1377年に松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)が、ここ”六所山”→以前は吉木(よしき)山or芳樹山と称されたようである:に六所明神を勧請奉祀した。以後、六所神社・本宮の奥(愛知県豊田市坂上町)に『隠居神』として鎮座するのが、この”蜂ケ峰さん”:蜂ケ峰神社である。
親氏(ちかうじ)は、徳川家康の九代前の祖先である。
今年も恒例の蜂ケ峰神社祭が、7月18日に行われた。この蜂ケ峰神社」は、もっと旧い神社である。この里山の民が信仰していた神社は、もとはこの神社であったのである。資料によると・・・。
「しかし、六所山頂のいまの六所神社の裏手の小高い地にある蜂ケ峰神社(吉木宮あるいは芳樹宮)は、平安時代末期にすでに神社として成立していたと考えられる。その理由は、いまは俗に「隠居神様」といわれるこの神社の北東20mの地帯に、鎌倉時代を中心とする陶器がおびただしく散在していた。その陶器の中に、少数ではあるが段皿(だんざら)や、灰釉(はいゆう)や輪花(りんか)認められるものがあって、これらは平安時代の瓷器(しき)に属するからである。しかも陶器が発見されるのは、窯の跡とは考えられず、その時代にここで祭祀が行われていて、お祀りの度ごとに、お供えに使用した土器:かわらけを、そこに捨てたものと考えられる可能性がある。
更に、それよりも東方10mにやや平坦な「寺屋敷」と言われる場所がある。いまも敷石が存在しているが、これはいまの”地蔵院”の前身の地と伝えられていて、神宮寺の旧跡と考え得る可能性がある。 こうした遺物やク遺跡の存在は神社が平安時代に成立していたことの裏付けになると考えられる。 ・・・・・・・「松平町誌」より
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