☆ 高月院の歴史のあらまし ☆ |
1367 |
貞治6 |
高月院、足助次郎重宗の子、重政(寛立上人)が松平郷主在原信重の援護を受けて「寂静寺」として建立。 |
1377 |
永和3 |
社伝「朝野襃藁(ほうこう)」による。「寂静寺」親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進してから高月院と改め松平氏の菩提寺となる。 |
1437 |
永享9 |
高月院墓石:9/20高月院松平氏墓所宝篋印塔・二代泰親。 |
1523 |
大永3 |
松平清康、安祥城から岡崎城に移る。松平長親、高月院に土地を寄進する。 |
1542 |
天文11 |
12/26徳川家康、岡崎城に松平広忠の子として生まれる。 |
1547 |
天文16 |
松平竹千代(家康)、駿府今川氏に送られる途中奪われ、織田信秀の人質 |
1549 |
天文18 |
11/9今川義元方大原雪斉、安祥城に織田信弘を攻め落とし、松平竹千代と交換する。11松平竹千代(8才)、今川氏人質として駿府へゆく。 |
1558 |
永禄元 |
家康、岡崎城の城主となる(〜1569)。この間に、岡崎城に近い高宮村(現在の明大寺町)の六所神社に、吉木山(妙昌寺文書には、「芳樹山」とある。)の御祭神六柱のうち三柱の神が勧請遷座(「松平家文書」に、六所神社は永禄年中に高宮村の六所神社へ衣冠束帯の神像三体、地蔵尊三体を遷御した。・・、とある。) |
1601 |
慶長6 |
高月院、家康により寺領100石が与えられ明治維新までときの将軍からあつい保護を受けた。 |
1602 |
慶長7 |
家康は、高月院の祖廟参詣の節に、吉木山(妙昌寺文書には、「芳樹山」とある。)六所神社に20石の初穂料を献じる。家康、妙昌寺に梁山・曲り村内20石を寄付。 |
1641 |
寛永18 |
高月院、山門や本堂、徳川家光により建立。 |
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