首里城
しゅりじょう

■所在地:沖縄県那覇市首里当蔵町3丁目 ■立地:丘陵 ■別称:中山城、御グスク、首里グスク
■築城年: ■築城者:
■遺構等:城壁、復元正殿、復元門等

琉球王国の政治の中心である正殿(復元)
二千円札でおなじみの守礼門(復元) 歓会門(復元)
瑞泉門(復元) 瑞泉門下の龍樋は現存の遺構
漏刻門(復元) 正殿前の御庭
久慶門(復元) 城内普請の際の資材搬入路であった木曳門
■歴史
 首里城の創建についての詳細は不明だが、1429年に中山王の尚巴志が北山・中山・南山の三山を統一し琉球王国が誕生した。中山王府は尚巴志以前は浦添城であったが尚巴志が中山王となってから中山王府は首里城に移り庭園や城門を整備している。しかし、1453年に王位をめぐる争い(志魯・布里の乱)で首里城は全焼した。
 1469年、首里王朝の群臣は伊是名島の農夫出身で宮廷に上がっていた金丸が有能な人物であったため、世継ぎを廃して金丸を王に迎え入れた。金丸は尚王を継いて尚円王となった。尚円王は善政を行ったが1476年に没した。
 その後、尚真王、尚清王の代に内郭の大部分が整備された。
 1609年に薩摩軍によって琉球は征服され、その後は幕府の支配下となったが中国との朝貢関係も続いた。
 1660年に首里城は火災で全焼し、1671年に再建。しかし1709年に再び火災で全焼した。その後1715年に再建が完了した。
 1853年にはアメリカのペリー提督が琉球に来航している。
 1879年(明治12年)に明治政府軍が派遣され首里城の明け渡しを迫ると、国王尚泰はこれに応じて城を出たため、琉球王朝は終焉を迎え、沖縄県が設置された。
 

●現状(2007年8月)
 夏休みの家族旅行で初の沖縄へ訪れ、最初の目標が空港から近い首里城です。沖縄の観光スポットなので城好きでなくても訪れる人は多いでしょう。
 空港前でレンタカーを借り首里城へ向かいまが、沖縄の運転マナーがわからないのが一番の不安です。案の定、こちらよりも強引な割り込みや右折で怖かったですが、それがあたりまえなので誰もクラクションを鳴らしたりしません。こちらでそんなことしたら、クラクション鳴らされて煽られてしまいます。強引なようで実はとても大らかな沖縄の県民性を感じることができました。旅行中に高速道路を走りましたが、こちらの東名高速のようにハイスピードでとばす車もいないし、とても快適なドライブでした。
 首里城へ着くと、初めに目にするのが有名な守礼門です。沖縄のシンボルのような門ですが、実物は思ったより小さくて質素な門でした。守礼門をくぐって城へ向かうと最初に歓会門があります。ここからの門は石塁に備えられた城門らしい城門です。
 いくつかの門を通って本丸へたどり着きます。本丸には復元された正殿があり、内部まで復元されています。正殿の両側の南殿、北殿は外観復興で内部は展示室となっています。
 太平洋戦争で徹底的に破壊されてしまった首里城が往時の姿で復元され、現在でも整備が続いているのは素晴らしいことだと思いました。

◆場所