高島城
たかしまじょう

■所在地:長野県諏訪市高島1丁目20-1 ■立地:平地 ■別称:浮城 ■築城年:1592年
■築城者:
日根野高吉 ■遺構等:復興天守、門、石垣、堀

観復興の天守
復興された冠木門、冠木橋、塀 本丸
復興櫓 三の丸から移築された、三之丸御殿裏門
■歴史
 1539年頃、茶臼山城の諏訪満隆がこのあたりに出城を築いていたという。
 諏訪頼忠は、金子城(諏訪市中洲)を築いて拠点としたが、1590年に徳川家康の関東移封に従い、武蔵国奈良梨(埼玉県)に移った。代わって美濃出身で豊臣秀吉配下の日根野高吉が、茶臼山城に入城した。
 高吉は、1592年から高島城の築城を始めたが、秀吉の朝鮮出兵のため名護屋(佐賀県)へ出陣していたため、完成したのは1598年であった。この労役は厳しかったらしく、村をあげて逃げ出した記録もある。また、近くの金子城は解体され、石垣までもが全て転用された。
 高吉が1600年に病没すると子の吉明が後を継いだが、1601年に下野国壬生藩(栃木県)に転封となり、諏訪頼忠の子・頼水が2万7千石で入封し、再び諏訪氏がこの地を領有することとなった。以後、明治まで続いた。
 1871年の廃藩置県により高島県となり、県庁舎として利用された。1875年に天守以下の建造物は破却もしくは移築されて石垣と堀のみとなったが、1970年に本丸の天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備された。

●現状(2012年4月)

 高遠城へ行ったときに、早朝だったので9時頃には高遠城を出ることになり、安曇野までドライブ。帰りに諏訪湖に寄ってみようということで中央道のインターを下りたところで高島城の存在を思い出しました。
 城へ行ってみると、隣接する諏訪市役所の駐車場は満車。観光バスも何台も止まっています。なんとか空いたスペースに駐車できましたが、高島城は現存天守でもないし、知名度としても高い方ではありません。どうしてこんな凄い人なのかと思ったら、お花見客でした。
 城址としては、本丸の石垣と堀が残っていて、天守や塀、隅櫓も外観復興されていますので、なかなか立派なものです。三の丸から移築したという門もあります。天守のある一角の堀が半分埋め立てられてしまっているのは残念です。天守は最上階からの展望を良くするために窓が増やされていますが、ほぼ取り壊し前の姿となっています。外壁は白塗りでも黒塗りでもなく、板の色がそのまま出た黄土色で、見慣れない雰囲気の城となっています。
 本丸は庭園風に整備されており、多くの花見客で賑わっていました。


◆場所