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境内・建物

祭典・神事

大草神楽

大幟幡

案内

 

大草神社の祭神、由緒について

 杉大明神(すぎだいみょうじん)一座は、人皇四十八代称徳天皇の御守神護景雲二年(768)大和国三輪山から大已貴命(おおなむちのかみを勧請奉祀し創まる。三輪山は神体山で、杉の木が繁っていたので氏子は不浄の場所は杉材を用いないと伝える。 

 寛治三年(1089)本殿再建し、素盞嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめ)を尾張国津島神社から勧請する。 

 文亀元年(1501)大草城主松平善四郎親利鎮守の神として山城国伏見稲荷大社から倉稲魂命(うかのみたまのみことを勧請し、大永元年(1521)同人三輪山から大已貴命を再び勧請する。杉大明神と称し武運長久を祈願し、永禄六年(1563)地頭酒井与四郎、代官山下喜左衛門の信願により本殿再建し、天正二年(1574)領主松平五兵衛、代官岩瀬左兵衛の信願により奥宮を建立し、素盞嗚命、稲田姫命を遷座し、牛頭天王(ごずてんのうと称す。

 明治元年杉大明神牛頭天王を改め大草神社とし、同五年村社に列せられ、同四十年神饌幣帛料供進の神社に指定される。同四十二年大草地内諸社を合祀し、大正十四年境内の模様替を行い前宮と奥宮を合併する。前宮の社殿を神楽殿とし、奥宮を地上げし、神門幄舎籠屋を新築、幟竿小屋を移転改築する。

 昭和二十一年三月宗教法人十二級社となる。同年二十八年社務所を改築し、同二十九年羽根秋葉社を境内に遷座し、同五十四年八級社に昇級する。同五十五年昇級記念に幣殿屋根の修復し、幟竿小屋の改築等を行う。

 因みに 当社の創祀は山奥の御門が滝と共に、大宝二年(702)持統天皇の三河国巡幸に由緒ありと伝える。