うぐいす【鶯】ウグヒス スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。大きさはスズメぐらい。背面褐緑色、下面白く、白色の眉斑がある。低山帯から高山帯の低木林に至るまで繁殖し、冬は低地に移り、市街地にも現れる。 さえずりの声が殊によい。別名、春鳥・春告(はるつげ)鳥・花見鳥・歌詠(うたよみ)鳥・経読(きょうよみ)鳥・匂鳥・人来(ひとく)鳥・百千(ももち)鳥など。 春 。 万葉集20「春立たばまづ我が宿に鶯は鳴け」 広辞苑より |
村の中程 | |
もう少し我が家に近づく。 この辺りが中央通りと言ったところ・・・。 |
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村の一番下の家から、六所山を望む。 この辺りは標高300m位。 あの高い山が六所山約606mの標高。 この道は、ほ場整備された後にできた農道である。 ほ場整備後、随分と村の景色は変わった。 |
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今日で、定年退職。 ウグイスの声で眼が覚めた。 まだ、薄暗かった。 ****************** これは秋の写真だ。 村の、里山の風景。 |
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今年になって、村で二件の葬儀があった。 老人は静かに逝き。 若者は町に出て、帰ってこない。 村の小学校は、合併するという。 過疎化を食い止めるには、この”自然”を貴重な資源として再確認することからだ。 鶯は啼いて、そう訴えたような気がした。 |
大 祓 詞おおはらえことば 高天原(たかまのはら)に神留坐(かむずまりま)す皇(すめら)が親神漏岐神漏美命(むつかむろぎかむろみのみこ)以(も)ちて八百万神等(やおよよずのかみたち)を神集(かみつど)へに集賜(つどへたま)ひ(イ)神議(かむはか)りに議賜(はかりたま)ひて我(あ)が皇御孫命(すめまみこと)は豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)を安国(やすくに)と平(たいら)けく知食(しろしめ)せと事依(ことよさしまつ)りき。 此(か)く依奉(よさしまつ)りし国内(くぬち)に荒振(あらぶる)神等(かみたち)をば神問(かむと)は(ワ)しに問賜(とわしたま)ひ神掃(かむはら)ひ(イ)に掃賜(はらいたま)ひて語問(ことと)ひ(イ)し磐根樹根立草(いわねきねたちくさ)の片葉(かきは)をも語止(ことやめ)て天(あめ)の磐座放(いわくらはなち)天(あめ)の八重雲(やえぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て天降(あまくだ)し依奉(よさしまつ)りき。 此(か)く依奉(よさしまつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と大倭日高見国(おおやまとひだかみのくに)を安国(やすくに)と定奉(さだめまつり)て下(した)つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(みやばしらふとしきた)て高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みず)の御殿仕奉(みあらかつかえまつ)りて天(あめ)の御蔭日(みかげひ)の御蔭(みかげ)と穏坐(かくりま)して安国(やすくに)と平(たいら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に成出(なりいで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が過犯(あやまちおか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は天(あま)つ罪国(つみくに)つ罪許許太久(つみここだく)の罪出(つみい)でむ。 此(か)く出(い)でば天(あま)つ宮事以(みやごともち)て天(あま)つ金木(かなぎ)を本打切(もとうちき)り末打断(すえうちた)ちて千座 (ちくら)の置座(おきくら)に置足(おきたら)は(ワ)して天(あま)つ菅麻(すがそ)を本刈断末刈切(もとかりたちすえかりき)りて八針(やはり)に取辟(とりさ)きて天(あま)つ祝詞(のりと)の太祝詞言(ふとのりとごと)を宣(の)れ。 此(か)く宣(の)らば天(あま)つ神(かみ)は天(あめ)の磐門(いわと)を押披(おしひら)きて天(あめ)の八重雲(やえぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て聞食(きこしめ)さむ。国(くに)つ神(かみ)は高山(たかやま)の末短山(すえひきやま)の末(すえ)に上坐(のぼりま)して高山(たかやま)の伊褒理短山(いぼりひきやま)の伊褒理(いぼり)を掻別(かきわ)けて聞食(きこしめ)さむ。 此(か)く聞食(きこしめ)してば罪(つみ)と云(い)ふ(う)罪(つみ)は在(あ)らじと科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やえぐも)を吹放(ふきはな)つ事(こと)の如(ごと)く朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆうべ)の御霧(みぎり)を朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹払(ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く、大津辺(おおつべ)に居(お)る大船(おおふね)を舳解放(へときはな)ち艫解放(ともときはな)ちて大海原(おおうなばら)に押放(おしはな)つ事(こと)の如(ごと)く、彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を焼鎌(やきがま)の敏鎌以(とがまも)ちて打払(うちはら)ふ(う)事(こと)の如(ごと)く、遺(もこ)る罪は在(あ)らじとと祓(はら)え給(たま)ひ(い)清(きよめ)給(たま)ふ(う)事を高山(たかやま)の末短山(すえひきやま)の末(すえ)より佐久那太理(さくなだり)に落多岐(おちたぎ)つ速川(はやかわ)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比売(せおりつひめ)と云(い)ふ(う)神(かみ)大海原(おおうなばら)に持出(もちい)でなむ。 此(か)く持出(もちい)でなば荒潮(あらしお)の潮の八百道(やおじ)の八潮道(やしおじ)の潮の八百会(やおあい)いに坐(ま)す速開都比売(はやあきつひめ)と云(い)ふ神持加加呑(かみもちかかの)みてむ。 此(か)く加加呑(かかの)みてば気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す気吹戸主(いぶきどぬし)と云(い)ふ(う)神(かみ)根国(ねのくに)底国(そこのくに)に気吹(いぶき)放(はな)ちてむ。 此(か)く気吹(いぶき)放(はな)ちてば根国(ねのくに)底国(そこのくに)に坐(ま)す速佐須良比売(はやさすらひめ)と云(い)ふ(う)神持佐須良(かみもちさすら)ひ(イ)失(うしな)ひ(イ)てむ。 此(か)く佐須良比(さすらひ)失(うしな)ひ(イ)てば罪(つみ)と云(い)ふ(う)罪は在(あ)らじと祓(はら)え給(たま)ひ(い)清(きよめ)給(たま)ふ(う)事を天(あま)つ神国(かみくに)つ神八百万神等(かみやおよろおずのかみたち)と共(もと)もに聞食(きこしめ)せと白(もう)す。 |
歴史家 松本健一氏(麗澤大学国際経済学部教授。 1946年生まれ。68年東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。評論・評伝・小説など多方面で活躍。著書:『砂の文明・石の文明・泥の文明』)は、世界の文明を以下の三つに分けている。 > > @ 砂の文明 → イスラムの本質「ネットワークする力」 > > A 石の文明 → 欧米の本質「外に進出する力」 > > B 泥の文明 → アジアなど:「内に蓄積する力」 面白い話ですね。 日本人のこころの中に、一神教の思想は芽生えにくい。・・・・という。 松本健一氏は、宇宙進化論の松井孝典氏との対談で、『泥』からいろんな神が生まれる思想が根底にある。と、述べていました。 |
2004年がこの村にも来た。 大晦日に大払式。そして、一月元旦の歳旦祭。 皆、健康でお互いに歳を取って、顔にシワが増し て来た。 村の皆が、幼い頃からの馴染みである。 神社を巡って、村の行事は毎年変わりなく繰り返さ れるが、それぞれの家族と、こころの中身は共に変化 してゆく。 時代は明らかに変化している。 |
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新年の祭礼の御神酒を頂きしばしの談笑。 | 地蔵院に参拝して、それぞれ家庭に帰る。 |
珍しい初雪。我が家の前隣。柿の木。 | 村の神社(下宮)。村中がどんよりと雪景色。 |
村の芝居舞台。(歴史は古い)このむこうの山に 我が家の墓があり、親父は眠っている。 |
裏山を見ると、勿論、雪! まるで、子どもみたいに心が弾んだ! |
村の子どもに、雪合戦を挑まれた。 | 家の下も、勿論、雪。 |
☆ 新嘗祭 ☆ 8:00 下宮集合 ○各戸・・新米7合持参。 ○村内の4カ所に分散した 地の神に捧げもの。 二班に分かれて、参拝する。 ○一部は残って下宮を清掃する。 △そうこうする内に、 女房達が持参した米を炊いて 御幣餅(五平餅)を作る。 ○男衆は、幟を立てて、釜を設える。 そして新嘗祭の神事。 △村の健康な住民は、 全員が集まって、会食する。 この上なく、愉しい一時だ。 今年も健康で、ここに参集した。飲んだり笑って日頃の何でもないことなどを、話し合う。・・・、これが愉しいのだ。 |
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『宮口村中 安政六年』の釜を、毎年今でも使っている。 凶作続きの年が続いた頃、この下宮の”郷蔵”から備蓄していた米を出して、炊き出しをしたに違いない。 |
村の夫婦が中心となって、御幣餅(五平餅)を作る。 漬け物は、各家の味を持ち寄る。 酒が、ビールが出て、みんなで語り合う。 我が村の”新嘗祭”。 |
1377年 (永和3年) |
創建:1377年(永和3年)8月19日松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)、吉木山(又は芳樹山と記す)に陸奥の国一之宮塩竈六所明神を勧請奉祀する。 ご本殿を芳樹(よしき)の宮と名付け、六所大明神と称した。猿田彦神(さるたひこのかみ)、事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)、岐神(くなどのかみ)、日本武尊(やまとたけるのかみ)を、御祭神とする。 |