家族旅行で四国・岡山を訪れた際、高速道路のインターチェンジに近くて行きやすかったので、備中松山城へ寄った後、宿に向かう途中で寄りました。
ちょうど大河ドラマの軍師官兵衛が放送されていた年で、1カ月前に高松城水攻めの回が放送されたばかりだったためか、多くの観光客で賑わっており、駐車場には県外ナンバーの車も多くありました。
城跡はかなり広く公園となっており、どれほど当時の形状を再現しているのかわかりませんが、堀跡にはハスが植えられており、沼地に囲まれた城の雰囲気を感じることができました。
本丸には清水宗治の首塚があり、立ち寄らなかったですが近くに胴塚もあります。本丸から周囲を眺めると低地であることが実感され、確かに水攻めされたら本丸以外は水没してしまうだろうなと思いました。
城址の近くには秀吉が築いた堰堤跡があります。残っている部分は極わずかですが、それでも当時の堰堤がとても大規模なものであったことが想像できます。発掘調査では土俵の跡や、俵に土を詰める際にお墓も掘ってしまったのか、五輪塔や人骨も発掘されたそうです。
また、城址の3キロほど南西に造山古墳という国内4番目の大きさの前方後円墳があります。古墳好きでもあったので寄ってみると、なんと全国的にも珍しい、上に登れる前方後円墳。さらに説明看板によると、秀吉の高松攻めの際に、高松城の救援に来た毛利方の小早川隆景が砦を築いたそうで、円墳部の上部はその時に削平され平らになっており土塁が残っています。
歴史の大舞台を訪れ、関連する遺構をめぐると、当時の戦のスケールの大きさを実感します。
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