伊賀上野城
いがうえのじょう

■所在地:三重県伊賀市上野丸の内 ■立地:丘陵上 ■別称:白鳳城 ■築城年:1585年
■築城者:
筒井定次 ■遺構等:本丸、二の丸、模擬天守、武具蔵、石垣、堀

昭和10年に建てられた模擬天守 筒井定次時代の城址
本丸西側の高石垣(小さい写真では高さが表現できないので大きくしてみました)

■歴史
 1585年に筒井順慶の養子・定次が三層の天守のある城を築いたが、徳川家康が大阪の豊臣氏に備え、信頼のある藤堂高虎に領主替えした。高虎は期待に応えるために各地に伊賀忍者を放ち、全国148の城の見取り図を描かせ、それを参考に城の大改修を行った。高虎は筒井氏の上野城を取込み3倍の広さに拡張した。城には5層の天守が築かれたが、翌年の台風で完成間近で倒壊し、やがて豊臣氏も滅んだために天守は再建されなかった。

●現状(1998年8月)

 上野市中心に位置し、本丸と城代屋敷跡以外は市役所や学校、駅などが建ち旧態を留めていないが、本丸西の高さ27メートルの石垣や堀など見所は多い。
 城址の東側半分は、筒井氏時代の本丸跡で、石垣と碑が残っている。
 藤堂高虎が拡張した西側の本丸には、高虎の築いた5層の天守の天守台に3層の模擬天守が建っている。模擬天守は、昭和10年に川崎克氏が藤堂高虎の意志を受け継ごうと自費で建てた木造の模擬天守で、あまり違和感もなく、緑の多い城内に良く映える。昭和に建てられた現存天守といっても良いだろう。
 本丸西側の石垣は大坂城にも劣らないといわれた見事なもので、この城一番の見所である。


◆場所