田丸城
たまるじょう

■所在地:三重県度会郡玉城町 ■立地:丘陵上 ■別称:玉丸城 ■築城年:1336年
■築城者:
北畠親房 ■遺構等:曲輪、石垣、堀、土塁

本丸に残る天守台 天守台から見た南西方向の景色
本丸周囲の石垣 二の丸
土塁に囲まれた北の丸 現存の富士見門(位置は本来と異なる)
玉城町役場横の内堀 天守台から見えた虹(虹の根元は意外と近い?)

■歴史
 南北朝の動乱期に北畠親房が築いたといわれている。南朝の重要な戦略拠点として北朝との攻防戦が展開された。
 1575年に織田信長の次男で北畠氏の家督を継いでいた信雄が大河内城から田丸へ居城を移し、大改修を行って本丸、二の丸、北の丸を設けて三層の天守を築いたが、1580年に焼失した。
 関ヶ原の合戦後に稲葉重通が大改修を行い、現在残る姿となった。
 1619年に紀州藩領となり、紀伊徳川家の付家老の久野氏が城主として明治まで続いた。 

●現状(2006年8月)

 夏休みを利用しての家族旅行で志摩スペイン村へ行き、帰りに田丸城と亀山城へ寄っていこうと計画した(亀山城は結局渋滞のため断念)。ところが、伊勢自動車道へ入った途端に豪雨。これでは城は無理だと思ったが、運良く玉城インターの手前で雨はあがり、城へ向かうことに。インターを出て城へ向かう道を進むと、やがて右前方に小高い丘が見える。まだ500メートル以上の距離があるが、ちょうど夕日が丘を照らし、丘の上には夕日に照らされて黄金色に輝く石垣がはっきり見える。予想以上の規模の大きさに興奮してしまった。
 役場のあたりが大手ということだが、カーナビに従って進むと玉城中学校前まで来ることができた。ここは本丸のすぐ下で、中学校には三の丸跡の表示がある。本丸のあたりは石垣が築かれており下も舗装されているので雨でも大丈夫であった。本丸の北にある北の丸には城山稲荷があり、周囲は土塁で囲まれている。本丸は結構広く、北の端に天守台がある。天守台から四方を見渡すと見晴らしが良く、築城に適した立地であることが良くわかる。
 本丸の南に二の丸があるが、雨がひどくなってきたのと、本丸以外は足元が良くなかったので、二の丸を少し覗いて引き上げることにした。
 中学校の前には現存の富士見門がある。これは城外に移築されていたものを、再び城内へ移築したものであり、場所は旧来の位置とは異なっている。
 帰りに城の東側を通ったが代官屋敷跡とされるグラウンドがあり、役場のあたりにも石垣や水堀がある。大手虎口も見ることができた。水堀は城の東側に残っているのみだが、他も空堀の底に水路があるような形で残っている。
 来る途中で見えた夕日に石垣が輝く城址遠景を写真に撮らなかったのがものすごく悔やまれる。帰りは既に雨空で、黒々とした木々の上に黒々とした石垣が見えるのみであった。
 城へ行ったときはちょうど雨上がりの時で、本丸から東を見ると大きな2重の虹を見ることができた。写真を撮って帰ってから見てみると、あんなに遠くに見える虹なのに、かなり近くの建物の手前に虹の根元があり、意外であった。


◆場所