かなざわじょう |
■所在地:石川県金沢市丸の内 ■立地:丘陵上 ■別称:尾山城、金城 ■築城年:1580年
■築城者:佐久間盛政、前田利家 ■遺構等:曲輪、石垣、堀、石川門、三十間長屋、兼六園 |
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橋爪門続櫓、五十間長屋、菱門 |
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石川門と菱櫓(現存) |
石川門内側の櫓門(現存) |
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三の丸の河北門(復元) |
河北門横の一の門(復元) |
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本丸の様子 |
三十間長屋(現存) |
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橋爪門・続櫓(復元) |
五壱間長屋・菱櫓(復元) |
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五十間長屋の内部 |
二の丸 |
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■歴史 |
もとは1546年以来、加賀一向一揆の拠点となった金沢御坊。1580年に織田軍の佐久間盛政により占拠され、一向宗徒に備えて城郭として改修された。4年後に前田利家が配置されると高山右近の縄張りで城郭は拡大され、さらに子の利長の代から石垣等を築いて近代城郭へと姿を変えた。金沢の由来は城山の麓の「金洗いの沢」まで縄張りを広げたことによるといわれている。
100万石にふさわしい豪華絢爛な城には、さぞ華麗な天守があったことだろうと思われるが、残念ながら1602年に落雷により消失した。その後天守こそ再建されなかったが、多くの櫓や二層の多聞櫓など配置された華美な城であった。 |
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●現状(2010年8月) |
金沢城といえば加賀100万石の前田家の居城です。かの有名な兼六園は金沢城の庭園です。
1999年に初めて訪れたときは、ちょうど金沢大学の移転直後の整備工事中でしたが、2010年の2度目の訪問のときには、広い城内に多くの櫓や門が復元されており大変見ごたえのある城となっていました。
特に目を引くのは五十間長屋とその両脇の櫓で、これほどの規模の復元建造物はなかなかお目にかかれません。今後も更なる復元整備が望まれます。二層の多聞櫓などが復元されると大変に見ごたえのあるものになるでしょう。
石川門も前の広大な百間堀、白鳥堀が完全に埋め立てられていまっているのは残念です。
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◆場所 |
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