いわむらじょう |
■所在地:岐阜県恵那市岩村町 ■立地:山頂 ■別称:霧ヶ城 ■築城年:1185年以降
■築城者:加藤景廉 ■遺構等:曲輪、石垣、井戸、復元藩主邸門 |
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復元された藩主邸の表御門と太鼓櫓 |
藩主邸跡 |
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石垣が続く城内の通路 |
東曲輪の櫓台 |
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主郭下の6段の石垣 |
主郭 |
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■歴史 |
1185年に源頼朝の家臣加藤景廉が築いたと伝承されており、子孫の遠山氏が居城した。遠山景任が城主のとき、武田信玄の武将・秋山信友に攻められたが、織田信長の援軍で撃退した。
1571年に景任が病没すると、信長は遠山夫人を城主とした。遠山婦人は信長の叔母で織田氏の女性らしく絶世の美女であったという。
1573年に再び秋山信友は岩村城を攻めたが難攻不落の城で、遠山夫人との結婚を条件に和議を申し入れた。遠山夫人も限界だと思っていたので承諾した。ところが信長はこれに怒り、信玄の死後、子の信忠に岩村城を攻めさせ、降伏した城兵を皆殺しにし、遠山夫人と秋山信友を長良川畔で磔にして処刑した。遠山夫人が「叔母にこのような非道な扱いをするなら、必ず報いを受けるぞ」と残した言葉どおり、信長は7年後に本能寺で死んだ。 |
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●現状(1999年5月) |
日本三大山城にふさわしく、標高713メートルの城山に多くの曲輪と累々たる石垣が続く。現在の姿は、信長配下の森蘭丸以降の改修によるものである。よくぞこれだけの山城に石垣を築いたなあと感嘆せずにはいられないほど見事な石垣である。麓には、関ヶ原の合戦後に築かれた藩主邸跡があり、門や櫓が復元されている。 岩村城下の古い町並みも良い。
自動車で頂上付近まで行けるようだが、ぜひ、ふもとの城下町から歩いてみてほしい。
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◆場所 |
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