掛川城
かけがわじょう

■所在地:静岡県掛川市掛川 ■立地:丘陵上 ■別称:雲霧城、松尾城 ■築城年:1512年、1590年
■築城者:
朝比奈泰能、山内一豊 ■遺構等:復元天守、太鼓櫓、復元大手門、二の丸御殿、石垣、堀、他

復元四足門と復元天守 復元天守
復元大手門 現存の二の丸御殿

■歴史
 今川氏配下の城であったが1569年に徳川家康に攻略され、石川家成が城主となった。家康の関東移封後は豊臣方の山内一豊が城主となり、城も大改築されて現在の縄張りの基礎ができた。1600年の関ヶ原の合戦後に一豊は高知へ移封となったが、掛川城が気に入っていたので、高知城天守を築く際に同じように作ったとされている。1705年の大地震で被害を受け、1854年の安政の大地震で天守は大破し、二の丸御殿も倒壊した。天守は取り壊されたが、御殿は再建された。高知城、二条城と並んで、貴重な現存の御殿である。

●現状(1998年9月)

 掛川市の中心に位置し、掛川市のシンボルとなっている。現存の二の丸御殿や太鼓櫓があり、天守や大手門も木造で復元されている。特に天守は古絵図や高知城を参考に山内一豊時代の天守の再現を意図したものである。
 戦後には名古屋城や岡山城などのように戦争で焼けた名城の外観復興、その後、町のシンボルとしての模擬復興ブームで史実にはない天守が多くできた。平成2年に白河小峰城の御三階櫓が木造で正確に復元され、平成6年に掛川城が木造で復元されると、全国的に木造でのできる限り史実に近い形での復元が主流となった。 また、掛川市は城を中心とした景観や環境づくりに取り組んでおり、他の城による町おこしを狙う自治体は見習うべき点が多い。


◆場所