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■歴史 | ||||||||||||||||
斎藤道三の養子、正義が1537年に築いた烏ヶ峰城が始まりとされる。正義は1548年に近くの久々利城主・久々利頼興に謀殺された。 1565年に織田信長が攻略し、家臣の森可成を城主とした。可成は金山城と改称し、城下町を整備した。 1570年に信長と浅井・朝倉連合軍が戦った宇佐山城の戦いで可成が討ち死にすると次男の長可が13歳で城主となった。 1582年に長可が信濃国川中島へ転封となると弟の成利(蘭丸)が城主となる。成利が本能寺の変で討ち死にした後は再び長可が城主となるが、1584年の小牧長久手の戦いで長可は討ち死に。可成の六男・忠政が城主となった。 1600年に忠政が川中島へ転封となると、犬山城の石川貞清に支配された。以後、松平忠頼、小笠原吉次と城主が続き、1601年頃に廃城となった。 |
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●現状(2024年2月) | ||||||||||||||||
以前に訪れたときは、大雨の土砂崩れで通行止めとなっていて、二度目の挑戦になります。 山の中腹の曲輪まで車で行くことができますが、意外にも駐車場が満車近くてびっくり。公園のバーベキュー場でブラジルの方たちがバーベキューをしているところでした。 時季的に咲いていませんでしたが桜並木の中を上っていくと出丸があり、ここにも駐車場があります。そこからすぐ登城路に入ります。 城址はよく整備されていて歩きやすく、随所に遺構を示す看板があります。曲輪は樹木もある程度伐採されており遺構の確認がしやすく、石垣の一部や建物の礎石も残っています。 本丸の手前に天守台石垣の表示がありますが、位置的には単なる本丸の石垣だと思われます。主郭の北と南には方形に組まれた桝形の石垣も確認することができます。 本丸は結構広さで、北側は眼下に木曽川を臨む素晴らしい景色が見られます。 城址の北側山麓にある戦国山城ミュージアムには立派な復元ジオラマがあり、これを先に見ておくと遺構と当時の姿がリンクしますのでおすすめします。 |
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◆場所 | ||||||||||||||||
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