郡上八幡城
ぐじょうはちまんじょう

■所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町 ■立地:山上 ■別称:積翠城、郡城、虞城 ■築城年:1559年
■築城者:
遠藤盛数 ■遺構等:石垣、模擬天守、模擬櫓、模擬大手門

天守と隅櫓 木造再建天守(模擬)
■歴史
 鎌倉時代からこの地を治めていた東氏がは、1559年に一族の遠藤盛数により滅ぼされた。盛数は東氏を攻めた際に砦を築いた八幡山に本拠を移した。
 盛数の後に城主となった長男慶隆は、羽柴秀吉と対立する織田信孝に属していたため移封となり、1588年に稲葉一鉄の子貞通が城主となった。貞通は城の大改修を行った。山上に石垣を築き、本丸に天守を建て、山腹に二の丸を築いて居館を建てた。
 その後、貞通は関ヶ原の戦いで西軍に付いたために移封となり、徳川家康は再び慶隆を城主とした。慶隆は城の増築と城下町の整備を行った。
 以後、城主を変えながら明治を迎えた。廃藩置県まで郡上藩の藩庁であったが、廃藩置県によって廃城となるり、1870年に石垣だけを残し取り壊された。
 1933年に、大垣城を模して木造で模擬天守が建てられた。

●現状(2015年8月)

 郡上八幡城は東海北陸道を走っていると郡上市の背後の山上に白亜の天守が見え、とても美しく印象的な姿です。
 城の近くは古い城下町の街並みが残っており、街並みを歩きながら城まで上るコースもありますが、山上の駐車場もあります。
 城址は本丸(江戸期に当初の二の丸が本丸になったので旧本丸ですが)付近の石垣が現存しており、模擬天守、模擬櫓、塀などが建てられています。この模擬天守は全国的にも珍しい木造で、現存する最も古い木造再建天守だそうです。模擬天守とはいえ、やはり木造の天守はいいものです。外観は同じ岐阜県の名城、大垣城を参考にしたとされ、珍しい4層の天守です。そのためか、大き過ぎず小さ過ぎずで山上の城としてはとてもバランス良く感じます。
 山内一豊の妻、千代は遠藤盛数の娘ともいわれており、城内には一豊・千代の像もあります。
 


◆場所