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鳳来寺山。時々、ふらっと訪れます。大抵一人の時には、長い石段を登って上まで行きます。
そのときの景色をご紹介させていただきます! |
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T 鳳来寺のこと ○ 参考資料: 鳳来町観光協会 Tel 0536-320022
http://www.honokuni.or.jp/hourai/ |
1 鳳来寺山
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”仏法僧”と鳴く(注:ブッ・ポーソーゥ・・・ブッ・ポーソーゥと鳴いているように聞こえる)鳥の声が聞かれる鳳来寺山は、奥三河に分布する旧火山郡の最南端にあって、東三河平野を隔て三河湾を望む事が出来ます。(山頂・瑠璃山は標高695m)
この山は、約2000万年〜1500万年前、何回かの火山活動によって噴出した流紋岩漿による松脂岩や石英安山岩等で構成されており、その後の地殻変動と風化侵食作用によって原形を失い、現在の険しい岩山となっております。
その特異な山容は古くから信仰の対象とされ、多くの伝説や文学作品が生まれています。
:鳳来町観光協会 |
2 昔の呼び名 |
昔、鳳来寺山に高さが100m以上の桐の大木があったことから、この山を桐生山と呼んでいた。この桐には鳳凰が住み、枝跡には龍が棲んでいたといわれている。 |
3 利修仙人
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利修仙人は、570年(飛鳥時代)山城国に生まれ、役(えん)の行者の兄弟子といわれている。長じた後千寿峰(現、峰付近)に移り住み、鳳来寺山山頂にあった霊木7本杉の1本を切って、峰薬師如来を彫ったと言われている。
その後(655年頃)、百済に渡って仙術や仏教を学び鳳凰(ほうおう)に乗って帰国し、鳳来寺山中に住み三匹の鬼神を自由自在に使っていた。
698年文武(もんむ)天皇が重い病気になられた時鳳凰に乗って都に行き、祈祷によって天皇のご病気を治された。
天皇は大変慶ばれ、お礼に寺を建てることを約束され、大宝3年(703年)この桐生山に寺を建てて鳳来寺と命名し、仙人の労に報いられた。
その後、聖武天皇が病気になられた時、お后の光明皇后が鳳来寺薬師如来に祈願されたところ、まもなく全快されたので、お喜びになり「鳳来寺」とお書きになり、寺に贈られた。
現在、仁王門(昭和28年11月14日 国指定重要文化財)に掲げてある額の字がそれである。
878年(平安時代)利修仙人、309歳で入寂。この時仙人に従っていた3匹の鬼神を諭し、その首を撥(は)ね本堂下に封じ込め鳳来寺を守護させたといわれ、この3匹の鬼神の霊を慰めるために鳳来寺田楽(でんがく)が始まったと伝えられている。
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4 鳳来寺
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文武(もんむ)天皇の大宝3年(703年)に利修仙人によって開かれた真言宗の古刹。
鎌倉時代に源頼朝によって再興され、三十塔が建立されたと伝えられている。
利修仙人作の本尊薬師如来を祀り、薬師信仰と山岳修験道の霊山として古くから信仰を集めてきた。
江戸時代になってからは、松平広忠と夫人於大の方が鳳来寺の峯薬師如来に子授けを祈願し家康を授かったという、徳川家康誕生の縁起によって、鳳来寺は幕府の厚い保護を受け、三代将軍家光の時代には21坊院、寺領1350石という盛大さを誇った。
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鳳来寺表参道の石段を登り、仁王門をくぐると真っ直ぐに立ち上がった杉の巨木が眼の前に現れる。これが傘杉である。
「傘杉」と呼ばれるのは、真っ直ぐに伸びた幹の上方で枝が四方に広がり、その形が傘の様に見えることからである。
樹齢800年といわれ、幹周囲が7.5m、枝下の高さ30m、樹高60mであり現存する杉では日本で一番高い杉である。
また、杉の分類学上においても貴重な品種で、杉としての姿形・品質もまた日本一の杉であるといわれている。 |
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5 鳳来寺東照宮
(昭和28年11月14日 国指定重要文化財)
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慶安元年(1648年)4月、三代将軍徳川家光は日光東照宮参詣のおり、「日光東照宮御縁起」を見て、家康の父・広忠が夫人於大の方とともに鳳来寺の峯薬師如来に祈願し家康が生まれたことにあらためて感銘した。
そこで、祖父報恩のため、家光は鳳来寺に東照宮の建設を命じ、四代将軍家綱が慶安4年9月に完成させた。
全国には多くの東照宮があるが、鳳来寺東照宮は日光、久能山とともに三東照宮と称される。 |
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U 本堂までの景色 画面の上でクリックすると大きな絵が見られます。 |
鳳来石は、硯石の原料となる。 |
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名倉氏は、硯石を制作・販売している。 |
必ず、寄せて頂くことにしている。 |
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「鳳鳴堂」店主は、大学で美術を専攻された。 |
この麓には、二軒の店がある。 |
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さて、長い石段が待っている。 |
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山の頂が神々しい。 |
入り口の光景だ。 |
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鳳来特有の石。 |
雨に濡れた石段も美しい。 |
行き交う人は、いつもお互い挨拶をする。 |
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相当のぼると、やがて仁王門がある。 |
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ここまで来ると、汗も出てくる。 |
しかし、
ここからが参道! |
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思わず、 |
大きなため息 |
説明が書いてある。 |
門をくぐると、すぐ左に・・。 |
参道は、石段で続く |
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この3枚が「傘杉」 |
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最盛期には、 |
27もの院坊があったという。 |
マムシグサも可愛い |
石仏に励まされながら・・ |
院坊は朽ちている |
建物もあったことと思う |
参道の中程に、「厄除不動明王」 |
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無住らしき「松高院」 |
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ここにも院坊の跡・・。 |
院坊の跡が何故か寂しげだ。 |
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パノラマに合成してみた。
9割方のぼると |
平地になった部分がある |
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もうすぐ、本堂がある。 |
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この奥に進むと売店。 |
本堂に来た。南には休憩所が備えてある。かなり広い。 |
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本堂の右を進むと売店。 |
売店に向かう |
売店より本堂を見る |
休憩所からの |
眺望だ! |
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五平餅を食した。
中年の女性がお二人で店の番をされている。
毎週登られる方もいるということだった。
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さぁ〜て、 |
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もとの道を下ることにする。 |
登り風景と、 |
下り風景が、これほどに |
異なって見えるのは |
何故か?! |
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野草が優しく |
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院坊の跡はもの悲しく・・・。
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参拝者と言葉を交わしながら |
石仏に心の中で |
平和をお願いしながら・・・。 |
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サラサラと清水が石を洗っている。 |
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そぼ降る雨に、蕗が目を覚ます。 |
元の仁王門に戻った。 |
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