野場西城
のばにしじょう

■所在地:幸田町大字野場字城 ■立地:台地端 ■別称:■築城年:
■築城者:
大須賀氏 ■遺構等:土塁、碑、看板

城址碑と説明看板 城址碑
道路に面した土塁の断面 土塁の外側は3メートルほどの高低差がある

■歴史
 大須賀胤重は三河へ来て吉良氏へ仕えた。野場城で生まれた胤高は徳川家康に仕え、1574年に横須賀で2万石を賜った。
 1563年の三河一向一揆の時に夏目吉信らがこの城に入ったが、松平伊忠に攻められ落城し、廃城となった。
家康は吉信の武勇を惜しんで命を助け、恩を感じた吉信は三方原の戦いで敗れた家康の身代わりとなって討ち死にしたという。

●現状(2002年5月)

 城域は円形をしていたことがわかっているが、そのとおりに土塁が弧を描くように10メートル以上残っている。西側の土塁以外は完全に削られているが、そこの民家の周囲の道路は城の周囲に沿って円を描いている。。土塁が道路で削られた断面のところに城址の碑と説明看板がある。土塁は、城址の外側から見ると高さが3メートル以上はあり、なかなかの規模を感じさせる。


◆場所

 城址は西尾市にあるデンソーのすぐ東南にあり、現在は宅地となっている。幸田町役場を起点とすると、役場から西へ向かって東海道新幹線の線路をくぐってすぐに「大迫」交差点があり、右折する。1.5キロほど進むと「野場西」交差点があるので右折する。250メートルほど進むと小さな川があり、橋を渡ってすぐ左手の民家のあたりが城址である。