大垣城
おおがきじょう

■所在地:岐阜県大垣市郭町 ■立地:平地 ■別称:巨鹿城 ■築城年:1500年、1535年
■築城者:
竹腰尚綱、宮川安定 ■遺構等:石垣、堀、復興天守、門、櫓

外観復興の天守 最上階の窓のみが展望用に大きくされている
西側からみた復興乾櫓と天守 戸田氏鉄像
城内に残るかつての本丸石垣 復興艮(うしとら)櫓
復興東門(旧柳口門を移築したもの?) 復興西門(本来はここに門はない)

■歴史
 最初の築城については、1500年に竹腰尚綱が築いたという説と、1535年に宮川安定が築いたという説がある。1585年に羽柴秀吉の命により一柳直末が天守を築いたといわれている。
 1600年の関ヶ原の合戦の際には石田三成が入城して西軍の本拠地となるが、三成は諸将の反対を押し切って城を出て、関ヶ原での決戦で徳川家康率いる東軍に敗れた。大垣城も三日三晩の攻防戦の末に東軍に寝返る城将が出て落城した。
 1601年に石川康通が入城し、石川氏3代、松平氏2代、岡部氏2代、松平氏1代と続いて1635年に戸田氏鉄が城主となり、以後は明治まで戸田氏が城主を継いだ。
 明治になると本丸の天守と櫓を除いて破却されたが、1936年に国宝に指定された。しかし1945年に空襲により焼失した。その後、1959年に天守が外観復興された。
 

●現状(2006年10月)

 城址は大垣市中心部の大垣公園にあり、現在は本丸部分が残っている。公園の駐車場がなさそうだが、周囲にたくさん有料駐車場がある。城の北にある有料駐車場に車を置いたが、南にあるはずの城の天守は、ビルや旅館などにより全く見えない。かつては堀の一部であった水門川を渡ってビルの間を抜けると、突然目の前に城が姿を現す。これほど天守とビルの接近した城は他にはない。隣接するビルの建ち並んでいる所も、かつては水堀のあったところである。
 本丸の西に公園や神社があり、普通の城ならば二の丸や三の丸跡というところだが、大垣城ではここも水堀のあったところである。古絵図でみる広大は水堀が、ここまで跡形もないのはちょっと信じられない光景である。公園には城主であった戸田氏初代の氏鉄の騎馬像がある。
 本丸西南隅に西門があるが、本来は堀に面しているところなので門はない。どこの門を復興したのかはわからない。本丸に入るとすぐに4層の天守がある。天守は外観復興だが、最上階の窓は展望用に大きなガラス張りの窓となっており、多少の違和感はある。内部は資料館となっており、刀剣や城主肖像画などの一般的な展示物や関ヶ原の戦に関するものなど、なかなか興味をそそる展示内容である。
 天守の北西隅と北東隅には復興の隅櫓があり、東には東門がある。この門は柳口門を復興したもの(移築と書いてある本もあったが、そうなると現存?)である。門を出ると目の前はビルばかり。もうちょっと大垣のシンボルを活かした都市計画ができなかったものかと思うが、東にある商店街は歩いていてとても楽しい。
 大垣は水の都であり、その象徴であった大垣城の水堀が跡形もないのは非常に残念であるが、天守の南に小さな滝があり、これが水の都を感じさせてくれた。


◆場所