名古屋城の北1キロメートルほどのところにある志賀公園が城址である。遺構は全く残っていないがグラウンドの北に城址碑が立っている。
平手政秀が信長を諫めるために自害した話は、織田信長にまつわるエピソードとして必ず登場するが、そんな有名な出来事の舞台がここかと思うと感慨深いものがある。信長の奇行は尾張の覇権を争う同族を油断させるためや、尾張統一まで周囲の戦国大名の警戒を解くための演技であったことはご存知のとおりで、政秀の諫死が効いて態度を改めたというわけではないが、政秀の死に報いるためにも立派な天下人になろうという気持ちはあったに違いない。
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