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☆ 祈年祭、秋葉神社祭、山の神祭・・・ 2月11日のこと(毎年この日に決められている)。
 毎年の行事である。下宮に村民全員が集合しての祭事である。
 先ず、境内の清掃を行う。そして落ち葉焚き。山村のこととて、『焼却所以外はモノを燃しては駄目!』などと、堅苦しいことは言わない。 (*^_^*)
 さて、行事のあらましをご紹介させて頂きます。

 四カ所分のお供え物を、氏子総代さんが準備する。準備されたお供え物は各箇所事にまとめてビニール袋に入れられている。これを持って「お山の神」に詣でる。
 ”オシャグチ”様。→”水神”様。→”お山の神”様→”お山の神”様 の順である。ここで、”お山の神”様が二カ所ある。そう呼んでいるが、謂われは今は分からなくなっている。
 しかし、毎年、全員で歩いて詣でる。意味を皆で考えるが、いつも結論は同じである。作法は特別にない。しかし、皆のこころは清らかだ。
 村の古老は推測で答えてくださるが、しかし、ほとんどの謂われは結局分からない。
    
 「六所神社図記」に、昔の村の絵図があった。
 一番手前の家は、杉山家だ。昔はろ六所詣での方々をお泊めする旅館を営んでいたという。その後、下駄の製造もしていたそうな。その上に「一の鳥居」と書かれている。今もある。
 村は、もう一軒がこの下にもある。昔からその家のことを”丸田(まるだ)”と呼んでいる。
 さて、”オシャグチ”様”は一番手前の家のやや右上方に幽(かす)かに見える高木家の左にある樹木の根本に鎮座していたそうである。聳える山の麓に「下の宮」と記されている。
 図は見にくいが、山の上には左からこう書かれている。
「六所山」(昔は、芳樹山または吉木山)。その左に「本山」とある。
「奥院」とある。描かれた時代から推測すると。”地蔵院”のことではなさそうである。今、”隠居神様”と呼んでいるところだ。ここは毎年7月に蜂ケ峰神社祭 として、祭祀を執り行っている
「焙烙(ほうろく)山」は、隣村「日明(ひあかり)」の山である。六所山よりも標高が少し高い。
    
 四カ所の山の神巡りが終わると、地蔵院に詣でる。
 次いで、秋葉神社詣で。村から毎年二名の代参者がクジで決められる。この日にお札を納める。
 その後に、全員が拝殿を通って、祈年祭行事。
 その後は”ナオライ”。御神酒を飲みながら談笑し、連絡や協議を行う。
 以下は、その順を追って写真でご紹介させて頂きます。
 では・・・・・・・      m(_ _)m    <(_ _)>   _(_^_)_
◇ 下宮の様子
 下宮の境内には、大杉が聳えている。
 相当の老木で、大昔に落雷が二度あって、根本には幹の芯のところが枯れて空洞もある。
 大杉の右側に拝殿がある。




 拝殿の軒である。
 拝殿の入り口
 拝殿の正面。
 左側には、巫女舞の為の建造物。ここには”ご神的”で金的を射た方が奉納した額が掛かっている。
 昔は、”ご神的”が行われた。地域各地から弓の腕に自信のある方々が集って、一日中かかって弓の競技が行われた。
 ”ご神的”の最後は、直径およそ10cm程の金色の的をねらって、弓を構えた。
 子供の頃、射られた矢を取る「矢取り」役は、村の少年が行うことになっていた。
拝殿の入り口の龍の彫り物である。
 来るたびに、心の中を覗かれているような気がするのは、小生だけであろうか??

 拝殿は、大正年間に改築された。

 軒下には、四方に獅子の彫り物が施されている。

 右の写真の奥の方に、秋葉神社の社がある。


 計画の開始時間には、すでに参加した村人たちによって、すでに境内は清掃されていた。
 
 落ち葉などを集めて、たき火に暖をとって、談笑している。


 さて、時間が来た。
 先ず、幟立てから始まる。








 
毎回の例祭には、この幟が立てられる。

 幟の竿は、村有林の山から伐りだしたモノである。




 昭和53年、幟は岡崎市の専門店に注文して更新した。
 以前のものは、幅と長さがもう少し大きかった。特注しないと以前と同じサイズでは製造不可能であった。
 当時の、氏子総代は、自分以外に、・・・・・??、確か本田義一氏・高木好美氏・杉山新吉氏・高木精一氏
(皆、今は懐かしき物故者)だった。
 小生が一番若かった。氏神様を崇敬すると言うことはどのようなことか。 些細なことから学ぶことができた。人間、その場で言葉で告げられないと解らないことが多い。

 さて、幟立てが終わると、『山の神』に詣でる。
 そこは、下宮よりも上にある。
 朝日が昇って、照らしている。 
2 山の神詣で                      
 杉本家の前の橋を渡って、山に入ってゆく。

 竹藪を抜けて、およそ50m歩くとそこに辿り着く。


 
ご神体は、丸い石である。
 信仰の対象は、こう言う”丸い石”のことが多い。

 
  
これが、”オシャグチ様”である。

 古老で、古い歴史に詳しい本田義一(俗称:ヨシヤン)氏に、若い頃いろいろと話を聞かされたが、すっかり忘れてしまった。今思えば、残念である。
 ヨシヤンは、村一番の文化人であった。粋人であった。若い頃はバイオリンを弾いたと話して聞かせてくださった。
 晩年は、俳諧ですばらしい才の輝きを見せた。
 「こんな句を作ったよ!」と、小生には披露してくださった。その道では、少々名の知れた方であった。

 最初は、”オシャグチ”様参り。昔は、高木精一(俗称:セイヤン)氏
(物故者)・代は変わって高木清重(俗称:キークン)氏の屋敷裏にあった。大木の根元に祀られていた。
 一時期、「分散している諸神を集中しよう!」と、この地に移された。

 ”オシャグチ様”の次に、水神様をお参りする。
 おきまりのコースである。

 ”オシャグチ様”から、やはり、50mほど山中を歩く。急傾斜(左写真)を歩く。




 ”水神様”のところに辿り着いたところである。
 この山の麓に水車があった。
    ○  水神様                 


  
木製の社である。

  残念ながら、”フラッシュカード”の故障で、ここの数枚の画像が取り出せない。

  また、後日ご紹介させて頂きます。 m(_ _)m
 ”水神様”は、今年中に石材製のものに換えられる。杉本幹夫(俗称:ミキチャ)氏が、寄贈されるという申し出があった。


 一端、山を下って南に竹藪の中を進み、再び木立のあいだを登ると、下の石の祠に出会う。


 ”山の神”は、この大木の根元に鎮座する。

 作法は、皆、知らない。・・・が、気持ちは謹んで・心持ちは神妙である。
       ○  山の神         
       ○  山の神        もう一カ所の山の神に向かう。
 ここから150m程歩く。  一端は平地を・・・。  毎年・・・、はぁ! 歩く。息が切れる。  毎年・・・、はぁッ! 出迎えてくれる草木。

 大木の根が、たくましく・・・、何故か美しく見えるのだ。

  こんなことを、息を切らせながら思いつつ、山の中腹の平地に辿り着く。(左下)
 


 
時の流れをつくずく感じる。小生、子供の頃には写真のお二人は血気盛んな青年。
 
 小生は、上の写真のお二人から、川魚の採り方を学んだり、蝉を捕って見せてもらったり、或いは、ビックリするほど壮大な青年期の夢を聞かされて、大きな感化を受けて育った。(俗称:きみちゃ・そしてイッチャ:元JA組合長)

 これらの風景を含めて、この自然な風土をこよなく愛
(いと)しく想う今日この頃である。




 さて、供え物をして・・・・・。
 次は、「地蔵院」である。山を下りる。
2  地蔵院                       
歴史参考:
 1468年応仁2年:地蔵院、六所神社山上の神宮寺である寺屋敷の宝寿院(妙昌寺住職曰く:芳樹院殿)を,外宮の近くへ移して光室長運智蔵が開かれた。本堂は茅葺きの寄せ棟造りであり、濡縁も向拝もなく珍しく禅宗寺院の旧態を残していた。曹洞宗の梁山妙昌寺系。
永らく無住の寺となった。

 必ず、大切にしまっておいた「聖徳太子の図」と言われる掛け軸を正面中央に掛けて、全員で般若心経を称える。




 一番の年配者が、導師を勤めることになっている。
 時代は流れる。
 もう、何人の”導師”の後ろでお参りしたことになろうか??


 左の写真は、郷倉の扉である。

 時代の重みがある。外装は修繕して新しく見えるが、入り口の戸は昔の村人の嘆きや歓びを観ている。いろんな時代があって、そこで、今があるのである。
3  秋葉神社祭                        

 秋葉神社の社は、六所神社の東に鎮座している
 
準備が整った。宮司様がお手水にてお清め。
 お供え物が準備してある。右の写真は矢竹だ。
 村のここにだけ自生している。


 
頃合いを見て、皆がたき火の場所から集合する。

 お供えをする。


 
氏子総代の執り行う作法は、結構立派である。
 立ち居振る舞いまで、他所に比して恥じることはない。
 なかなか堂に入っているのだ。




 式典の開始。白装束が氏子総代者。
 二年の期間勤める。
 俗称:リョウちゃん・エイチャ・スークン・ゆっくん。

 考えればおかしいが、子供の頃からの呼び名は爺さんになっても変わらない。

 村では、職場での肩書きも、過去の失敗も、実績も皆おしなべて、一切関係なく平等に子供の時のまんま呼び合って、付き合いも変わらないでいる。




 これは代参者の報告の儀式。
 上の写真は、秋葉社の裏にある樫の大木である。
 大木の根は、何処かしら魅せられる。






 これで、予定のことは済んだ。

 宮司様は、厳かに社の扉を閉じて降りるところである。



 寒い日でも、必ずこの場所で行う。
4 祈 年 祭                    




     
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