浦戸城
うらどじょう

■所在地:高知県高知市浦戸  ■立地:丘陵 ■別称: ■築城年:16世紀、1591年
■築城者:
本山茂宗、長宗我部元親 ■遺構等:曲輪、堀切、城址碑、説明板

説明看板 三の丸付近に建てられた碑石
■歴史
 案内看板によると、鎌倉時代末期にはこの地の豪族の城があり、戦国時代に土佐七雄の一つ本山氏がこの地を支配して築城した。
 1560年に長宗我部国親が長浜の戦いにて本山氏を破り岡豊城の支城とした。
 国親の子・元親は1588年に岡豊城から大高坂山に城を移したが水害が多く、1591年、浦戸城を本格的な城郭に改築し、居城とした。
 1599年に元親が死去し盛親が家督を継いだが、翌年の関ヶ原の戦いで西軍に付いて敗北し、長宗我部は改易された。
 代わって土佐藩主となった山内一豊は、一領具足と呼ばれる長宗我部旧臣の抵抗を鎮圧し、1601年1月になってようやく入城した。しかし、この地では手狭であったため、高知城建設に着手。1603年に高知城へ移ったため浦戸城は廃城となった。

●現状(2014年8月)

 高知旅行の時に、坂本龍馬記念館へ行ったときに、そこが城址だとは知っていましたが、下調べをしていなかったので、あえて遺構を探したりする予定はありませんでした。しかし、たまたま道路沿いに石碑を見つけて立ち寄りました。
 写真の石碑のあたりは三の丸にあたる場所で、坂本龍馬記念館のあたりが本丸になります。そちらにも説明看板や碑石があるようで、記念館の近くの大山祇神社というところが天守台跡で、発掘された石垣の一部も保存されているらしいですが、そこまでは見にいく余裕がありませんでした。
 かつては本格的な城だったとのことですが、石垣などの資材は高知城に使われ、城址も記念館や桂浜荘の建設で破壊されて、当時の面影を残すものはなさそうです。
 


◆場所
石碑の場所