幕府が天明の大飢饉後全国に造らせた穀物備蓄用の郷倉(倉庫)が、記録によると明治31年頃まで若林にもあった。貯蔵した穀物は米・麦のほか雑穀(ひえ、きび)などであった。江戸時代は、年貢米を一度郷倉に保管し津出(つだし)する場所としても使われていたようだ。
若林の場合、建物は瓦葺で25坪、場所は上ノ山にあったという。
ほとんどの郷倉は、明治10年前後に取り壊わされたが、知立市の谷田神明社境内には移築の際一部修復されてはいるが残っているとサイトには書かれている。
昔の人達は、自然災害(異常気象・干ばつ・洪水など)による農作物への被害は避けられないという考えで食糧危機をできるだけ避けようとした。その苦労と努力が、郷倉や雨乞神事に見てとれる。
寛政元年(1789) 郷倉創建
明治9年(1876) 若林学校新設使用(寺子屋閉鎖円楽寺)
若林集会場、農作物集荷場として使用
明治31年(1898) 郷倉移設(公会堂)
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