熊本城
くまもとじょう

■所在地:熊本県熊本市中央区 ■立地:丘陵 ■別称:銀杏城 ■築城年:1607年
■築城者:
加藤清正 ■遺構等:復元天守・櫓・門・本丸御殿、現存櫓・櫓・門・塀

2018年2月現在の天守
西大手門(復元) 戌亥櫓(復元)
宇土櫓(現存) 未申櫓(復元)
馬具櫓(復元) 二の丸の藩校時習館付近
■歴史
 1588年に加藤清正が肥後19万5千石の領主として隈本城に入った。1590年頃から隈本城の改修を始め、千葉城、隈本城のあった茶臼山の丘陵一帯に築城を始めた。途中、朝鮮出兵で工事は中断したが、1600年頃に天守が完成、1607年に築城は完了し、隈本を熊本に改めた。築城途中で清正は52万石の大名となったため、当初の予定よりも大規模な城郭となった。
 1611年に清正が病没した後、1632年に加藤家は改易。熊本城へは細川忠利が入った。以後、二の丸、三の丸の整備が続けられ明治を迎えた。
 1877年に西南戦争が起こると、新政府の熊本鎮台が守る熊本城は原因不明の火災で天守が焼失した。一説には、敵を監視しやすくするために城と城下を焼き払ったとも言われている。翌日、西郷隆盛の軍は5千の兵で城を取り囲んだ。西郷は52日間にわたって城を攻め立てたが、ついに落城させることはできなかった。

●現状(2018年2月)

 熊本地震の復興支援で派遣されている同僚の陣中見舞いに、熊本県を訪れた時に行きました。
 熊本市街地を走っていると、ビルの間から見えたのは、本来見えるはずの天守ではなく、巨大なクレーンの姿で、それだけでも衝撃を受けました。
 私が訪れた時は、地震直後よりは見学ルートが拡大されていたようで、本丸以外の主だった遺構は巡ることができました。
 ニュース映像を見た時も大変なショックを受けましたが、無残にも崩れ落ちた石垣や櫓などは、眺めていると胸が痛くなるような思いでした。さらに、堀底に並べられた何百という膨大な数の石材を見ると、それを組み直す石垣の気の遠くなるような修復作業を想像してしまいました。
 天守は足場で囲まれてほとんど姿を見ることができませんでしたが、無数に組まれた足場の骨組みが、まるで再生途中の組織のように見えて、なんだか力強さや着実に復興に向かっている希望を感じることもできました。

 修復が完了したら、ぜひもう一度訪れてみようと思います。


◆場所