郡山城
こおりやまじょう

■所在地:奈良県大和郡山市城内町 ■立地:丘陵端 ■別称: ■築城年:1580年
■築城者:
筒井順慶 ■遺構等:石垣、堀、復興追手門、復興櫓

追手向櫓(復興)と堀
復興大手門 本丸東側の内堀
本丸 天守台石垣

■歴史
 平安時代末期には郡山衆とよばれる土豪の居館があったとされている。
 1580年に筒井順慶が織田信長の命で郡山城に入り、石垣や天守などを備えた城郭としての整備がはじまった。筒井順慶の死後、後を次いだ定次は豊臣秀吉の命で伊賀上野城へ転封され、代わって秀吉の弟・秀長が城主となった。秀長の所領は紀伊・大和・和泉の100万石で、郡山城もそれにふさわしい整備がされた。

●現状(2010年8月)

 初めて訪れたのは確か中学生の時で、当時から城が好きでしたので家族で奈良旅行に行った時に寄ってもらいました。年代からすると当時も追手門などは復興されていたはずですが、全く記憶にありません。
 2度目に訪れた1998年もずいぶんと前になるので記憶が確かではないですが、駐車場を探すのに彷徨った覚えがあります。
 城址は本丸とその周辺の石垣や二重の堀が状態良く残っていて、周辺の市街地にも門跡の石垣が残っています。天守の石垣には墓石や石仏などが混じっており、これは秀長が城を整備する際に石材が足りず、大和の住民に石材の提供を命じたために、調達に困った人たちが寺などから持ち込んだものです。中には平城京の羅生門の礎石といわれるものまであります。
 建物は、追手門、追手向櫓、追手東隅櫓が復興されています。
 現在の本丸は、1724年に城主となった柳沢吉里の父・吉保を祭った柳沢神社になっています。天守台に行こうと思ったら社務所の方に「神社の由来書をお持ちください。」と声をかけられました。城目的だったので遠慮したところ、「ここは神社です。お城ではありません!」と怒られてしまいました。


◆場所