甲府城
こうふじょう

■所在地:山梨県甲府市丸の内1-5-4 ■形状:平山城 ■別称:府中城、舞鶴城 ■築城年:16世紀後期
■築城者:
■遺構等:石垣、堀、

鍛冶曲輪 稲荷曲輪
天守台 天守台から北方向
山手門(復元) 内松陰門(復元)
鉄門(復元) 城址南側の堀
稲荷櫓(復元) 外側から見た稲荷櫓
 
■歴史
 築城については諸説あるが、武田氏滅亡後に甲斐を支配した徳川家康が、家臣の平岩親吉に命じて一条小山に築城を命じたのが甲府城とされる。本格的に築城が進んだのは、豊臣秀吉の統治時代で、甲斐を拝領した加藤光泰から浅野長政・幸長父子の時代に主要部分が建設されたとされている。
 江戸時代に入ると徳川一門の支配が続いたが、1704年に城主の徳川綱豊が将軍として江戸城に移り徳川家宣となると、1705年には川越城主の柳沢吉保が徳川一門以外で初めて甲府城主となった。吉保は城の修築と城下町の整備を進め、甲府繁栄の基礎を築いた。1724年に吉保の子・吉里が大和郡山に転封されると、幕府直轄領となり、以後は甲府勤番や甲府城代が城に入った。明治維新後の1873年に廃城となった。

●現状(2019年8月)

 家族旅行で甲府を訪れた際に、家族と別行動で一人で訪れました。見事な石垣と堀が残っており、さらに鍛冶曲輪門、内松陰門、山手門、鉄門、稲荷櫓、塀など複数の建造物が復元されているため、大変見応えのある城です。
 三段構えの石垣の平山城であり高さがあるため、天守台に登ると甲府の市街地が一望でき、甲府支配の拠点であったことが実感できます。立派な天守台ですが、実際に天守があったかどうかは不明なのだそうです。
 本丸に立っている塔は1922年に建てられた明治天皇の謝恩碑で、甲府のシンボルタワー的な存在です。


◆場所