亀山城
かめやまじょう

■所在地:三重県亀山市本丸町578 ■形状:平山城 ■別称:粉蝶城 ■築城年:1590年
■築城者:
岡本宗憲 ■遺構等:本丸多門櫓、石垣、石垣、堀

本丸多門櫓(現存) 城址碑
多門櫓内部 亀山神社(本丸跡)
 
■歴史
 もとは1265年に関実忠によって築かれた城があり、1573年に織田信長によって関氏が追放されるまで、関氏の居城であった。
 1590年に豊臣秀吉に従った岡本良勝が入城し、関氏の居城を取り込むように近世城郭を築いた。
 良勝が築いた亀山城には天守があったが、1632年頃、丹波亀山城の天守を解体するよう幕命を受けた堀尾忠晴の間違いによって、天守を取り壊されてしまった。
 この時期の亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが休泊している。1633年には、本丸御殿を中心に将軍上洛の宿所としての整備が行われている。
 1636年、城主となった本多俊次が3年をかけて大修築を行い城の縄張りが完成した。天守のあった場所に多門櫓が築かれたといわれるが、 本丸西側にある矢倉台といわれる場所に天守があった可能性もある。
 1873年の明治の廃城令によって、ほとんどの建物は取り壊された。

●現状(2020年1月)

 亀山市は時々東名阪道を使うときに通過するので、いつかはインター降りて亀山城に寄ってみようと思いながら、ずいぶんと年月が過ぎてしまいました。関宿を訪れたときに亀山市を訪れたので、帰りに寄りました。
 驚いたのは写真でおなじみだった、下見板張りの特徴ある姿が真っ白な総塗籠になっていたことです。調べてみると、2011年から2013年にかけての修復工事の際に本来の白壁にしたそうで、見慣れた板壁の姿は明治以降に張られたとのこと。もちろん白壁の方が近世城郭の雰囲気があります。内部も見学できます。
 遺構としては、多門櫓とその下の石垣が残っているぐらいで、本丸は亀山神社と亀山公園、二の丸は亀山西小学校、南三の丸は亀山中学校などとなっており、亀山公園の池と市役所南の池は、かつての水堀です。


◆場所