年配の方達の中には子供の頃に「若林の良寛さま」事、清水玄道師(1887~1953)に教えを受けた人もいる。法名は、童心院釈玄道で頌徳碑に刻まれている。
玄道師は明治20(1887)年知立町の成瀬清助氏の二男として生まれ、若林の清水幸四郎の養子となり10歳から浄照寺渡辺徹師の厳しい指導を受け、得度して玄道を名乗った。玄道師は僧の身でありながら、人に説法したり経文を口頭で伝えることはせず、寸暇を惜しんで習得した剣道で、村の青年を集めて修行の実践活動に努めた。
また、大正7(1918)年には旧郷倉を借用して、真宗大谷派日曜学校を自費で創設し、子供たちに習字・童話・唱歌・奉仕活動等を指導した。昭和5(1930)年には農家の気持ちをいち早く察し若林集会場で浄照寺・円楽寺の助カを得て季節託児所を開設、晩年まで農繁期の幼児の保育を継続した。
地元だけでなく昭和4(1929)年から同15年にわたっては、県下各地の小学校・日曜学校を童話行脚もした。昭和15(1940)年皇后陛下より下賜金を杯受したのは、このような社会奉仕事業の功績の結果であった。昭和26年玄道師の徳をたたえて村民は、若林八幡宮境内に頌徳碑を建立し後世に残した。
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