ほりかわじょう |
■所在地:静岡県浜松市北区細江町気賀 ■立地:平地 ■別称:− ■築城年:−
■築城者:− ■遺構等:説明板、城址碑 |
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城址碑 |
堀川城址 |
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■歴史 |
城址の説明看板によると、1560年の桶狭間の合戦で今川義元が討ち死にした後、土地の者が徳川家康の遠州侵攻に備えて堀川城と刑部城(同町)を築いた。
1568年に刑部城を落とした家康は、翌年、3千の兵を率いて堀川城へ攻め入った。男も女も戦える者およそ2千人は城に籠もって抵抗したが、またたく間に落城した。この戦いに加わった大久保彦左衛門の記した三河物語には、「男女ともになで切りにぞしたりけり。」とある。残った人々もことごとく首を打たれ、戦死者千人、斬首700人余、当時の住民の半数以上の犠牲者を出したと伝えられている。 |
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●現状(2008年10月) |
浜名湖で家族でハゼ釣りをしたとき、偶然に通りかかって見つけた城址です。コンビニでお昼ご飯を調達して、通りかかった気賀の関所に後ろ髪をひかれつつ数百メートル走ると、道路沿いに堀川城址を発見。妻の実家に近いので、いつかはこの付近の城めぐりをと思いながらも、実際はなかなかそれもかなわず、全くのノーチェックでした。
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◆場所 |

たまたま通りかかったので詳しい場所は覚えていないですが、、、確か道が分かれるところだったと思うのでこのあたりだと思います。
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