すんぷじょう |
■所在地:静岡県静岡市葵区駿府公園1 ■立地:平地 ■別称:府中城 ■築城年:1585年
■築城者:徳川家康 ■遺構等:堀、石垣、復元東御門 他 |
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平成8年に復元された東御門 |
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本丸御殿付近 |
徳川家康像 |
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天守付近。全く形跡は残っていない。 |
発掘、復元された本丸堀 |
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桝形内から見た東御門 |
東御門 |
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東海道中膝栗毛の弥次喜多像 |
平成元年に復元された巽櫓 |
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本丸堀 |
平成21年8月11日の駿河湾地震で崩壊した石垣の修復跡 |
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■歴史 |
14世紀には駿河守護であった今川氏の居館があった。徳川家康は1549年から12年間、今川義元のもとで人質生活を送っていた。義元の死後、子の氏真は駿河に侵攻した武田信玄に追われ、駿河は焼き払われた。
1582年に武田氏が滅亡すると家康は駿河を領有することになり、1585年から駿府城の築城をはじめて翌年に浜松城から移った。1589年に城は完成したが、その翌年に家康は豊臣秀吉によって関東移封となり、城には秀吉家臣の中村一氏が入った。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いで勝利した家康は征夷大将軍となり江戸幕府を開いた。1605年に将軍職を秀忠に譲った家康は、隠居城として駿府城の改築をはじめ、現在の駿府城が完成した。1607年の完成直後に失火により本丸御殿や天守が焼失したが、すぐに再建された。
1635年以降は幕府直轄となり城代が置かれた。 |
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●現状(2011年3月) |
駿府城は現在は本丸と二の丸部分が公園となっていますが、明治時代に陸軍が建物を取り壊し、本丸堀も埋め立てたために本丸の遺構は何もなく、天守台の形跡すらありませんが、本丸堀の一部分は発掘されて復元されてます。
二の丸周囲の堀はほぼ完全に残っており、東御門と巽櫓が木造で復元されています。有料ですが内部を見ることもできます。三の丸周囲の堀も半分以上は残っています。
天守は正確な形状がわかっていませんので復元は難しいと思いますが、本丸堀と天守台が復元されたら見応えのある城址になるなと思いました。
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◆場所 |
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