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■歴史 | ||||||||||||||||
城址の説明看板によると、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子、宗良親王を奉じて奮戦した井伊氏の勢力範囲にあった西方の最重要な拠点とされている。 当時の守将は井伊氏一族の奥山朝藤といわれ、南朝方の廷臣や浜名神戸庄庄官の県氏、大江氏など数百人が籠城したが、1339年に北朝方の武将、高 師兼の大群に攻められ、3か月にわたる攻防の末、落城した。 戦国時代に砦として再利用された形跡もある。 |
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●現状(2010年5月) | ||||||||||||||||
城址は摩訶寺の裏山になりますが、城址のすぐ東側を通る道路の千頭峯トンネルの南口の横に駐車場があり、そこから登城路があります。城址の入口の右手が東曲輪、左手が主要部になりますが、東曲輪の方は整備されていないようで、この時期では既に雑草などで踏み込むことができませんでした。 |
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◆場所 | ||||||||||||||||
(駐車場) |
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