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我が家から、地蔵様を見てみると、このような景色となる。 今は舗装されて、ここから上ったところの「青少年野外教育センター」に小学生達を送迎するバスが通る。 昔は、荷車が通り、牛車が木材を運搬した。 その道は、もっと狭かった。舗装もされていなかった。 この地蔵は、我が父が徴兵されたときに「武運長久」を願って安置したものである。終戦後、無事に帰ったと言うことで、新しいものにしてここに再び祀った。 |
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村の上 | |||||
左は、父が祀ったものである。 右は、小生が祀ったものだ。屋根はない。 |
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私は、父が死ぬまで父に反目していた。何処の親子にも、それぞれに異なった事情があるにせよ、父親と息子の間にはそんなケースは多い。これは父と息子の宿命かもしれない。そう思っている。 私は、「”長男”だから・・・」と、家に縛られることに反発した。そして、希望の学校に行くことを許さなかった父を許せなかった。 だが、父が逝って、葬儀車で火葬場に送るときに、火葬場の下まで付いたときに、突然、慟哭した。声を上げて泣いた。振り返れば、そのときの自分は60歳になっていた。車の中には、葬儀車の運転手さんと、位牌を持つ私の二人だけだった。『お前は、可愛かった。大切な子として可愛がってやったんだ!』と、何処からか声がした気がしてきて、突然に泣けたのである。 |
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この地蔵様の位置から、ご覧のように村がほぼ一望できる。村の下の風景だ。還暦を過ぎた今、父はもう居ない。そして、あれほど嫌だったこの田舎が好きなのである。身勝手なものである。ここの風土に育てられて今の自分がある。感謝の気持ちが沸々とわき出してくる。きっと、父と同じ気持ちであろうと思う。心より村の繁栄と安寧を祈念して止まない。 | |||||