ネイティブアメリカンの口承史 貴方は アクセスカウンター 番目のお客様です。  ようこそ!
    
参考:
☆ 「THE WALKING PEOPLE 一万年の旅路」ネイティブアメリカンの口承史 ☆
          ※ 一万年間語り継がれたモンゴロイドの大いなる旅路 ※
       
ポーラ・アンダーウッド 星川淳 訳 翔泳社より 抜粋
 ネイティブアメリカンの口承史の価値について、科学的に疑念を抱く方もいるかもしれない。
 しかし、私はこれを尊重したいと思う。
 シュリーマンが古代遺跡を発掘したのは、彼が伝承を信じたからである。
 また、アイヌ民族に口承されたユーカラも、金田一京介に注目され民族史としての価値を改めて見直された。
 或いは、聖書に書かれた「出エジプト記」も、『そんなことはあり得ない!』と、大方の人は思ていたが、現代科学により、最近になってそれが真実であることが実証された。
 私は”人類の知恵”を信じる。
 この著書の中に述べられていることの多くが、関連するその他の歴史書と符合して興味深い。
 永い年月を通じて、代々選ばれた子孫に継承された口承史である。

 口承は、歌うように節となだらかなメロディーをつけて伝えられたと思う。

 言葉や情景の表現は、時代時代の情緒の進化・変化が反映されているかもしれない。・・・と推測する。

 しかし、興味深い。


補1:ハインリッヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann,1822〜1890)は、ドイツの考古学者。
  ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアがに出実在することを発掘によって証明した。
         出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋

補2:ユーカ(yukar)は、アイヌ民族に伝わる叙情詩の総称である。

  短いものから何日もかけて語られる長いものまである。アイヌは文字を持たないため、口承で伝えられてきた。
  ユカともいう。カナ表記は統一されていないが、カタカナを用いる場合、萱野茂は「ユカ」とした方がより忠実としている。またローマ字表記は知里真志保の表記法による。
   日本における近代アイヌ研究の創始者とも言える金田一京助の分類によると、『ユーカ』は、『人間のユーカラ』(英雄叙事詩)と『カムイユーカラ』(神謡)の二種類に分けられる。
   人間(=アイヌ)を中心として語られる『ユーカラ』は、主にポンヤウンペと呼ばれる少年が活躍する冒険譚である。
   アイヌの人々が、文字を持たないアイヌ語によって、自然の神々の神話や英雄の伝説を、口伝えの言葉による豊かな表現で、語り伝えてきた。
  しかし、アイヌ語・アイヌ文化の衰退とともに、『ユーカラ』をはじめとする口承文学の語り手も次第に少なくなっていった。
   しかし、アイヌ語・アイヌ文化の復興運動の中で、ユーカラをはじめとする口承文芸を練習・習得した、
  新しい語り手も育ってきている。
         出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋
 ご紹介する著書の抜粋は、改行・漢字の表記など、原著に忠実にするように努めた。
 ただし、この中に注として加えたものに二種委があることをお断りしておきます。
 @ 【】内の注は、原著内に記された訳者・及び口承者の補足を参考に記載しました。
 A ()内は、管理人の感想に基づくものである。
☆ 一族の別れのとき、語られた老婆からの口承史  180ページ〜
 ”はじまりの歌”が、歌われるに至るまでのいきさつ ・・
 彼らが北米大陸にまで達したときに、苦難の末安住の地かと思われる場所にたどり着いた。
 しかし、そこには先住民たちが居た。彼らは海上を移動してハワイを経てやってきた、カヌーを上手に扱う人々<水を渡る民>であった。
 しばらくの年数、彼らの近く<大海のほとり>に居住したが親しくなれないまま時が過ぎて、ある日、突然のように別な地に立ち退くように言われた。
 行き先を思いあぐねたが、どの方向も先行きの難儀な旅になりそうであった。そこで、老人と子供たちだけは、そのまま留まることを依願して、それが受け入れられた。
 さて、旅立ちに先立って、共に旅の出来ない老人が、去りゆく一族たちに口承をした。
 それは、彼らがベーリング海を渡ってからおよそ78年後のことだった。86才の老婆が語る話は、三日間かかって、一族に口承された。
 それは、これまでに聴いたことのない話であった。
 旅立たなければならない人々には、初めて聴く話が三つあった。
 ここに、誠に興味深いその話の一部をご紹介する。        
 ・・・・管理人(以後、下の記述の中に【】内に補足したのは、本の中の注や補足から、管理人の推測したもの)
 
 1,大地溝帯との遭遇と気候の変化のこと ・・・・ ”出アフリカ”   
注:
      写真: NHK高校講座 地学「人類誕生への道」より
 
ネアンデルタール人を含めておよそ20種の人類が存在した。しかし、ホモサピエンス以外は、皆、絶滅した。
 現人類はホモサピエンスである。アフリカに生まれ、世界各地に拡散した。





























「はじまりの歌」・・
 
さて言っておくが、わが一族のはじまりは<大海のほとり>の里よりはるか昔に遡る。それはあまりにも遠い昔で、だれ一人時を数えることも出来ないほど。であるにもかかわらず、われらのあいだには次のような物語が伝えられてきた。
 遠い昔、遠い昔、遠い昔・・・・・わが一族は緩やかな群れをつくって暮らし、太陽がたまにしか見えないほどの背の高い木々のあいだを縫って日々を過ごしていた。それは呑気な時代。手を伸ばしさえすれば何かしら熟れた果実に恵まれる時代であった。
 それはまた、滝をなして降り注ぐ雨が木の葉や枝のつけ根にたまり、大地からばかりか木々からも水を求められる時代であった。木々の下の地面はしばしばむかるんで危険に満ちていたから。
【アフリカに大地溝帯が誕生する前の話のようだ】
 
こうして、一族は時を超える時のあいだ心安らかに暮らしていたがやがて世界が変わり始めた。木のない土地が近づいてきて、大きな木々が大地に倒れ、かわりに新しい木が生えなくなったという知らせが伝わった。大地にしっかりと根ざし、長い長いあいだ揺るぎなくそびえていた巨木たちが、大地とのつながりを失って一つ、また一つと、退く森の方へ倒れはじめたのだ。(乾燥が押し寄せて大木が次々と枯死して倒れた。時間の経過も推し量られる。森の反対側の根が枯れて浮き上がって、木々は森の方向に倒れた。アフリカに大地溝帯が誕生してからの変化であろう。)
 
このため、それまでわれらの住みかであった木々がわれらを大いに脅かすようになった。【樹上には住めない。また、木々のあいだにも安住できない】そしてこのありさまを見た者たちは、草地へ歩み出すことを学んだ。だが、そこでの暮らしは困難をきわめたため、多くの者は森に住み続け、最後には木々たち自身から振り落とされるはめになった。

 いっぽう新しいやり方を楽々と身につけた者たちは、一族にすばらしい贈り物をもたらした。それは果実ではないけれども栄養になるものを見つけ、水野探し方をおぼえて、生きていく新たな方法を学んだ者たちであった。というのも、雨の降る回数はますます減り、大地のあちこちに水たまりをつくりはしても、木々の上にたまることなど珍しくなったから。
 そこで、一族のある者たちは大岩や丘などの高い場所を見つけ、ぐるりと遠くを見渡しては、水野ありかを示す大きな獣たちの群れを探すのであった。そしてわれらは、この仕事に一番巧みな者たちを重んずるようになったのだ。
(視力の良い者が、一番巧みだったのであろうか?モンゴルでは、視力9.0の人がいるそうな?!)
 
さて、わが一族の習性として、ゆるやかな群れで、ほぼ北の方角へ移動していくことになった。
 (中略・・・
移動しながら、水も食べ物も不測に事態に備えて蓄えることを学ぶ。飲める水と飲めない水のあることを学ぶ。やがて、<大海のほとり>にいたる。
 
さて、ものごとの習いで、この<大海のほとり>に住む一族の数がふえはじめ、暮らしは前ほど楽ではなくなった。ただし、大海の岸ぞいに北と南に旅した者たちが、あちこちに新しい村を作ってはいた。すでに大海の性質と生きる糧を得る可能性について理解がゆきとどいていたため、そうした移住はたやすいことだった。 
 2,人口増加のワケ どうして子供が生まれるのか?!


















 それにしても、一族の数は望ましくないほどふえていた。なんらかの答えを探し、見つけねばならないことは、みなよくわかっていた。
   (中略・・
一族でいろいろと考えた末、次のような実験をした。
 
こうして冬の雨から次の冬の雨まで、一族を四人ずつに分けたとき、四人の内二人が男だとして、その一人は北の沢の北側でともに暮らすことになった。同じく一族を四人ずつに分けたとき、四人の内二人が女だとして、その一人は南の沢の南側でともに暮らす。さらに、四人の内残るはずの男女一人ずつは、二つの沢にはさまれた土地でふつうに暮らす。そのうえで、それぞれの沢ぞいに見張りを置き、この取り決めどおりの暮らしぶりが守れるかどうかを監視することにした。
   (略・・・
実験開始であった。
 
さて、この変わった暮らし方の結果は次のようなものだった。
   (略)
 
・・・一族の男たちの一部と暮らした者は、その多くがあくる季節になって子どもをもたらしたが、彼女らのすべてが子どもをもたらしたわけではなかった。ここから、一族の女たちと一族の男たちのあいだの<大地の踊り>は、、一族にかならずしも子どもをもたらすわけではないが、その必要条件ではあるということがわかったのだ。
   (略)
 
そこで次のことがはっきりとわかった。すなわち、一族の男たちと一族の女たちのあいだの大いなる<大地の踊り>【男女の交わり】は、子どもをもたらす原因ではないが、それに欠かすことのできないものなのだ、と。
 そしてこれは、わが一族がそれ以来守ってきた大きな学びであった。
 3, 水辺での水中の生活








































 さて、大海のほとりの生活は、このほかにも絶えざる学びをもたらした。
 たとえば、一族は水の中を動く技をめきめきと磨き、水面の下のたくさんの場所を知識に加えていった。というのも、一番簡単に食べられる小さな生き物たちは、さまざまな方法で水中の岩の表面にしがみつくことが多かったし、もっと動きまわるほかの生き物も、砂や岩の中に隠れることが少なくなかったからである。そのため、こうした生き物を探すには、しばらく水中で過ごさなければならなかった。
 さらに、水中での採集は次のようにするのが一番だった。
 まず、手と足を使って水面からなるべく下のほうまで潜る。泳いだりあわてて逃げたりするものたちを探すのに適した場所を見つけたら、じっと止まって待つ。やがて、何かが自分なりの食べ物探しを再開するはずなので、こちらに向かって歩くか泳いでくる手ごろな獲物が見つかるだろう。そうしたら、その生き物をうまく捕まえて連れて帰ればいいのである。

 さて、こうした学びのかたわら、もう一つのことが起こりはじめた。
 ときおり<大いなる泳ぎ手>がやってきたのだが、彼らはわれらと同じくらいの大きさか、ときにはもっと大きな体をしていた。得体が知れなかったので、最初のうち、われらは彼らを疎ましく思った。けれども親近感が強まるにつれ、心配はいらないことがわかった。
 むしろ、これらの生き物はわれらと一緒に泳ぐことが大好きらしく、われらも彼らとともに泳ぐことを心がけるようになり、大海
(おおうみ)の性質をいくつか教わった。われらが大海の深みについて、また幼いものたちに泳ぎを教える方法について学んだのは、この生き物からだったのだ。
  
【この時代だろうか? 体毛がそぎ落とされて、今の人類のような状態になったのは・・・・?】
 彼らとわれらでは体の形がちがうため、彼らそっくりに動いたり泳いだりすることはできなかったが、彼らのすることの多くはわれらにもできた。われらは彼らから、泳ぎのあいだなるべく長く息を止め、少しずつ楽にこの状態をしのぐ方法を学んだ。
【長く息を止める、気管調節による発声の複雑化、水中に立って首だけ出す。このようなことの繰り返しで、歩く姿勢が垂直になったり、言語の発達も速められた。との仮説もある。:ライアル・ワトソン】
 
彼らの意思疎通の形式には、どこかわれらを驚嘆させるものがあった。彼らどうしが理解し合うとき、そのやり方がわれらにはよくわからないので、われらは自分たちが彼らにどう映るのかを思いめぐらすようになった。われらに意思疎通は主に空中で行われるのに対して、彼らは水中でそれをする。だが彼らとわれらも、もっと不器用ではあるにせよ、互いに少しは通じ合えるのではなかろうか、とーー。
 こうした交流を通じ、われらはそれまで考えられなかったようなやり方で自分たち自身を理解しはじめた。そしてわれらは、これら<大いなる泳ぎ手>とわれらが互いを生きる糧として求めるのではなく、仲間として、また学びの道ずれとして求めていることに気づいた。
 われらはこれに大きな意味を見いだし、このような学びの大切さを心にとどめようと誓った。
 「われらは彼らにどう映るだろう」という問いを、つねに問い続けようと。

 さて、こうしたさまざまな学びや暮らしぶりの変化があり、さらには一族の数を野放しにふやさない方法を身につけたにもかかわらず、多くの村の<中つ地>となった砂地を歩く足は、やはりふえすぎていることがわかった。
 そんななかでときおり、一族の中から生まれた集団が大海から内陸に向かい、山地を越えて大地の未知の部分に旅立っていくことがあった。時がたつと、自然に一つ、二つと出発する集団が現れたのだ。
 ところが最後に、新しいことが起こった。そういう集団が一つ生まれ、たいそう後ろ髪を引かれながらも、山地を越えて未知の明日へ旅立つことにしたのである。そして、これだけではそれまでとは変わらないが、このときは次のようなちがいがあった。
 この新しい集団にはわれらの祖先が含まれていて、それ以来今日まで、われらのだれ一人として、二度とふたたびその<中つ地>を見ることはなかったのだ。
 原人類が、猿から単純に進化して、体毛が薄くなったとすると、
説明しにくい処がある。
 @ 猿は、頭髪がヒトのように、無限に伸び続けない。
  何故、ヒトの頭髪(男性には髭)は長く伸び続けるのだろうか?
       ↓
  水中で、幼子が母親にすがって息吸をするために不可欠であった。
 A 何故、体毛が無くならないところがあったのであろうか?
   ○ 両脇の下 ○ 性器の周辺 等
       ↓
  水中の生き物から、不意に襲われて危害を受けることを防いだからであろう。

     
「女の由来 もう一つの人類進化論」
エレイン・モーガン
 4、 われらはいかにして老いを重んじるようになったか 






 
 「 さて、一族は共通の目的のもとにふたたび集まった。彼らは、自分たちが理解していることをくり返し語り直したので、最後には幼すぎて口では語れない者たちまで、全員がその内容を頭に入れていた。
 そのうえで彼らは、まだ誰かの記憶の中に隠れている理解があれば、それを学ぼうとして寄り集まった。するとふたたび、かつて八つの冬を数え、今では八十六の冬を数える女が、座ったままみなの前に進み出て語りはじめた。

 一族についてこれまで話したのは次のとおり。
 すなわち、高い山を越えて北と西に
【北西】向かって進んだこと。<大海のほとりの民>としての暮らしを学んだこと。互いどうしから、土地から、<大いなる泳ぎ手たち>から学んだこと。砂地の上で一族の数がふえすぎたこと。そして祖先がついに大きな山地を越え、新しい生き方、たくさんの新しい民、兄弟についての新しい理解を学んだことである。
 そこでこんどは、彼らがここよりもっと大きな島
【ユーラシア大陸】を横切って、東へ東へと旅した話をしよう。
 彼らはあまたの大きな平地と、あまたの沢と、三つに絡み合いながら南北に走る大きな山の鎖【イラン西部の山岳地帯か】を超えた。あちらことらでしばらくとどまりはしたが、ふたたび立ち上がると、さらに東へと旅を続けた。最後に着いたのは、大きくて果てしない山並みが南にそびえる場所【チベット】だった。
 そして、われらは長いことそこで暮らした。そこは知恵がわれらに向かって谷川を流れ下ってくる場所で
【上流には、当時の一族が見て格別レベルの高い知恵を持つ人々がいて、川ぞいの交易や探求の旅でそれを学びに行ったと思われる。】、われらはそのことに感謝した。しかしその時代の前に、一つ語っておかなければならない物語がある。それはわれらがいかに衣をまとうようになったかを語るもので、二つが一つの物語になっている。
 200頁






















 さてその当時、一族の様子は次のとおりであった。
 めったに休まず、いつも東をめざして進む彼らは、新しいものすべてに対してつねに的確な判断を下す一人の女に従っていた。彼女は次々と新しい場所へ一族を安全に導いたので、その存在はたいそう大切にされた。
 この女には父親がいて、やはり大切にされたが、もうたくさんの冬を重ねてからだが弱っていた。一番賢い娘にだれよりも先に従い、自分の行ないで彼女への敬意を表したのが、ほかでもないこの父親であった。
 さて、この娘には一人の息子があり、祖父からたいそう大切にされていた。祖父は孫息子に自分の姿を映したのだろう。
 同じこのころ、何か新しい連続的な変化が起こっていて、ひと冬ごとに寒さが増し
【約7万年前のウルム氷期】、一族は東や北に行くともっと寒いのではないかと思いめぐらせたが、<大海のほとり>は暖かかったという思い出を語り合って互いを元気づけた。。こうして、彼らはつのる寒さの中をつのる暖かさに向かって歩き続けたのである。
 (略)
 しかし、冬ごとに寒さは厳しくなるいっぽうで、焚き火で暖まっても、身を寄せ合って眠ってもまにあわなくなった。たくさんの食糧をまとめて運ぶ堅い獣皮と、それを縛る革ひもや縄を使って、体を荷物のようにくるんでもだめだった。そんなことをしても、だれそれは四つ足の仲間入りをするぞと笑われるのが落ちだったのだ。それもそのはず、四つ足の獣たちは冬の風にそなえて毛皮を用意する
【冬毛に生え替わる】が、われら二本足はそれほど賢くはなかったから・・・。
 (略)
 一番寒い日々には、多くの者が目をさますと足や手に霜が降りていて、ときにはたいへんな痛み
【凍傷】を起こした。そのため、一族は嵐になると雨風よけから出たいとは思わなかった。なのに、そこには風を受けとめて一族を守ってくれるような山並みはまったくなかったのである。
 そして、それ以上答えが見つからずにいたある日のこと、とうとう<導く女>の一人息子が、起き上がって朝日にあいさつしなくなった。<導く女>の悲しみは大きかったが、彼女の父親の悲しみはもっと大きく、彼は一族の中から北へ、大いなる寒さへと旅立ってしまった。
【この頃の、老いた老人は自分の食べ物が自ら採集できなくなると、北に向かって旅立つのが常であった。一族は、3日立っても戻らない老人は、<大地に横たわった人>と認識し、肉体から魂が抜け出て別の世界に行ったと判断した。】
 そしてそのような旅から帰るものはめったにいなかったのだ。
 
200頁
























 さて、このあまたの冬を越した男は北へ歩いた。これといった目的があったわけではない。ただ泣きの涙にくれ、旅を阻む寒さのさまや、自分の悲しみのさまを心の中で見つめるばかりだった。
 かといって、南へもどるつもりはなかった。彼にとって南は、動かない小さな人形
【凍死した孫】、人形をしたおのれの悲しみを思い出させるものでしかなかった。
 (略)
 彼は座り込んだまま、寒さをしのぐのに水が使えないものかと思いめぐらせたが、答えは見つからなかった。もちろん、火も答えにはなる。が、火は近づきすぎればひどく熱いし、遠ざかりすぎればほとんど感じられないから、やはり答えとは言えなかった。
 (略)
 とにかく、ひと冬ごとに冬が寒くなっていることはだれもが知っていたのである。

 ここで彼は、一族がときどきつくる小さな雨風よけに想いを馳せた。その材料は、小さな四つ足のこわばった獣皮で、体の中から暖をとるために肉の大半を食べた後のものだった。彼は考えた。なるべくうまく暖かさを保てるように、一族がそういう雨風よけに対していろいろな形でさしかけるさまを。彼は考えた。それらの獣皮が、獲る前はどんな形をしているかを・・。
 そこで彼は、一族も自分たちの毛皮をはやしてはどうかと考え、静かに笑った。というのも、歩き回る生き物たちがはやした毛皮は柔らかくてしなやかで、きわめつけの寒風にも安らかな暖かさを提供してくれたからだ。
【他の動物も自然も、自分たちの命と同等に考えている】
 さて、こんなことを考えながら、彼は娘の息子
【孫】の姿を思い浮かべた。一枚の新しくて柔らかい暖かさに包まれ、その上北風を避けて大地の穴におさまっているのはどうだろうか。と・・・。
 そこまでくると、ようやく空腹が訪れた。
 こうして最後に、彼は一族が歩きながら集めては食べる実を噛みはじめた。堅くて乾いた種をゆっくりと噛み、口の中で柔らかい塊になったとき、彼はこう思いついた。かつて一度は歩いていたけれど、もう歩かなくなったものたちの堅い皮を柔らかくすることさえできれば、一族の暮らしはもっと楽になるだろうに。何か簡単に柔らかくするやり方はないものか、と・・。
202頁




















 頭の中で、柔らかくなった獣皮を毛のない体にかぶせる姿を何度も何度も思い描いているうちに、彼はだんだんうれしくなって、しまいに笑い出してしまった(自分の閃きにひとり喜んだ。)。そこで、荷物を運ぶ小さな堅い皮の一角を口に入れると、試しに端を噛んでみた。やがて、噛んでいるうちに味が悪くなった。
 こうして、彼は一つの方法を編み出した。足元の沢で皮を洗っては、片端を味が悪くなるまで噛み、そうしたらまた洗うというやり方だ。これを続けながら、こんどは一枚の小さな皮切れをずっと沢の水に晒しておいて、その間にもう一枚を少しずつ噛み進むことに決めた。
 さて、その日の光が去るまでには、二枚の皮がたいそう柔らかくなっていた。そこで彼は本気になっていくつかの課題を決め、いろいろなやり方でいろいろな可能性を試しはじめたのである。そうなると、過ぎゆく日々が惜しくなった。
 次に、彼はこのやり方で手ごろな大きさの獣皮を一枚丸ごと柔らかく仕立ててみることにした。こういう皮をいくらたくさん仕立てて南の一族のところへもっていっても、たえず東へ進んでいる一族に二度と再会できなかったら元も子もなくなってしまう・・・そんな気がかりがあったからだ。
 もういっぽう、一族のもとへせいせいともどるには、とりあえずいくらか距離を置きながら、ぬかりのないつくりかたでじゅうぶんな数の皮を柔らかくし、それがどんな可能性をもつかをはっきりみせられるようになるまで待ったほうが良さそうだという気がかりもあった。なぜなら、堅い皮を見慣れた一族が、彼の心で踊っている新しい可能性、つまり北風とひび割れた大地から身を守るために、柔らかくした獣皮をすっぽりかぶるような可能性を受け入れるには時間がかかるだろうから。
 それもそのはず、一族は自分たちのなんたるかを大切にし、二本の足を交互に使って大地を歩く者たちと、四つの足で大地を歩くものたちのちがいを認めていた。そしてなかでも一番際立つちがいの一つが、一族の体に毛皮と呼べるようなものが生えていないことだった。それをいま、この年老いた男は冷たい風を防ぐために、一族にそういう毛皮を着せようと志したのである。
【彼の懸念は三つあった。先ず、移動中の彼らと出会えるであろうか?次に、一族の習わしで、三日たっても帰ってこない、北に向かって歩みを進めた老人は、生きたままの姿で帰る筈がなかった。最後の心配は、長い海辺での生活の末に、一族の体からすっかりと体毛が無くなっている。毛皮を着て二本足で歩くことは、遠い祖先に逆戻りするように思われるし、最近は見なくなった最も危険な熊と勘違いされるのでは無かろうか?・・・だった。後の二つは、たぶん、一族にとうてい受け入れられにくいことであった。】













 (略)
 さて、彼の南への足どりのすばやかったこと。悲しみにうちひしがれていた男が目的意識にあふれて、岩も山も飛び越えるがごとく、最後に憶えている焚き火へ向かった。そこから得意の技で一族の足跡をたどり、食べ物を探すのに止まろうともせず、元気盛りの若者もかなわぬ速さで東をめざした。そうやって、ほんの数日で一族に追いつこうとしたのである。
 さて、このすばやい旅の途中、早くも夜の火を焚かなくていいほど体が温まっていることに気づき、彼の足は一層速まった。柔らかい皮が与えてくれる暖かさのおかげで、毛皮なしにちっぽけな火に当たるより、すでに夜がずっと暖かく感じられたのだ。これで火があればさぞかしだろう・・・。この想いがさらに彼の足どりを速め、何日もたたずに一族の真新しい跡が見つかった。
 そしてそれが、なおさら足どりを速めた。
 さて、一族を探すことに急ぐ彼は、この学びのなんたるかを考え抜くことはしても、おのれの姿がどう見えるかにはほとんど思いいたらなかった。そこで、立ちのぼる昨夜の火の煙を大喜びで見つけた朝、ほどなくして彼の目は、のし歩くのに二本しか使わないこの大きな獣から逃れようと、クモの子を散らすように走り去る一族に出会うことになった。
【一族は、彼を発見して驚いて逃げ回った。】
204頁








 この獣が毛むくじゃらのさまざまな皮で覆われているのを見て、一族がまだ知らない新しい種類の熊にまちがえられたのだ。【熊が、動物としては例外的に二本足で立ち上がる。】 しかもこの熊はいままでのどの熊より危険とみえ、明らかに火を恐れないのであった。【焚き火をしてくつろいでいる一族の火を恐れる様子がうかがわれなかったのだ。近づいてくる。】 
 さて、この年老いた毛むくじゃらの男は、一族が逃げる、若い男たちが守りに勇み出してくるという大騒ぎを見るや、<ほとんど熊>のさまと、おのれの窮地のさまにはたと気がついた。
 窮地というのは、もしここで踵を返して逃げ出そうものなら、意を決した若者たちに追われ、こちらもせっかく意を決しての歩みに、たちまちとどめを刺されて、一族のために大きな獲物をしとめたと勘違いされてしまうだろうから。
(ここで逃げたら、本当に熊と勘違いして殺されかねなかった。冷静に識別できないほどに驚いたのであろうか?オランウータンが、異物に対して騒然とする状況に似ているように思う。)またいっぽう、そのまま近づいていけば、彼らは化け物めいた熊の接近になおさら気色立つにちがいなかった。おまけにこちらから話しかけようとしても、人びとがてんでに叫ぶ声にかき消されてしまった。招かれざる訪問者を追い払うには、口々に騒ぎ立てて脅かすのが一族の習わしだったからだ。
 そこで、この年老いた男は別な道を探した。踵を返して逃げることもせず、それ以上近づくこともせず、この新種の熊の正体を説明しようと大声で叫ぶこともやめた。かわりにすべての動作を止め、大地の面を動くものらしからぬ様子で、突然大地の一部になったかのごとくその場に凍りついた。
 おかげで、意を決して近づく若者たちも勢いをそがれ、男のまわりにゆっくりと輪をつくった。最後に輪がじゅうぶん狭まると、毛むくじゃらの肩
(毛皮を着ているので・・)の上に思いがけない顔が覗き、一方の手には杖が握られているのが見えた。(熊なら杖は持たないであろうと思ったことであろう)
 それから、彼はゆっくりと動きはじめた。そしてゆっくりと杖を大地に置き、守りの構えを解くとともに、そばの者たちが杖をあらためる時間を与えた。次に、彼はゆっくりと大地に座り込み、逃げたりふいに飛びかかったりするつもりがないことを示した。
(猿学者たちが、野生猿に最初に餌付けをするときのやり方に似ている。この状況は、前後の口承内容から推測し得ない反応である。)
 そうして肩のところで緩やかに縛った毛皮をゆっくりと脱ぎはじめたのだ。
 すると、この大熊が自分の皮を脱ぐのを見たすべての者たちから大きな叫びがあがった。それが痛みをともなうものなのかどうか彼らにはわからなかったが、とにかく今までに見たことのないものが目の前に座っていた。一族は驚きと、いくらかの怖れと、そこに何がいてどうしたらいいのかわからないためとで、互いにつぶやきを交わすばかりだった。




















 さて、この年老いた男はなめし皮をていねいに折りたたむと、それまで以上にゆっくりと立ち上がり、自分が誰かを全員の前にさらして見せた。ところが、そこでまたしても予期せざることが起こったのである。
 一族のあいだでは、北へ歩み去った者がそれから三日間姿を見せなければ、二度と姿を現すことがないと広く信じられていた。
【老人が単身、北の寒さへ向かうことは死の覚悟を意味していたから。】
 なのに、多くの日々姿を見せなかったこの男が、いま熊の中から現れたので、彼らの驚きはきわまった。
 彼らは踵を返して逃げた。めったに怖じ気づかないこの一族が・・・。あまりの奇妙さと、あまりにも予想外のできごとから、踵を返して逃げ去ったのだ。

 そんなわけで、この熊男を大地にじっと横たえにくる【殺害しようとする】者はだれもいなかった。だれ一人、彼と言葉をかわしにくる者はなかった。彼が近づこうとするとだれもが逃げ出したので、説明を聞いてもらう望みも消えてしまった。
 こうして野営のたびに、彼は一族の輪のはずれで静かな孤独を保つことになった。火で暖まるのではなく、みずからなめした皮に温められながら・・・。食料を分け与えるどころか、だれもができるかぎり彼から遠ざかっていた。
 彼の正体はだれにもはっきりわからなかったから、だれ一人敵対行為に及ぶ者もなく、気楽に日々をすごすことができた。そのかわり、だれ一人友好的行為にも出ないおかげですべての食料を自前で調達しなければならず、日々の暮らしは苦しかった。

 さて、万事がこの調子で何日か過ぎるうちに、一族は心を許しこそしないまでも、いくらか彼を恐れなくなってきた。そこでついに、、意を決した彼はわが娘が一族と少し離れた場所にいるところを見つけ出した。<導く女>が熊か熊でないか定かでない者と静かに言葉をかわすのを、だれにも見とがめられない場所である。
 おかげで、ようやくすべてを説明することができた。悲しみから生まれた新しい理解によって、これから続く者たちが一番寒い夜のあとでも立ち上がって歩めるかもしれないのだ、と。
206頁








「いいですか、父さん」
 それに対して娘が応えた。
 「一族の者たちは、肩にかかる毛皮があなたと本当に別なのか、それとも体に生えた毛皮なのかがわからないのです。そのうえ、あなたが何日も前に私たちのもとを去った男なのか、それともその男の抜け殻なのかもしれません。
 でも、いま私の目の前にいるのはまちがいなく父さんです。これまで本当にたくさんのことを学ばせてくれ、いままた学ばせてくれるわが父、その人です。
 私の耳には、あなたの悲しみと探求がはっきりと聞こえます。私自身朝起きても太陽を仰がない者
【睡眠中の凍死者】の減る道を探ってきましたから。でも、私の耳にはほかの者たちの言葉も聞こえます。あなたが突然、一族の目の前に現れたことであれほどの驚きを引き起こし、みながあなたのそばに近寄らなくなったのはなぜなのか・・・。私の言葉をお聞きなさい。
 皮を脱いで、必要とあればそれを持ち運ぶのはいいでしょう。ただし、ちょうど食料を運ぶ包みのようにして・・・。
 一族のはずれで火もおこさずに座っているのはもうおやめなさい。けれど、まだ私たちの火に近づくのも早いでしょう。かわりに孤独な旅人さながらに小さな火を起こし、一族の流儀でそのかたわらに座るのです。
 食料は自分で探し、一族には差し出すことも、それを求めることもしてはなりません。場所を移していく私たちの野営地のはずれで、あたかも一人で旅するようにして暮らし、だれとも会話を求めてはなりません。
 このやり方を崩さずに何日も続けて、私の合図をお待ちなさい。その合図は一族があなたを、いま私の目に映る本来のあなたとして受け入れはじめたというしるしです。この合図を見たら、あくる夜から、この場所よりはるか昔、一族がどんなふうに過ごしていたかを伝える古い歌を歌いはじめてください。
 そのうえで、新しい学びについての歌を歌うのです。最初は聞き慣れた節まわしだけが一族に聞こえるように、自分だけで静かに歌ってください。その後何日かしたら、言葉が聞き取れる程度に声を大きくして歌います。いま言うやり方を変えてはなりません。
 一族が怖れの気持ちをもたずにあなたの声に耳を傾けはじめたことを、この私がはっきり見てとったら、そのときはじめて、次の朝少し食べ物を差し上げます。与えられたものを受け取って、食べ終わるまで私たちの火のそばで静かに座り、それから自分の場所におもどりなさい。これを何日か続ければ、一族の考えも変わるでしょう。大きな山超えを、ゆっくりと注意深い足どりで導いてゆくのと同じことです。
 私にはこれぐらいしかできません。父さん。あなたへの愛がどれほど大きくとも、私にとって一番大切なのは一族全体ですから、もし彼らが、このような段取りでもあなたの帰りを快く受け入れられないとしたら、そのときはあらためて北へ旅立たねばなりません。
(「死」への旅立ちを、娘は促したのだった。)この両目がそんな旅立ちをどれほど悲しんだとしても、私が何よりも大切にしなければならないのは一族全体の健やかさなのですから」
 そして、二人のあいだではこのような取り決めがなされ、じっさいこのように実行されたのであった。


























 何日かすると、この男は柔らかい皮衣をたたんでしまい込み、自分だけの小さな火に当たるようになった。朝起きればみなと変わりなく太陽にあいさつし、昼間は命をつなぐ糧を集めて、一族が野営地を移すときは、ゆっくりと安定した足どりであとをついていった。このあいだじゅう、彼は一族に近づきすぎることもなく、また、ほかのやり方で意思疎通を試みることもしなかった。
 その五日間目、朝起きて東の太陽にあいさつする彼の目には、丸くまぶしい光と、一族が囲んで眠った焚き火のもっと小さな明かりが映った。この朝もいつもどおり、東にいる<導く女>に顔を向けると、手で何か合図を送ってくる。そこで彼は、すぐに威厳を正して娘のもとへ歩み寄り、火のかたわらに空けられた席に座って、以前と変わりなく彼女の手から一日の最初の糧を受けとったのである。
 噛みしめ噛みしめゆっくりと食事を終えた彼は、何も言わずに立ち上がって自分の小さな火のところへ帰り、そして待った。彼を受け入れる気持ちがあるのかどうか、一族の心を娘が読み取るのを読み取ろうと思った。
 それから一日、食べ物を集め、ほどよい距離を保って一族のあとをつけながらふだんと変わりなくすごしたが、いずれとも合図はない。結局、その日はそれ以上何も合図はなかった。
 しかし、あくる朝、心新たに起きて太陽にあいさつすると、またしても娘が差し招くしぐさをしている。そこで、彼はいま一度そこへ歩み寄り、彼女の手から最初の糧を受け取ると、空けられた席に座って食事を終えた。それからまた自分の火のところへもどって、前の日と同じように一日をすごした。
 そうした日を五日数えたが、彼には日一日と受け入れの希望が強まって見え、北へ向かう二度目の旅は遠のいていくように思われた。そしてついに六日目のこと、立ち上がって大きな火を離れようとすると、娘がもう一度座れという合図をよこした。
 「いてください、父さん」

(父親は、忍耐強く・・・、もう、何日待ったことだろうか?
 何故、これ程までに警戒心があったのであろうか?・・・・・?ここのところが、現代人である管理人には理解しがたいところである。興味深いところである。
 自然に同化して、自然界に生きるこの過酷な生活が、現代人の私たちには想像を超えているのであろう。今、ヒトは”人間圏”を造って、シェルターの中に入っているようなものである。)

 彼女はすすめた。
 「もうしばらくここにいて、最後に別れてからどうなさっていたのかを聞かせてください。私の中には、あなたが北へ旅立ってからの日々の中身を知りたいという大きな欲求があります。離れたはずのあなたが、いままた辛抱強く私たちのあとをついてくるのも不思議でなりません。」
 そう求める彼女の声は大きすぎず、小さすぎもしなかった。その声は、近くにいる者たちには楽に聞こえるが、遠くのほうにいる者たちの耳にはつかず、それ以上聞かなくてもいい大きさだった。
 こうして彼女は、聞きたい者たちを招き寄せた。なおかつ、まだこのような問いかけを訝
(いぶか)しむ者たちは無理なく背を向けることが出来た。それにより、古い心に新しい想いの浮かぶゆとりが生まれたのだった。
 【リーダーとしての感情の抑制といい、この前後の入念な説得戦略といい、時代を超えた精神生活の奥行きを感じさせる。これが長い伝承による結果的な脚色でないとしたら驚くべきことだ<驚くことじたいが旧石器人に対する偏見かもしれないが>。】
210頁



















































 (略)
 はじめの三日、<導く女>は父親にいろいろの質問をしたあと、一日の残りは彼をまた孤独な暮らしへ返した。まだ多くの者が耳を傾けているけれど、もうすぐ気持ちが離れていきそうだと判断すると、彼女は質問をやめた。次の質問まで丸一日、間を置いたのである。
 その四日目、彼女の感触ではまだ多くの者が注意深く耳を傾けていて、しかも前の質問の答えが口をつく間がないところを見はからい、彼女は立ち上がると、自分の好奇心をその日一日満足させるには、もうそのくらいでじゅうぶんだろうと提案した。
 「でも、おれにはじゅうぶんではないぞ。」
 だれかが言った。
 「では、お続けなさい<年老いた父>よ。話を終わらせるといいでしょう。でも、私はこの辺で失礼させて下さい。」
 こうして、<導く女>はその輪を離れ、あとを一族の問いかけに委
(ゆだ)ねたのだった。彼女の父親は、向けられた問いに答える以上のことをけっしてしなかったし、一族の者たちは自由に出入りしたので、好奇心も新しいものに感じる居心地の悪さも、無理に押さえしつけられるということはなかった。
 このようにして、一族はそれぞれの足並みで少しずつ、北へ旅だったのにもどってきた者の歩みを知った。最後にだれかが、毛皮に覆われた肩と、覆われない肩のことについてたずねた。
 その問いに、<年老いた父>と呼ばれるようになったこの男は無言のまま座り、自分の姿と柔らかくした皮とが引き起こした恐怖と驚きの叫びを思い出していた。へたに口を滑らせて、またいきなり北への旅に出されるのはごめんだった。そこで彼は、静かに少しだけ話した。
 「夜がだんだん寒くなるとき、子どもたちをもっとしっかり守ってやれないかと考えたら、そのことを思いついたのだよ」
 彼がそれ以上のことを議論しようとする様子を見せず、子どもたちをもっと守ってやりたいという以外、一族に少しでも変化をもたらしそうなことを口にしないので、一族は安心して、その問題をしばらく忘れることにした。
【のちには柔軟な変化を身上とするようになる一族だが、このころはまだ大きな変化に驚異を感ずるという素朴な感覚に支配されていたようだ。】

 こうして日々がたち、<年老いた父>はいつもどおりの暮らしを続けた。ただちがうのは、彼が全員が集まる<大いなる火>のかたわらに座り、ときおり新しい質問に答えたり、前に出た質問にあらためて答えたりするようになったことだった。様子の変わる肩
【毛皮を着たり脱いだりすること】の問題について、ふたたびたずねる者も居なかった。
 けれども、世界のありさまがだんだんともっと寒い方向へ変わっていった。最後にある日、二人の幼い子どもが朝になっても起きたがらず、手と足にひどい痛みがあると訴えた。全員が寄り添って眠り、北風を雨風よけで防いでいたのに・・・。
 そこで、その日がすぎていくにつれ、痛みを訴えた子どもの片方の母親がどんどん不安をつのらせた。そして一夜の野営地が設けられると、息子があくる朝もっと楽に起きられるように、夜中の備えにあらゆる手を尽くした。
 しかし、彼女の心配はそれでもおさまらなかった。最後に彼女は、両手をもみ合わせながら<年老いた父>に近づいた。
 「<年老いた父>よ」
 彼女は語りはじめた。
 「ご存じのとおり、私の息子は今朝なかなか起き上がらず、ひどい痛みを訴えていました。それで考えたのですが」
 彼女は続ける。
 「今夜はそれがもっとひどくなるかもしれません。そこでうかがいます」
 彼女は次のように結んだ。
 「あなたが北から東へと意を決して足を進めたとき、たずさえてきたあの柔らかい毛皮を、なにかにお使いでしょうか」
 すると、一族の心に起こった大変化を素直に示す言葉に、全員が笑った。そしてたちまち別な二人の母親が立ち上がり、残りの二枚の柔らかい皮を求めたのである。
 こうしてまもなく三人の幼い子どもたちが、水でなめした毛皮の下で気持ちよさそうに寝息を立てた。そこへ、その子たちが朝になって、<年老いた父>が何日も前に肩からそれらの毛皮を引きはがしたのと同じくらい簡単に新しい皮を脱げられるかどうかをたずねる声が上がり、多くの者が笑った。
 そして、結果はご想像のとおりだった。   



















 あくる朝、その三人の幼い子どもたちより楽々と、また気持ちよく起き上がった者は誰もいなかった。また、その三人には朝の痛みもなかったので、あちこちと元気にすばしこく飛びまわった。
 どうやって毛皮を着たり、脱いだりするのかについて大げさなやりとりがくり返され、ただやわらかい皮をまとっただけで、ずっとそのままの状態になってしまうわけではないことが、だれの目にも明らかになった。
 というのは、わが一族のかつての姿を、まだみなが記憶にとどめていたからだ。
 大海のそばですごしたたくさんの<季節のめぐり>によって、多くの毛がゆっくりと洗い落とされ、われらの姿が変わっていったという。
 
【人類学にも、海進期(間氷期の大規模な海面上昇)に水辺で過ごしたことにより、体毛喪失のほか、直立(浅瀬などの水中で顔を水面に出して海産物を漁る姿勢から)言語の発達(同じく水中で息を止める気管調節による発声の複雑化から)といった厳正人類への移行が促されたとする「水棲のサル」(アクアティック・えいぷ)仮説がある(ライアル・ワトソン著『アースワークス』ちくま文庫他。)ただし、それが数百万年前に遡る原人の発祥にかかわるものであるのに対して、ここで語られているのは新人段階での変化と思われる。あるいは「古の歌」の伝える”出アフリカ”が、類人猿からヒトへの進化そのものを記録している可能性も考えるべきだろうか。】
 いまでは一族の中にときおり一人、二人と生まれる者たちだけが、かつての姿を思い起こさせるのであった
(先祖返りか?時々生まれる体毛のある子どもたちを見て、彼らは口承される以前の自分たちの姿を思い出すのであった。)
 そしてこの<大海のほとり>の学びは、ほかのすべての学びと同じく、なおも一族の心に鮮やかに焼き付いていた。
【このくだりから「学ぶ」という言葉を、知覚・認識・記憶といった精神的な領域での変化だけではなく、肉体的・形質的変化に対しても用いていたことがわかる。】
 そのため、のちに二本足の者たちのすべてがこれを学んでいるわけではないことを知ったとき、一族の驚きはひとかたならぬものがあった。これで彼らは、前より少し寒くなったからといって、変化にまた変化を重ねたい
(水辺の生活を重ねるうちになくなった体毛を、寒くなったからといっても一度毛深い体に変身したい)という気持ちが起きなかったのだ。(したがって、毛皮を着るということを、たいそう時間をかけても受け入れられなかった。しかし、子どもたちの命には代えられなかったのであろう。)
 しかし、彼らはいま新しいことを学んだ。つまり、暖かい昼間は柔らかい毛皮をもち運び、寒い夜になったらそれをほどよく分配すれば、心地よさが増すばかりか、もっと多くの者が生きのびれそうだ、と。いかにも、もし子どもたちが今日を生きのびられなかったら、一族の明日はどこにあろう?
 そうなると一族のだれもかれもが、柔らかい毛皮について学びたいという熱意を抱くようになった。 おかげで、<年老いた父>は話しすぎで声が涸れ、実演のやりすぎであごが痛くなってしまった。そこで彼は最初の三人の母親たちに頼んで、何度もくり返される質問にかわりに答え、・・(略)
 
















 さて物語はこれで終わるが、最後にもう一つ、一族が互いに耳を傾ける中から引き出した教訓をつけ加えよう。
 <年老いた父>の悲しみによってもたらされた学びの価値は、もう全員が理解していた。北をめざす足どりが彼を一族から永遠に運び去ってしまうと、自分たちがたやすく思いこんだことをみな知っていた。衰えの目立つその足どりが、一族の足手まといになるまいとする彼をして、じきにふたたび北への旅に向かわせるかもしれないことを、みな知っていた。
 そこで全員がこうしたさまざまな想いをもち寄って話し合った。すると最後に、一人の者が立ち上がって言った。
 「いざ、このことから学ぼうではないか。いざ、学ぼうではないか。」
 彼は提案する。
 「足どりの衰えは、新しい想いの速まりを告げるものかもしれないことを。いざ、見てとろうではないか。」
 彼は続けた。
 「ふつうの仕事をするには年をとりすぎている者が、ゆとりある時間を使って、われらのために新しい仕事を編み出してくれるかもしれないことを。そしていざ、誓おうではないか」
 彼は次のように言葉を結んだ。
 「今日という日から一族の続くかぎり多くの日々に渡って、<大いなる老い>がわれらにもたらす贈り物の大切さを心にとどめることを。一人でも北への足どり
【老衰を自覚した高齢者による北への死出の旅立ちが慣例化していたことがうかがえる。たえず移動を続ける一族の宿命だったのだろう。】を踏もうとする者がいたら、それを何度でも引きとめようではないか」  (略)
(飢餓に苦しむ我が国の里の”昔話”「姥捨て山」のお話しを連想する話だ!!ところで、死者を”北枕”にして安置するのは、釈迦が頭を北向けて入滅したことから来ていると言われているが、・・、大本のお話はここから始まっているのかな?? (T_T)) 
☆ 様々な人びととの遭遇
 1 背の低い一族    224頁   (フロレス原人:80万年前〜1.8万年前か?
    ・・・(およそ半分しかない:現代人の3歳児程度の身長)2003.10発見 2005年6月末放映。
 LINK  原子誕生そしていのち












 ここで、一族がとうとう<大海の地>を見つけ、歓声を上げながら、苦い味がするであろうその岸辺へ駆け寄ったと語りたいところだが、あいにくそうはならなかった。というのも、ゆるやかな傾斜がやがて山また山になり、最後に一族は、遠くにどこまでも水の広がる小さな入り江を見下ろしていたからである。【「大きな河が黄河だとすれば、この入り江は現在の渤海のどこか(黄河河口以北)と考えられるが、当時の琉球古陵の形成によっては、むしろ九州西岸に近かった可能性もある。】
 こうして、彼らはついに大海が見つかったことを確認する。ところが、そのほとりには新しく到着した一族のための場所がなかった。なぜなら見おろす<大海のほとり>には大勢の民がいたからだ。しかもその民は、二本足にはちがいなかったものの、一族がそれまでに出会ったり、記憶にとどめたり
(古老達から口承によって教え込まれたこと)してきた中で一番異質な者たちだった。
 その者たちは背が低く、一族より肌の色が濃いが、それまでに見た中で一番濃いというわけでもなかった。丸顔の上の髪の毛はもともと短いのか、でなければ何らかの方法で切ってあり、生まれつき剛
(こわ)いくせ毛らしく一本一本の毛が曲がりくねっていた。【いわゆる「縮れ毛」の描写】
 その体には一族が残している
(注:「残している」という表現は、かつてこの一族達が大海で泳ぎながら生活し、イルカに息継ぎや泳法を学びながらして過ごすうちに、何時しか水中生活に適応して体毛が薄くなったことを、口承によって記憶していることを示している。)よりたくさんの毛が生えていたので、一族は彼らを大海(おおうみ)へ出てきたばかりの民ではないかと想像した。何代も何代も海辺で暮らす民なら、そんな毛の覆いは不都合なはずだから・・・・・。
 二本足の性質からして、ある者は心が広く、他の民に出会うことを怖れないが、ある者は生活に少しでも変化があると、ことごとく怖れを抱く。そこで一族は、その高台から静かに見守ることにした。相手の喜ぶ近づき方がわかるような状況を待ったのである。
 しかし、そういう状況は起こらなかった。最後に、たくさんの話し合いのすえ、一族の中から三人を選んで浜へおろすことになった。相手はとても大勢だったから、新しい民が三人ぐらい現れてもたいした問題にはならないはずだった。
 ところが、それが問題になった。われらの若い男たちが近づいていくと大騒ぎが起こり、盛んに棒を振りまわされたので、この民と出会わせるためにわれらが送った三人は、無抵抗のしるしに屈み込んだまま、浜のはずれの真水に近い場所まで静かに引き下がって、そこに腰をすえた。
 そして、彼らが学んだのはこういうことだった。





 この民は見慣れぬものすべてをたいそう怖れた。彼らに不安を抱かせたのは、色白で背が高く、まっすぐな足(かれら背の低い民達は、猿人のような格好で歩行していたのであろうか?)をしているという、わが一族そのものの特徴だけではなかった。手のとどきやすいところに彼らのものとは異なるわれらの道具を置いても、怖れて触ろうとしないのだ。
 わが一族なら一番小さい子どもでも、ゆっくりと、好奇心をつのらせながら近づいただろう。
ところがこの民はだれも近づかないばかりか、われらがあらためさせる道具を相手の足元に置こうと前に踏み出しただけでも、あわててうしろへ引き下がるのである。異質な民どうしのあいだで見慣れぬものにゆっくり近づいていくとき、ふつうはこんなふうに道具を見せ合うと接触が楽になるのだった。
 この民の男たちは、いつもわれらと彼らの女たちのあいだに割って入ろうとするようだったし、子どもはかならず女たちと一緒にしかいなかった。女たちは男に輪をかけて恐怖心が強そうに見えたが、それがわれらを怖れているのか、彼らの男たちを怖れているのかよくわからなかった。
 女たちが集団で男たちと言い合いをすることはあっても、女が一人で男と議論するところは一度もみたことはなかった。これはわれらにとって大きな謎だった。われらが生きるうえで欠かせないと考える敬意
【この場合は、性別や年齢にかかわらず人と人が互いを尊重し合うことで、一族は初期のころからそうした平等性を大切にしていたようだ。】を、たとえ彼らのだれかが示していたとしても、われらにはそれが読み取れなかったからだ。
 彼らが意思疎通するやり方も、われらには不可解なものだった。声の出し方に、われらに聞き取れる決まった法則があるようには思えなかった。彼らの話すというより、まず注目を集めるのに大声を出しておいて、それから身ぶり手ぶりで想いの方向を伝えられればいいところであった。なのに、そんな声や身ぶりからは予想できないほどたくさんのことを伝え合っているので、われらはよくよく観察してそのしくみを理解しようと決めた。
 最後に、彼らの驚きぶりがいつまでたってもおさまらないため、三人の男たちはいったん引き上げて、何かほかの方法で二つの民の相互理解を図ることにした。
 この砂地に住む民の暮らしを観察してわかったのは、大海から得る彼らの糧がほとんど決まった種類に限られることだった。あるとき、われらは彼らの女の一人が幼い子どもを連れているところを見つけた。女は低い山を西側へ越えてきたのだが、明らかに何か食べ物を探していた。
 女が根っから臆病なのを考えて、わが一族のうち二人がゆっくり慎重に近づこうとしたとき、仰天するようなことが起こった。彼らの男の一人が大急ぎで同じ山を超えてくると、われらが近くにいることにおかまいなく、見つけた彼女に向かって棒を振りまわし、たいそうな剣幕で追い立てて、その低い山の東側へ連れもどしたのである。
 
 
(暫時追加予定)