馬籠城
まごめじょう

■所在地:岐阜県中津川市馬籠4920  ■立地:丘陵 ■別称:丸山城 ■築城年:室町時代
■築城者:
■遺構等:説明板、曲輪

城址遠景 城址付近
馬籠宿
■歴史
 城址の説明看板によると、今から500年ほど前の室町時代から「馬籠城(砦)」があったことされている。
 戦国時代には馬籠は武田信玄の領地となるが、武田氏滅亡後、織田信長の時代を経て、豊臣秀吉傘下の木曽義昌が治めた。
 1584年の小牧・長久手の戦いの際に、秀吉は義昌に木曽路防衛を命じ、義昌は島崎重通を馬籠城に入れ守らせた。家康は菅沼定利・保科正直・諏訪頼忠らに木曽攻略を命じ、現在の馬籠宿の北に陣を張って馬籠城を攻める構えを見せたために、重通は恐れをなして妻籠城へ逃れた。このため馬籠の集落は戦火から免れることができた。
 家康が天下を治めてからは木曽を直轄領としていたが、1615年に尾張藩主・徳川義直の領地となり、その後馬籠城は廃城となった。

●現状(2014年4月)

 新車でのドライブを兼ねて妻籠・馬籠散策をしたときに、案内地図に駐車場のすぐ南に馬籠城が記されていたので家族を車に残して城址まで走りました。
 田畑や住宅地の中にこんもりとした小山があり、一目で城址だとわかります。城址には説明看板があります。周囲はだいぶ削られているようなので、切り立った斜面も当時の切岸ではないと思われます。
 馬籠宿の街並みから少し外れている城址は案内図の道も省略されているようで実際は結構な距離があり、車で行けば良かったなと後悔しました。
 馬籠宿の街並みの北側には陣場上展望台があり、素晴らしい景色を眺めることができます。陣場という地名の由来はもちろん徳川軍が陣を張ったこと
からきています。宿場町の中には身分の高い武家や公家の宿泊所であった本陣もあります。


◆場所