躑躅が崎館
つつじがさきやかた

■所在地:山梨県甲府市古府中町 ■形状: ■別称:武田氏館 ■築城年:1519年
■築城者:
武田信虎 ■遺構等:曲輪、堀、土塁

主郭(武田神社) 居館南側の堀
西曲輪 大手門脇の土塁
北側の無名曲輪付近 大手付近
■歴史
 1519年に甲斐の国主・武田信虎は、それまでの守護の館であった甲府盆地東部の川田館から移転し、甲府盆地中央に居を構えた。翌1520年には館の北方に要害山城、1523年には西方に湯村山城を築いて館の守りを固めた。
 当初は単郭の館であったが、信玄、勝頼と三代にわたり曲輪を増築して規模を拡大した。
 武田家滅亡後は、織田信長家臣の河尻秀隆が入ったといわれている。秀隆は本能寺の変後の混乱の中、武田家遺臣に襲われ落命した。
 その後は徳川家康の甲斐支配の拠点となったが、1590年に甲府城が築城され役割を終えた。

●現状(2019年8月)

 甲府へ家族旅行へ行った際に寄りました。甲府では主要は観光地であり、当日は雨天であったにも関わらず、多くの人が訪れていました。現在は武田神社となっていますが、主な曲輪や堀、土塁が状態よく残っており、城址として大変見応えがあります。館というにはかなり広くて、武田家三代の拠点として近世城郭並みの規模であったことがうかがえます。
 戦国最強といわれた武田氏ですが、天下統一の足掛かりとして拠点を移していった信長や秀吉とは対照的に、領土を広げても拠点を移さなかった点に、天下人としての限界を感じずにはいられません。


◆場所