ふくおかじょう |
■所在地:福岡県福岡市中央区城内 ■立地:丘陵上 ■別称:舞鶴城 ■築城年:1601年
■築城者:黒田長政 ■遺構等:本丸、二の丸、櫓、門、石垣、堀、他 |
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追手門と櫓 |
潮見櫓といわれていたが、他で本物が見つかったので
正体不明となってしまった櫓 |
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追手門(渦見門) |
祈念櫓 |
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本丸 |
天守台 |
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天守台内部の礎石 |
広大な水堀 |
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■歴史 |
1600年の関ヶ原の合戦で功のあった黒田如水・長政親子が筑前52万石を拝領し、前領主の居城であった名島城へ入った。しかし52万石の太守の城としては手狭であったために翌年から新城の建築を始めた。まだ豊臣家が存続している時代であったため、後の混乱に備えて国内に6箇所の支城を同時期に築いた。徳川・豊臣両家の緊張が続く中、長政は工事を励まし、家臣も競って働いたので広大な城郭が7年で完成した。築城の名人である加藤清正でさえ福岡城を見て感心したという。
城は堀の周囲4.7キロ、櫓の数47という、大坂城にも匹敵するほどの規模であったが、天守は築かれなかったという。これは徳川家康が最も恐れ、警戒している武将が父の黒田如水であることを知っている長政が、家康の警戒心を解くために天守を築かなかったといわれている。実際に天守があったのかなかったのかは記録が残っていない。 |
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●現状(1999年3月) |
たまたま出張で福岡へ行ったときに、帰りの飛行機の時間までに余裕があったので福岡城へ立ち寄った。余裕があるといっても1時間程度だったので、ほとんど城内を走り回っていた。スーツを着てデジカメ片手に走り回る姿は異様だったかもしれない。城址は広大すぎて隅々まで回ることができなかったのが残念である。
石垣も壮大で、さすがは52万石の城である。櫓がいくつかあるが、他に移築されたものを再び戻したらしく、形も場所も変わっていて納まりが悪いのが残念である。
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◆場所 |
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