のなか、焼香がはじまった。

正面にいたおかげで一般参列としては早くに順番がまわってきた。

コートを脱ぎ、手荷物を置いて焼香に向かう。

見慣れた白いベストの所長が眼にとびこんできた。

少しでいいから時間が欲しかったが、

うしろに並んでいるひとのことを考えるとそうもできないだろう。

思い出せる限りの所員の名前を挙げ、

最後に自分の名前をこころの中でさけんだ。

ほかの3人もたぶん同じことをしているのだろう。

私達はまたもとの場所にもどり、焼香をぼんやりと見ていた。

ぼんやり、というのは違うのかもしれない。

それぞれになんらかの感慨があり、

いろんな感情がめまぐるしく揺れ動いていたと思う。

かなめがいた!

唯一顔を知っている歌人が見つけたのだ。

かなめはなんと2時間前に到着したらしい。

いよいよ出棺の時がきた。

斎場まで見送ることのできない者にとって、もっとも悲しい時間帯だ。

矢作北中の生徒が横断幕を通路にそってひろげる。

あきらめない勇気をありがとう

棺が通り過ぎる…。

泣き声。

叫び声。

すすり泣き。

それまでゆっくりと過ぎていた時間が堰を切ったようにあふれだした。

しかし、ご遺族と親友の方々はしっかりと階段を降り、

時折笑顔さえ見せて気丈にふるまわれていた。

それがその場の雰囲気を救ったのだろう、

その後は混乱もなく、夫人の挨拶も終わり、

棺は霊柩車へ…。

「千種高校ラグビー部、残り10分で勝ってます!」

所長が気にしていた全国大会の報告だった。

クラクションを鳴らし、冷え込んできた12月の空気の中に

私達を残して、するすると霊柩車は動き出した。

これでまた、おきざりにされた私達は所長の背中を追わなければならなくなった。

昼食をとっていなかったので近くのイタリア料理の店に入った。

かなめは早くから着いていたため食事は済ませていたが、

お茶だけでみんなに付き合ってくれた。

所長の事、

パソコンの事、

そして心霊の事。

普段ならとても人前では話せない類の話を、

葬式帰りだというのに2時間半ほど大笑いしながら過ごした。

そして二次会へ…。

KIAが地下鉄の駅に着いてから忘れ物に気づき、

レストランまで戻った。

「まだ何かハプニングがあるかもしれないね。」

そして……やはり、あった。

地下鉄の昇降口を間違えたため1本乗り遅れたのだが、

その同じ電車の同じ車両に

元remoteの愛川さんが乗っていたのだった。

歌人が葬儀のあいだ探していたという、その人が。

行ったのは居酒屋風スナックで姉弟で経営している。

商売柄、情報量は豊富で

以前、名古屋の心霊スポットなども教えてもらったことがある。

カクテルひとり

ブランデーふたり

ウーロン茶ふたり。

この夜が終わることなく続くような錯覚さえした楽しいひとときだった。

だが、歌人の帰りの時間もあるため9時すぎに解散となった。

朱宮とは店を出たところで別れ、

かなめとは地下鉄で別れた。

KIAとふたりで新幹線の改札まで歌人を送り、

KIAは北へ

私は東へ。

それぞれ別の方向の電車に乗ったのだった。

「今日が終わったな。」と思いつつ乗り換え駅で降り、

乗りなれた電車の座席に腰を降ろした。

やがて電車はホームを離れて暗闇の中へ。

だが、何か違う。

暗くてはっきりとは見えないが、景色が違うのだ。

車内アナウンスで乗り間違いがはっきりした。

掲示板でちゃんとプラットホームを確認したのに…。

多分、表示の変更が遅れたのだろう。

仕方がないので最寄の駅で降り戻りの電車を待った。

10時半すぎに帰宅。

ネット上でみんなと再会した。

一番遠隔からだった歌人も深夜にはネットに戻って来た。

しかし、やはりまともには一日が終わらなかったようだ。

帰りの新幹線の中で決定的なハプニングが……。

この出来事については、歌人さんのHPでご確認ください。

他の3人も黙っているだけで、ひょっとして何かあったかもしれません……。

 

 (2000年1月9日 記)

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