加納城
かのうじょう

■所在地:岐阜県岐阜市加納丸の内 ■立地:平地 ■別称: ■築城年:1445年、1601年
■築城者:
斉藤利永、奥平信昌 ■遺構等:本丸、石垣

加納城の石垣 天守台跡

■歴史
 1445年に美濃守護代の斎藤利永が築き、斎藤氏の居城として続いたが、斎藤道三(道三はもとは斎藤氏ではない)が稲葉山城を築いて移ったために廃城となった。1600年の関ヶ原の合戦の際に岐阜城が攻め落とされ、翌年、家康は娘婿の奥平信昌を加納城へ入れた。その時、岐阜城の石垣や建物は加納城に移された。以後、城代を替えながら明治まで続いた。

●現状(1998年12月)

 現在は公園となっているが、残されているのは本丸とその周囲の石垣のみである。二の丸や三の丸は、建物が建っていて完全に姿を消している。堀も完全に埋められている。本丸はかなり広く、たくさんの人たちが、ボールで遊んだり散歩したりしていた。
 天守台とされる土盛もあったが、天守があったのだろうか。


◆場所