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その1・・自分をふり返る挑戦。
  •  生きた自分の足跡を遺したいのだ。・・・・。
  •  生きてきた。もがきながら喘ぎながら生きてきた。
  •  しかし、このことは客観的に振り返れば、これ程”ささやか”で些細なコトはなかろう。
  •  ここで『宣言』するほどのことではない。
  •  人皆に,掛け替えのない人生があり、精一杯生きている。
  •   そして,誰もが漏れなく老いて、やがて死んでゆく。
  •  小生も、それをしてきただけである。
  •  ささやかで、何でもないことだが、
  •     それでも敢えてそんな自分を振り返ることに『挑戦』するわけである。
六中観に・・・
     迷路に陥ったときに、目指すべき方向だけは示しておいてやれれば・・と思うのだ。

    「手探りの人生」。しかし、視点を誤らなければ、人生は”孤独”ではなく、難しいものでもない。
    しかし、ある時期以降、山の姿が変わった。
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人 工 林
広葉樹よりも、杉・檜の方が建築用材として、高額で売れると言うことで、こぞって人工林の造成を行った。村の先人達は、苦労して人工林の管理を行いそれを続けた。
A
外 国 産
しかし、建材は外国産の物の方が安く手に入る時代になったのだ。
国際化の世の中だ。
B
里 山 放 置
そこで、日本の林業は成り立たなくなり、里の山は放置せざるを得なくなった。
C
生 物 の
多様化阻害
山は、密生し、山肌に日光が届かなくなった。広葉樹が落とす果実の量も著しく減少した。イノシシなどの山の動物たちは、人里の田畑に出てきて、農産物を荒らすようになった。共生の道はないか?!
 初秋の山。土手に見えるところは、圃場整備前には細長い水田があった。この土手の手前の平地が整備後の水田である。この水田は、およそ2,800u。
 トラクターで耕起しながら山を撮った。この山には檜・松が植林してある。しかし、落葉広葉樹を主体に密生して、植林した樹木は陰に密やかに生きている。
 ここからイノシシが時々出てきて、水田を荒らす。
 私は、この山の中に入って、樹木を整理した。密生していて山中に入るには苦労する。地面は落ち葉が覆っているが、草はない。日光が届かないからだ。
 昔は、ヒトが入って燃料として適当に整理したのだ。大きなものは炭焼きをした。椎茸菌を接種したり、割木として町に需要があった。
 上手く循環して、小動物のえさも豊富に有った。
 上手く循環していたのだ。田畑に出てきて、農作物を食べなくてもイノシシは生きて行けたに違いない。
 これらの山をを間伐したいのだ。
 この写真は昨年の間伐前のもの。と、およそ3日間掛けて間伐した後の写真をお示しします。
 適当に広葉樹も残し、混み入った部分を伐採した。まだ、今後3割ほど間伐する。一挙にはできない。
 今年は、何故か紅葉が遅いので、一見、間伐前の方が美しい。
 だが、山の木の根本に光が射し込んでいるので、きっと、草が生えてきて、環境は良くなるはずである。
 空中のCO
吸収も、多くなるはずである。
上の写真、間伐途中のもの 2004年2月のものです。
その後、左側に手を入れました。この程度に全体に手入れを行う予定です。

 約3.7Kgのチェンソーは、一日振り回すと腰が痛む。思わずうなり声が出るほどに・・・。
 それに、使いこなすには一寸した技術が必要だ。
 一瞬でも、集中心が薄れると、大腿部に傷を負うことになる。

              
  ☆ 木工旋盤に挑戦だ! Link  木工旋盤にむかう  
 正直に言えば、鼻で笑われるような挑戦である。
 『定年退職して、そのままロクロ師?! 世の中を甘く見るなよ!』・・・と。
 事実、そんな空気が周囲に感じられないわけではない。
 『肩書き』『経歴』説得力を持たないというわけである。まぁ、・・・・・実績を見ていただくことにしよう。
 毎日、夜も夢の中で格闘するほどに、木工旋盤に専念している。想えば、これほど幸せなことはないが・・・・。 
 農作業も山つくりも体力がいる仕事であった。背や腰(back-bone)を痛めてしまう。
 還暦をすぎた男には、気ばかりが早足で先回りしてしまって、体を痛めてしまったのである。・・・・・・。
 ゆっくりとやるしかないようだ。
 「挑戦!」・・・・と、宣言するには、もう一つ理由がある。
 農業高校で37年間、農業・林業技術者の育成に携わってきた自分は、・・・・・、定年後の今、子供たちに伝えてきたことを身をもって実践することが、最後の任務だと想うからである。
 「農業」の教職免許を持つ者は、畜産・作物栽培・林業・林産加工、・・・・・等の技術者を育成して来たわけである。
 自分にできないことを口先だけで、謂わば「舌先三寸」で、県の税金を給与として頂いて来たとは思われたくないのである。
 私が愛した教え子の中には、庭師もいる。肉製品製造業に従事する者もいる。製薬会社の実験動物を管理する者もいる。酒造会社の中堅もいる。酪農家もいる。養鶏組合の会長さんもいる。外国に出て自然保護に尽力している者もいる。青年海外協力隊員として尽くした者もいる。鍼灸師、保健所勤務の獣医師。皆、懐かしい教え子たちである。もう・・・・・・。随分とよい親父になった。
 皆、苦労しながら頑張って、重要な国の礎になっている。(^_^)v
 彼らに対して、口先だけではなかったことを、実践で示して伝えたいのである。
 『お〜ぃ! 私も今のところ元気に頑張っているぞ!!』と、励ましのエールを送るには、老体のこの身の体力の許すこの挑戦しかないのである。目下、このことに専念の毎日である。
 彼らに心より励ましのエールを送りたいのだ。
 彼らが、皆、幸せで頑張っていると思うことが、私のエネルギー源に他ならない。
                                                       
  
次の、
  
星寛治氏の、 「農の世紀に」は、胸を打つ。
          
(山形県高畠町在住の有機農業・農民詩人、約3ヘクタールの田畑・果樹園・乳牛飼育)

              





























  









































































    
 













































































  
  
 







































































 







































































 

































































 


 























  













  
 




















  














  













  












  













  













  
 

























  















  













  














  













  
 






















  











  










  









  














  
 





















  














  












  













  











  










  










  













  


            


挑戦
それは
”夢”
途方もなく大きいく
ロマンは膨れる

コツコツと、やるぞ!
へたばらずにやり遂げたい!!
Well, this is my challenge.
There is even my dream in it.
Something that swells greatly,
as much as a dream ,is ridiculous and big.