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■歴史 | ||||||||
朝倉氏はもと兵庫県の豪族で、室町時代のはじめに福井県に入ってきた。その後一乗谷に本拠地を移して勢力を拡大し、応仁の乱(1467〜77年)の時、朝倉孝景・氏景親子は主家である斯波氏をたおし実権を握った。 3代貞景の時に侵攻してきた30万の加賀一向一揆を撃退し、また一族との覇権争いを制して越前支配を安定させた。4代孝景の時に最盛期となり、城下の人口も1万人を超えたという。5代義景の時に織田信長と対立し、1573年に滅亡した。一乗谷は信長の軍勢によって火をかけられて灰となった。 |
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●現状(1999年5月) | ||||||||
一乗谷城とあるが、実際には朝倉氏の居館跡や武家屋敷跡で、城は居館跡背後の山にある山城である。居館は背後を山、三方を土塁で囲まれ、秀吉が朝倉義景を弔うために寄進したといわれる唐門がある。門は居館跡に建てられた寺院のためのものである。居館跡は礎石で建物の配置がわかるようになっていて、庭園も発掘されている。 |
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◆場所 | ||||||||
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