松代城
まつしろじょう

■所在地:長野県長野市松代町松代44 ■立地:平地 ■別称:海津城 ■築城年:1560年頃
■築城者:
武田信玄 ■遺構等:石垣、堀、土塁、復元門

太鼓門(復元) 太鼓門と太鼓門前橋(復元)
内堀 埋門(復元)
本丸戌亥隅櫓台の石垣 北不明門(復元)
三日月堀跡 松代城復元図
■歴史
 武田信玄が上杉謙信と対峙する最前線であるこの地に海津城を築いた。謙信と戦った川中島の戦いでは武田方の拠点となった。
 1582年に武田氏が滅亡すると、織田信長家臣の森長可が城主となったが、本能寺の変が起きると長可は城を放棄して美濃へ退却した。
 その後、上杉景勝が支配したが、景勝が会津へ移ると豊臣方の田丸直昌、徳川方の森忠政、松平忠輝、花井吉成、松平忠昌、酒井忠勝と目まぐるしく城主が交代した。忠政の時に海津城から待城へ、忠昌のときに待城から松城へ改名された。
 1622年に真田昌幸の子で徳川配下となった信之が城主となり、以後、明治維新まで真田氏の居城となった。三代真田幸道のときに、松城から松代城と改名した。
 現在は、発掘調査は古絵図を共に、門や橋、堀などが復元されている。

●現状(2015年8月)

 夏休みの家族で草津温泉へ行く途中、高速道路に近かったために寄り道をしました。早朝だったために本丸内や真田邸の見学などはできませんでしたが、本丸や二の丸は整備されており、本丸の太鼓門や北不明門、木橋が復元されています。
 松代城は武田氏の海津城を利用して築城されていますが、復元されている二の丸の土塁や南門跡の前の丸馬出を囲む三日月堀跡の一部に、その名残りを感じることができます。
 城址周辺は宅地になっていて外堀から外の遺構はありませんが、田園地帯であるため大きな建物もなく、周りの風景に溶け込んだ城址はとても規模が大きく見えます。
 早朝の寄り道であったために見ることはできませんでしたが、周囲には真田氏ゆかりの史跡も多く、川中島古戦場にも近く、歴史ファンなら十分楽しめるところだと思います。


◆場所