一乗谷城
いちじょうだにじょう

■所在地:福井県福井市城戸ノ内町 ■立地:山頂、山麓 ■別称: ■築城年:1471年頃
■築城者:
朝倉氏 ■遺構等:曲輪、土塁、堀、屋敷跡、武家屋敷跡、復元武家屋敷

秀吉が寄進したといわれる居館の唐門 朝倉氏居館跡全景
武家屋敷跡 城址遠景(背後の山の山頂に山城がある)

■歴史
 朝倉氏はもと兵庫県の豪族で、室町時代のはじめに福井県に入ってきた。その後一乗谷に本拠地を移して勢力を拡大し、応仁の乱(1467〜77年)の時、朝倉孝景・氏景親子は主家である斯波氏をたおし実権を握った。
 3代貞景の時に侵攻してきた30万の加賀一向一揆を撃退し、また一族との覇権争いを制して越前支配を安定させた。4代孝景の時に最盛期となり、城下の人口も1万人を超えたという。5代義景の時に織田信長と対立し、1573年に滅亡した。一乗谷は信長の軍勢によって火をかけられて灰となった。

●現状(1999年5月)

 一乗谷城とあるが、実際には朝倉氏の居館跡や武家屋敷跡で、城は居館跡背後の山にある山城である。居館は背後を山、三方を土塁で囲まれ、秀吉が朝倉義景を弔うために寄進したといわれる唐門がある。門は居館跡に建てられた寺院のためのものである。居館跡は礎石で建物の配置がわかるようになっていて、庭園も発掘されている。
 居館跡の西側には武家屋敷や城下町が発掘されており、城下の町並みが復元されている。訪れたときは閉館後で入れなくて残念だった。
 谷の南北の入口も上城戸、下城戸という巨大な土塁が築かれており、谷全体が城郭のようである。付近は開発もされておらず、歴史に取り残されたような雰囲気が良い。
 近くの一乗滝は佐々木小次郎が燕返しを編み出したところとされている。


◆場所