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高美桜並木(30/3/2003) |
春には樹齢30年以上の桜が見事に満開となり散歩する人達を楽しませてくれます。ふれあいまつりでは、大正琴演奏・民踊・アコーディオン生伴奏などが行われ桜と同様に高美町の名物となっています。最近は自治会館横のふれあい広場で開催されています。 |
逢妻川の名前の起源は、平安時代、在原業平が娘(かきつばた姫という)と恋をし、二人は別々に都落ちした。幸い、八橋の川のほとりで逢うことができたが恋は実らなかった。この時から、逢妻川と呼ぶようになったと言われる。・・・逢妻史跡研究会発行「逢妻の史跡」より抜粋
江戸時代末期と言われる若林古絵図(右図は下が北)には、中央下から右上に伸びているところに逢妻川とハッキリ読み取れる。逢妻男川と呼ばれるようになったのは、これ以降か?(古図は「狸山百年誌」より抜粋)
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大昔、2つの入江が高岡付近まであったという。1つは駒場、知立の間から八橋、花園吉原、北中根の間を通って若林方面に及ぶものと、もう1つは駒場、中田の間から本田、本地、堤から西加茂郡に入るものとがあった。これが後世になって海水が逐次南下して入江の中心がいつか河川となって逢妻男川、女川となり今日の様相となった。駒場(小浜と言った)の極楽寺では、豊田で唯一貝塚が見つかっている。・・・「ふる里若林」第85号より抜粋
昔は水運利用もあったと充分考えられるほどの川であった。
逢妻川は若林まで太く延びている(碧海郡古図)
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自然環境との共生の一環として通学路におけるタンポポロードづくりが、まちづくり実行委員会で進められています。 (4/2000)
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こどもからお年寄りまで大切な憩いとふれ合いの場となっている。(4/2017)
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田園風景
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コスモス畑とまではいかないが、秋の空にコスモスの花が似合う。(10/1999)
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西には田園風景が見られ、レンゲソウが咲き乱れとてもきれいです。最近は補助も出なくなったため作る人は減りました。レンゲソウは、植物の成長を促す窒素を空気中から取り込み根っこにためる性質を持つ。田植え前に土にすき込み化学肥料を使わずに米作りをするのがレンゲ農法というそうだ。
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