村の地蔵は見てござる
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我が家から、地蔵様を見てみると、このような景色となる。
 今は舗装されて、ここから上ったところの「青少年野外教育センター」に小学生達を送迎するバスが通る。
 昔は、荷車が通り、牛車が木材を運搬した。
 その道は、もっと狭かった。舗装もされていなかった。
 この地蔵は、我が父が徴兵されたときに「武運長久」を願って安置したものである。終戦後、無事に帰ったと言うことで、新しいものにしてここに再び祀った。





 元のものは、我が家の裏庭に安置した。
 今も我が家では、華を欠かさないで、奉祀している。
 今は亡き父が、裏庭を創るときにここに設置した。

  始めは、左の写真のようにもう少し上にあった。
 しかし、昨年、妻が裏庭の掃除中に石垣の草を取りに登って、作業中に転落したときに、この地蔵様に触れた。
 そうしたら、転落した妻の上にこの地蔵様が転がり落ちてきた。
 元の位置に戻そうとしたが、重くて上げられないので、右の写真のように一番下に安置させて頂いた。
 妻に怪我はなかった。



Link 地蔵信仰の所以(ゆえん)
 村の上
 左は、父が祀ったものである。

 右は、小生が祀ったものだ。屋根はない。
 私は、父が死ぬまで父に反目していた。何処の親子にも、それぞれに異なった事情があるにせよ、父親と息子の間にはそんなケースは多い。これは父と息子の宿命かもしれない。そう思っている。
 私は、「”長男”だから・・・」と、家に縛られることに反発した。そして、希望の学校に行くことを許さなかった父を許せなかった。
 だが、父が逝って、葬儀車で火葬場に送るときに、火葬場の下まで付いたときに、突然、慟哭した。声を上げて泣いた。振り返れば、そのときの自分は60歳になっていた。車の中には、葬儀車の運転手さんと、位牌を持つ私の二人だけだった。『お前は、可愛かった。大切な子として可愛がってやったんだ!』と、何処からか声がした気がしてきて、突然に泣けたのである。
 さて、父はこの里を本当に愛していた。戦地に行っても、里のことを思い出し、一日も早くここに帰りたいと願っていたと言った。小生が、田舎を嫌がって、何とか外に出たいと思って、父に懇願したときに、父はそう言いながら・・・・・、小生のこの気持ちを理解できなかった。
 結果、小生は紆余曲折を経て、里に生きている。
 そして、大過なく勤めることができて定年退職した。
 父とは、願いは違うが心を込めて、父親の祀った石仏の横に、新しいものを安置した。
 若いときに、あれほど嫌だったこの村に、こころから感謝して、里山の安寧と繁栄を願わずにはいられないからだ。
  この地蔵様の位置から、ご覧のように村がほぼ一望できる。村の下の風景だ。還暦を過ぎた今、父はもう居ない。そして、あれほど嫌だったこの田舎が好きなのである。身勝手なものである。ここの風土に育てられて今の自分がある。感謝の気持ちが沸々とわき出してくる。きっと、父と同じ気持ちであろうと思う。心より村の繁栄と安寧を祈念して止まない。