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愛知県豊田市を中心とした郷土史
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                         編集:本田哲康
                         
<無断にての転用をお断りします>
西暦 年号 改元 神社仏閣関連 社 会 の 状 況
1900  明治  33     干ばつのため、明治用水と枝下用水間に紛争発生(明治用水資料集)。小原の下流で発電所竣工。1/23葉栗郡光明寺村で織物工場火災、31名焼死。県下初の私鉄尾西鉄道が開通(弥富ー一宮間)。2/尾西織物同業組合設立。3/愛知県庁、南武平町の新庁舎に移転。4/木曽・長良・揖斐川分流工事竣工。7/25中央西線名古屋ー多治見間開通。 
 1/社会主義協会結成。3/治安警察法公布。選挙法改正。6/清国義和団鎮圧のため陸軍派兵決定。8/孝徳秋水「万朝報」に、非戦論発表。
 (明治33年8月7日付け 「萬朝報」記事) ・・非戦争主義・・
 北清事変を現実としてやむを得ないとしながらも、理想としての平和を訴える矛盾を孕んだ記事だった。
「世の平和論者や非戦争主義者や、何ぞ今において大(い)に起(たっ)て平生の主張を・・云々
 (略)
 吾人は固より近き将来に於いて 世界の戦争を禁じ万国の軍備を廃止し
 若しくは制限すること 能わざるを知れり
  然れども 人間の理想は断じて 平和に在らざる可(べか)らず
    社会の幸福は断じて 平和に在らざる可(べか)らず   (略)」
 9/立憲政友会結成。   黒田清隆(五稜郭の戦いで活躍)28才で没。福沢諭吉(三度幕府遣外使節に随行)34才没。与謝野鉄幹ら、「明星」創刊。高峰譲吉、アドレナリン発見。第三次恐慌起こる。 真言宗醍醐派成立。
 沖縄、太田朝敷(10/28に)演説「女子教育と沖縄県」・・・「他府県に進んで同化すること。」「若し、消極的に同化させようとすれば、・・・・・幾多の不利を感じなければならぬようになります。」
  清国義和団事件:この頃、イギリス、フランス、ドイツ、北にはロシアなど、それぞれが勢力圏を広めようとしていた。清国は半ば植民地のような状態になっていた。清国内では民衆宗教「義和団」が扶清滅洋(清朝を助け西洋を滅ぼせ)と外国人襲撃運動が起こった。政府もこれを許した。これに対して、イギリス、アメリカ、日本など・・八カ国が出兵し団を鎮圧した。  ところが、出兵した国の一つロシアが、シベリア鉄道を守るためという名目で、満州(中国東北部)を占領してしまう。
1901 明治 34  この年、九久平、幸海各尋常小学校に高等科設置。(「松平町誌」) 挙母地区の小学校に、合同運動会開催。挙母で初めて種籾の塩水選実施。6/10「岡崎朝報」創刊。9/安城町に県立農林学校10/名古屋に県立工業学校開校。12/愛国婦人会愛知支部結成。この頃、東三河で温室栽培始まる。 
 3/奥村五百子、愛国婦人会創立。5/片山・幸徳等社会民主党結成。9/北京議定書調印。11/英外相、日英同盟提示。訪露中の伊藤、ロシア外相に日露協定案提示。11/八幡製鉄所作業開始。11/官営八幡製鉄所開業。田中正造、足尾銅山鉱毒事件で天皇に直訴。伊藤、日露協定断念。交渉打ち切り。与謝野晶子「みだれ髪」。日本赤十字社条例公布。大森房吉、地震計を発明。  清澤満之「精神主義」。
1902  明治  35  東北地方凶作  枝下で、用水農民騒動。三河産牛組合を改称、東加茂郡牛組合とする。3/瀬戸自動鉄道設立。8/豪雨浸水。13年来の洪水。11/逢妻川、吉原堤防決壊する(高岡町誌)。この年、豊田商会、織物製造に着手。
 1/日英同盟調印
(朝鮮半島と中国大陸でお互いの利権を認め合う内容が盛り込まれる)。3/商工会議所法公布。4/衆議院議員選挙法改正公布。
   日英同盟は、ロシアの南下に対して共同で退校するという趣旨であった。二年後に起きる日露戦争は、単に日ロ韓の戦争と言うだけでなく、中国に大きな権益を持っていた欧米諸国と帝政ロシアとの中国をめぐる対立葛藤という面があった。従って、日露戦争に際して英米も日本を支持し国際的なバックアップの基で後の戦争に踏み切ったわけである。 (「西田幾太郎 −人間の生涯ということ−」 上田閑照著 岩波新書)  
1903 明治 36 高橋 架設




清澤満之(1863-1903)没
愛知県碧南市生まれ。
 矢作川に高橋架かる。不況により松平ガラ紡景気落ち込む。西加茂の石粉県下の9割を占める。3/1愛知県立高等女学校開校。6/2大雨。矢作川堤防挙母町他で欠損(愛知県災害誌)。7/9大須の旭遊郭で大火。9/愛知県で我が国初の乗合自動車営業取締規則を制定。  
 1/閣議、海軍拡張決定。6/東京帝国大学7博士、対露強硬論を建議。7/伊藤博文、枢密院議長に就任、西園寺公望が政友会の後任総裁。8/対露同志会結成。日露協商基礎案をロシア政府に提示。
 日英同盟に調印した後、ロシアと戦うべしと世論が盛り上がる中、ロシアとの戦争を回避しようとしていた伊藤博文はサンクトペテルベルグに赴く。
 皇帝ニコライ二世と会見。しかし、失敗に終わった。 
 10/小村・ローゼン間で、日露交渉開始。10/「万朝報」海戦論に転ずる。11/幸徳秋水・堺ら、「万朝報」を退社し、「平民社」設立。 幸徳秋水「社会主義神髄」。
      ☆幸徳秋水(伝次郎)「戦争来」 より
 「戦争は遂に来(きた)れり 平和の攪乱は来(きた)れり 罪悪の横行は来れり 
 日本の政府は曰く 其責(そのせめ)露国政府に在りと 
 露国の政府は曰く 其責(そのせめ)日本政府に在りと 云々 」
          日露戦争明治37年2月(1904)~ 
  ☆幸徳秋水(1911年大逆事件で処刑)「兵士を送る」より
 「行け従軍の兵士 吾人(ごじん)今や諸君の行(く)を止むるに由なし
 諸君今や人を殺さんがために行く 否(しから)ざれば即ち人に殺されんが為に行く
 吾人は知る 是れ実に諸君の希(ねが)ふ所にあらざることを
 嗚呼 従軍の兵士 諸君の田圃は荒れん 諸君の業務は廃せられん
 諸君の老親は独り門に寄り 諸君の妻児は空しく飢えに泣く
 しこうして諸君の生還は元より 期すべからざる也 而も諸君は 行かざる可(べ)からず
 行け
 行(っ)て諸君の職分とする所を尽くせ 一個の機械となって動け
 然れども 露国の兵士も又人の子也 人の夫也 人の夫也
 諸君の同胞なる人類也 之を思ふて謹んで彼らに対して 残暴の行あることなかれ  」
 国定教科書制度制定。「平民新聞」創刊。 岡倉天心「東洋の理想」刊。 清澤満之(1863-1903)没:仏教哲学者・思想家、真宗大谷派の僧。1896年東本願寺で教学刷新と宗門改革を主唱したが、一時宗門より除名処分をされた。1899年、真宗大学の初代学長に就任、宗門に於ける人材養成にあたった。『宗教哲学骸骨』『他力門哲学骸骨』精神主義運動を提唱して革新的な信仰運動を展開した。西田幾太郎などもその影響を受けた。
1904   明治  37    甲  辰  2/10日露戦争勃発  2/日露戦争勃発。東・西加茂郡造林計画に着手。挙母町、愛国婦人会を結成。1/1日本陶器設立。3/6第3師団、日露戦争に出征。7/9/10伊賀川・乙川数カ所で決壊。(愛知県災害誌)。11/15覚王山日暹寺(後の日泰寺)落慶。釈尊分骨を迎える。露軍捕虜、東別院名古屋別院収容所に入る。
 1/対露交渉最終案決定。2/対露交渉打ち切り、開戦を決定。2/10宣戦布告。
目 的  @  韓国に対する日本の支配権をロシアに認めさせる
 A 満州からロシア軍を撤退させる。
 一方で、4月アメリカにアピール ・・・ 金子堅太郎(当時の大統領セオドア・ローズベルトと面識があった)
 ニューヨークで政財界の著名人に対してスピーチ:「ペリー提督は、私達に門戸開放を授けてくれました。今、我が国はその門戸開放のために戦っているのです。」 
 韓国の独立保持に関する日韓議定書調印。旅順口閉塞作戦。4/非常特別税法・煙草専売法公布。5/政府、社会主義取締教化方針発表。5/遼東半島に上陸開始。8/黄海海戦。第一次日韓協約調印。9/遼陽会戦。10/沙河会戦11/旅順総攻撃。与謝野晶子「君しにたまふこと勿(なか)れ」。青木繁「海の幸」
  ポアンカレ予想・・・「単連結な三次元図多様体は、三次元球体と同相と言えるか」と言うもの・・宇宙の形を大まかに知るための問いかけ。
 日露戦争の性格は、多面的であった。帝政ロシアが旅順や大連を中国から租借しているうえに、さらに満州に軍隊を入れてきた、その勢いが、日本にとっては国家のいわゆる「生命線」への威嚇と感じられた。どこで停まるかわからない仕方で南下するロシア帝政であった。 (「西田幾太郎 −人間の生涯ということ−」 上田閑照著 岩波新書)
日露戦争
1904-1905    
 クリミア戦争での不凍港獲得に失敗したロシアが、今度は遼東半島と朝鮮半島の植民地化に乗り出し、日本と衝突。開戦後日本優勢のままポーツマス条約が締結される。アジア人国家が白人国家から勝利を収めたこの一戦は、植民地支配からの独立を目指す有色人種諸国のナショナリズムを高めることにもなるが、のちに起こる太平洋戦争への数々の遠因を誕生させた。
1905  明治  38  芸予地震(安芸灘M7.5)  ガラ紡景気回復。挙母町金谷に、挙母信用購買利用組合設置。東加茂郡、日露戦争記念林の造林に着手。3/29名古屋高等工業高校開校。6/各地で戦勝祝賀会。6/10・14伊賀川堤防破壊。八丁一帯で浸水。流失家屋5戸、橋一カ所流失。(愛知県災害誌)。8/尾張紡績・名古屋紡績が、三重紡績に合併。9/ポーツマス条約締結。日露条約講話反対愛知県民大会開かれる。
 1/旅順のロシア軍降伏。1/相続税法・塩専売法公布。 1/29を以て、「平民新聞」全面赤色刷りの最終号となる。(発行禁止処分)幸徳秋水、新聞紙条例違反で禁固五ヶ月の処分。 3/満州・奉天会戦。5/平民社で、日本初のメーデー茶話会開催。5/日本海海戦。7/日本軍、樺太に上陸。
日露戦争の経費(18億円)  この頃の国家予算3億円
 増税  3.2億円 非常特別税 たばこ・塩などの専売制度
 国債  6.7億円   ※従軍した日本兵:109万人
 外債  8億円    ※内戦死した兵士88,000人
 8/第二次日英同盟新協約調印。9/日比谷焼き討ち事件(ロシアの賠償金が少ないと言う理由で講和反対:死者17名、負傷者2,000人))。東京市内戒厳令。講和反対の新聞発禁。平民社解散。9/ポーツマス条約調印。
ポーツマス条約調印:米大統領セオドア・ローズベルト、ロシア代表・ウィッテ、日本代表・小村寿太郎外相 
@ ロシアは、日本が韓国に於いて必要な「指導・保護及び監理の措置」を取ることを妨害・干渉しない。
A 旅順・大連の租借権、旅順口ー長春の鉄道と付属の権利(撫順炭鉱など)を日本に譲渡
B 北緯50度以南の樺太を日本に譲渡
 11/第二次日韓協約調印。夏目漱石「吾輩は猫である」。 日本海海戦で、初めて無線電信活用。  11/幸徳秋水、出獄後に、渡米。西田郁太郎「純粋経験に関する断章」起草35才。 夏目漱石「吾輩は猫である」。
 「此一戦」水野広コ 著 は、日露戦争の日本海海戦の様子と軍人の活躍を描きベストセラーとなる。
 この本を通して、水野は軍隊がいかに国民を守る存在であるかを訴える。
『一秒時間に数弾を吐き出す機関砲は轟々戞々
(ごうごうかつかつ)耳を圧し、頭上を掠(かす)むる・・・ その勇敢な働きは・・天晴(あっぱ)れ、日本男児として恥じぬものがあった。』
 水野の主張は、戦争の勝利に沸く日本人に広く受け入れられ、日本も一等国と成ったとの国民の意識を高めた。同時に、軍部も強国と渡り合えるとの自信をつけた。この考え方は、後
(明治40年)に著された「日本帝国ノ国防方針」に具体的に現れる。
 ロシアに対する日本の勝利によって大きく表に現れてきたことは、欧米の植民地・半植民地になっていた、しかし徐々に国民的民族的自覚が高まりつつあった非欧米諸国、即ち中国、インド、その他の殆どのアジア諸国及び諸民族に、欧米による支配からの自立の希望をもたらした。日露戦争は、日尾夫米食にはとってとても歴史的な出来事であった。 (「西田幾太郎 −人間の生涯ということ−」 上田閑照著 岩波新書)
 マックス・ウェーバー(Max Weber 1864-1920ドイツの政治学者・経済学者)、「プテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」刊。二十世紀になって、産業資本主義が再編成されて強固になり、機械化・組織化・管理化がしんこうして、個々の人は非常に強固な「鉄の檻」とも言うべきものに囚われることになった。十年もしないうちに、第一次大戦になると「国民」は「総動員」され否応なく戦争に駆り立てられることになる。その果てに将来に生じる三つの可能性を挙げて、「誰もわからない」と言っているが、「新しい予言者」があらわれたり、「かつての思想や理想の力強い復活」する可能性は到底期待できないであろう。そうであれば、最後に挙げる「一種異常な尊大さでもって粉飾された機械的石化が起きる」と言わざるを得ない。この最後の場合には、「こうした”未人”にとっては、次の言葉が真理となるであろう。 ・・・「精神のない専門人、心情のない享楽人、この無の者は、かつて達せられたことのない人間性の段階にまですでに上り詰めた、と自惚れるのだ」と、ニーチェがツァラツゥストラが山を下りて説教しはじめた時に、まったく聞く耳を持たなかった人々を”未人”といっていたものを引用している。(「哲学・思想を今考える −歴史の中で −」 魚住孝至著 放送大学教育振興会 NHK出版)
1906  明治  39  各地で町村統廃合(上郷・高岡、松平、保見、猿投、石野、高橋、加茂、阿摺、盛岡、小原、藤岡、三好、下山、旭の各村及び挙母、足助町。5/穂積・志賀・小川・豊栄・松平の五か村合併し、役場を九久平に置く。 7/第一回松平村会議員選挙。 8/1豊橋町、市制施行、人口37,635人。10/町村合併が完了、県下は666町村が265町村に・・。(中島郡苅安賀村では、合併に反対し、村長・議員らが総辞職)11/3「中京新報」、「名古屋新聞」と改称。輪転機印刷始まる。11/5名古屋瓦斯設立。
 3/鉄道国有法制定。長崎県高島炭鉱内でガス爆発。8/9神社合祀令・・1つの町村につき、神社を1つに統一し合併。3年間で、全国5万の神社が廃止される。鎮守の森が伐採された。南方熊楠反対運動を起こす。 11/南満州鉄道株式会社設立。島崎藤村「破戒」。夏目漱石「坊ちゃん」。
 オッペンハイマー生まれる(1904〜1967)。ブラックホールの理論でノーベル賞。 原爆開発の計画に参加して、「原爆の父」  と呼ばれるが、後に国際的に管理するように主張し、後の水素爆弾の開発に反対する。 オッペンハイマー事件: アメリカ議会に於いて、危険人物として訴追される。すべての公職から追い出される。「赤狩り」・・・アインシュタイン「米国人達は、ドイツ人の抜けた穴を懸命に埋めています。誰が米国人を正気に帰らせるのでしょうか?」と、バートランド・ラッセルに手紙を書いた。
1907 明治 40 小学校令改正。小学校の義務教育が4年から6年  この年、川向、九久平の一部に初めて電灯がつく。 大字九久平に私設消防組。(「松平町誌」) 3/小学校令改正。小学校の義務教育が4年から6年となる。この頃産馬業中心が足助から下山に変わる。藤岡に水車の利用盛ん。 2/豊田佐吉ら豊田式織機株式会社設立。8/知多紡績、三重紡績に、一宮紡績は日本紡績に合併。10/24名古屋市役所庁舎全焼。10/25名古屋にガス灯。11/熱田港を名古屋港と改称・開港。
 2/足尾銅山抗夫の暴動6/別子銅山抗夫暴動。スト争議件数明治年間の最高。第4次恐慌。株式暴落。6/日仏協約調印。7/第3次日韓協約調印、第1回日露協約調印。泉鏡花「婦系図」。田山花袋「蒲団」。
 日本軍、「日本帝国ノ国防方針」を著し、『帝国ノ国防ハ攻勢ヲ以テ本領トス』と、欧米列強(ロシア・ドイツ・イギリス・フランス・アメリカ)に対して一歩も引かないとの姿勢を示した。当時の欧米列強は、普く自国のためにアジア諸国を植民地とし領土拡大の対外膨張政策をとっていた。
 日本もまた同じ道を歩もうとしたのだ。日本が生き残るためには、軍隊を中心に対外膨張政策を進めるべきだと考えた。「剣光銃影」水野広コ 著 に、小国の富は 畢竟
(ひっきょう)大国の餌(えさ)、これを防ぐは 軍国主義にあり 云々 と述べた。
1908  明治  41   高橋村青年団を創立。巴川に巴川(盛岡)発電所完成。挙母地区、耕地整理計画を作成。2/名古屋市で下水道創設工事。4/名古屋市で区制実施。4/1第八名古屋高等学校設置。9/1第八高等学校開校。11/16渥美郡高師村に第15師団設置。この年、名古屋高蔵貝塚の発掘。 12/豊松尋常高等小学校の校舎豊松町二口に新設。(「松平町誌」)
 1/外務省、ハワイ移民を停止。3/増税法公布。4/第1回ブラジル移民781人神戸港出航。4/樺太島日露境界画定調書。5/日米仲裁裁判条例調印。6/赤旗事件。10/戊申詔書発布。「アララギ」創刊。「婦人の友」創刊。東京帝国大学で、癌研究会発会。
    シベリア南部ツングースカに隕石落下か? 火山か? 爆心地から8k離れたチェコ湖がクレーターか? 隕石のかけらが無い。広範囲になぎ倒された樹木。中央部には倒れない樹木。  6/30 午前7時14分  「ツングースカ爆発」 ツタンカーメンの短剣は鉄隕石(鉄とニッケルの割合が独特)で作られていた。 2013年の隕石落下と同じか?! この隕石には地球にはあり得ない物質を含んでいた。γ鉄・シュライバーサイト・トロイライト・テーナイトであった。 ツングースカの生き残った樹木の樹皮にこのテーナイトが痕跡として遺っていた。 数十億年前に火星から飛び散った堆積岩大小の二個が、宇宙を彷徨ったあげくに、この年に隕石として落下し、小さい石でチェコ湖か? 2016年 「コズミックフロントNexst」NHKより
1909 明治 42 姉川地震M6.8(滋賀県)  高岡、一本木で移住開拓始まる。藤岡及び西加茂郡、青年団設立。郡立学校、寺部に移転。2/豊橋瓦斯、4/一宮瓦斯設立。5/15愛知県医師会設立。11/9鶴舞公園開園。伊藤博文(松下村塾出身、討幕派)27才没。  
 4/種痘法公布。5/新聞紙法公布。6/国技館落成。7/大阪北部ほとんど全焼。7/閣議、日韓併合の方針確定。8/近江大地震。10/伊藤博文、ハルビンで射殺される。12/米、満州鉄道中立化案提議。
1910 明治 43  下山村、青年会設立。大沼、消防組設立。井上徳三郎、井上農場の開墾に着手。在郷軍人藤岡分会発足。2/木曽川竣工。4/12名古屋開府300年記念祭。5/名古屋中央市場開設。11/21名古屋電気鉄道設立。
 1/日・露、米の満州鉄道中立化案拒否。3/戸山ケ原で、日野式飛行機の実験飛行成功。ハレー彗星通過。風俗取締令公布。3/立憲国民党成立。5/大逆事件の検挙開始。7/第2次日露協約調印。8/日韓併合、朝鮮と改称。10/朝鮮総督府設置。11/帝国在郷軍人会発足。白瀬大尉以下28名、南極大陸探検に出発。
1911  明治  44    辛  亥  大正デモクラシー



 額田銀行九久平代理店設立。中央線が全通、矢作川筋の川舟の運行減少する。8/4豪雨、矢作川増水1丈8尺、長興寺堤防破壊、枝下用水梅坪地内堤防破壊、耕地被害甚大。商家は、徹夜して避難(挙母市史資料)。10/安城で、第1回畜産共進会開催。西尾鉄道(元の西三軌道)岡崎ー西尾間で開通。
 1/大逆事件被告・幸徳秋水ら12名、死刑執行。2/貧民救済に関する勅語発布。2/日米通商航海条約調印(小村寿太郎外相、関税自主権回復)。以後同様に各国と調印。3/工場法公布。5/中央線全通。7/第3次日英同盟協約調印。11/東京市に職業紹介所設立。西田畿太郎「善の研究」出版。野口英世、スピロヘータの純粋培養成功。
 この年、沖縄学の祖・伊波普猷(
いはふゆう1876〜1947)「古琉球」発行される(総部数1,000)。・・・言語等、日本の文化と共通し日本文化の源流を保持していると主張・学問的に追究=沖縄語と大和語の共通点。 ここで挿入された伊波普猷の琉歌
「深く惚れ フカクフレ 己の胸中の泉 ナァドゥヌンニウチヌ イジュン 余所たよて ユスタヨティ 水や汲まぬごとに ミズィヤ クマヌグトゥン」

 西田畿太郎「善の研究」出版。純粋経験の自発自展の展開体系    上田閑照
 西田は、参禅もして見性体験もしていたが、あくまで西洋哲学の言葉と論理に従って、自らの立場を表明しようとした。
 「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。」その経験は、いまだ主なく客のない主客未分の「純粋経験」である。「あるがままの直接的な知覚」であり、思惟も意志も包含するものである。「小なる統一」(事故の経験)より、大いなる自己の実現〔真理〕において「宇宙統一力の発動」を果たすべきだと言う。西田は、デカルト以来の主観のさらに根底に戻って、自己の根底から真実在の有り様を論理的に究明しようとしたのである。ここにおいて、西洋近代哲学を踏まえつつそれを超えようとする新たな日本の哲学が誕生したと云ってよいのである。 (「哲学・思想を今考える −歴史の中で−」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋) 
    ******************************
 ※真実在の根底である純粋経験の実在としての展開
 始原の、主もなく客もない原子の純粋経験がそこだけ直示される場合→ 「無」
 主客への分解を含んで自展した具体的な純粋経験において主客相対するところでは、
                              主の方は→ 「精神」
                              客の方は→ 「自然」
 そのように展開した純粋経験の全体、主客を含んだ全体が
                         主側から尽されると→ 「自己」
                  同じ全体が客側から尽くされると→ 「宇宙」
 そして、そのように展開した純粋経験の全体、しかも原始の未分の統一力が、無限の統一力として現勢化したその統一に
          統(す)べられている生ける全体としての全体が→  「神」

 ※純粋経験は同時に真の自己の根源であるから、実在としての展開と連動する自己の展開として 
   原始の未分に直接する「感覚(ちかく)」、未分を分節していく→  「思惟」
                           再統一への運動→  「意志」
            展開された全体をその統一において観取する→  「知的直観」
 ・・・と言うように自己変容していきます。
 そして純粋経験の実在としての展開と、自己としての展開とが相入しながら自発展開する。
                     「西田幾太郎 人間の生涯ということ」岩波新書 P128

 夏目漱石、「現代日本の開化」と題する講演。<西洋は150年かけて内発的に近代化を開化してきたが、日本は強制された外発的で短期間に「皮相で上滑りな開化」をせざるを得ない。」「ただ出来るだけ神経衰弱に陥らない程度に於いて、内発的に変化していく」ほかないといわざるを得なかった。 (終わりの方で、「〔日ロ〕戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすれば出来るものだと思います。」とのべた。・・・この部分別の資料)
 彼は明治の日本人の屈折した心理を小説に書いていたが、心理的葛藤の小説を午前中に書くと、午後は漢詩や俳句を作って精神にバランスをとっていた。近代的な人格を「自己本位」と悟ってから落ち着いたが、近代世界は葛藤に満ちてなかなか生きづらい。晩年東洋的な「則天去私」を標榜したが、それがもはや不可能なことは本人が良く分かっていたのではないか。> (「哲学・思想を今考える -歴史の中で−」 放送大学教育振興会 NHK出版より)
 辛亥革命、中華民国成立 
1912 大正 1 日本の大陸侵略  久澄橋完成。2/18愛知電鉄熱田伝馬町ー大野間開通。2/21一宮電気設立。4/ふん尿汲み取りの名古屋市営が実施。5/30三河鉄道設立。8/9川口音海創案の菊琴(大正琴)発売さる。8/22台風により、日光川決壊。伊勢湾北部高潮で死者155人、家屋全半壊11,150戸。9/22台風により旧平戸橋流失(愛知県災害誌)。
 1/中華民国成立。7/第3回日露協約調印。7/30明治天皇崩御。乃木希介夫妻殉死。9/全国にコレラ流行。タクシー営業始まる。12/第一次護憲運動起こる。
 美濃部達吉・上杉慎吉、天皇器官説論争。
美濃部

達吉
 天皇も国民と同じく国家機関の一つである。従って、統治権は国家そのものにある。統治権は国家全体の利益のために、国家にあるべき・・・。
 「器官」とはOrganの意味で、人体にたとえると全身の中で頭脳器官を現す。
 当時の雑誌「太陽」で、相互に激しく論争を行った。
 論争の結果、この時は美濃部の説が他の憲法学者や法学者からも支持された。
 これまで、東大で一つしかなかった憲法講座が二つ設けられることとなった。
 学生がどちらかの講座を選ぶこととなった。結果、東大生の多くが美濃部講座を選択する結果となった。
上杉
慎吉
 天皇こそが統治権を持ち、日本の主権者である。君主国説。
 第5回オリンピック初参加。
1913 大正 2  郡立農学校女子部、西加茂郡立実業女子校とし改称。乗合バス(平戸橋・名古屋間)営業開始。足助町立文庫を足助尋常小学校に付設。1/22大須遊郭大火。1/26名古屋で東海11州憲政擁護大会。7/1海東・海西が合併し海部郡。8/23大須遊郭移転敷地に関し疑獄事件。10/稲永遊郭移転に関し疑獄事件。この年、志賀重昂日本ラインを命名。
 2/日本結核予防協会設置。護憲運動の群衆デモ、以後各地にデモ波及。5/カリフォルニア州排日土地法成立。6/軍部大臣現役規定廃止。9/南京で、北軍の日本人殺害事件(政府抗議)。10/中華民国を承認。12/立憲同志会結党(総裁:加藤高明)。東北地方凶作。和辻哲郎〔24才〕、「ニイチェの研究」。中里介山「大菩薩峠」。斉藤茂吉「赤光
(しゃくこう)
1914  大正 3 第一次大戦参戦。

1/桜島大噴火
(大陸と地続きとなる)

大戦景気・米騒動
 足助畜牛市場開設。尾三自動車・足助自動車株式会社設立。バス運行開始(明知・小渡間)。1/24東海商業会議所連合会、営業税全廃決議。2/6名古屋国技館開館。2/〜8/名古屋勧業協会、営業税撤廃を決議し、県下商工業者は営業税廃止建議書を、地主らは地租軽減期成同盟会の支部をつくり減租運動。8/20明治・愛知・名古屋の3銀行で、取付騒ぎ。9/1名古屋上水道給水。9/6鶴舞公園で名古屋電気鉄道会社糾弾市民大会、値上げ反対運動暴動化。11/ドイツ軍捕虜、東本願寺名古屋別院収容所にはいる。この年、名古屋でタクシー業始まる。
 2/日比谷の内閣弾劾国民大会騒擾化、軍隊出動。3/大正博覧会。3/山本内閣総辞職。4/第二次大隈内閣成立。6/28オーストリア皇太子暗殺(サライエボ事件)。7/28オーストリア、セルビアに宣戦布告。第一次世界大戦起こる(〜18)。8/1ドイツ、ロシアに宣戦布告。8/3ドイツ、フランスに宣戦布告。8/4ドイツ、中立国ベルギーに進入。イギリスドイツに宣戦布告。8/6オーストリア、露・仏・英と開戦(〜8/12)。8/23日本ドイツに宣戦布告。10/14日本軍、赤道以北の独領南洋諸島占領。11/7日本軍、青島占領。 東京駅開業。高村光太郎「道程」、夏目漱石「こころ」 霧島山1700m(宮崎県と鹿児島県の県境)噴火。
 世界各国の、膨張政策はついに暴発した。第一次世界大戦は、これまでの戦争の形を大きく塗り替えた。航空機・戦車・毒ガスなど新兵器が登場し、大量殺戮を可能にした。フランスのベルダンでは50万人以上の死者を出した。
 軍人以外の市民、老人や子供までが戦争の巻き添えになっていた。水野広コは、そこに視察に赴き、ロンドン郊外で空襲に遭う体験もした。
 その後、彼は次のように報告した。
 『破壊と殺戮をほしいままにしたる戦いの跡は見るも悲惨 聞くも悲哀 誠に言語の外
(ほか)である。村落は壊滅し 田園は荒廃し住民は離散し 家畜は死滅し 満目(まんもく)これ荒涼』と。惨として生物を見ない。・・・・・・。』
 水野広コ自伝 「剣を解くまで」より。国を富ませようとした挙げ句の果てが、・・・、このような惨状であったのであった。水野広コは、国家の在りように疑問を抱き始めた。かつて「軍隊が国民を守る」と訴えてしまった軍人の自分にも疑問を抱き始めた。「国家とは、国民を守るために存在するのではなかったのか・・・。しかし、、実際は軍隊があることが、国民に犠牲を強いているのではないか?」「戦争を避けるには、各国民の良知と勇断とによる軍備の撤廃のみである。」と考えるに至り、軍備撤廃主義に変わった。 注:日露戦争の時の死者は8万人。
秋田仙北地震M7.1
    第一次大戦
1914-1918
 二十世紀初頭、植民地の主要都市を基幹交易路として政策を進めたイギリスとドイツは各地で対立。一方、バルカン半島ではゲルマンとスラブの対立が激化していた。 1914年、セルビア人テロリストによるオーストリア皇太子暗殺を引き金に、三国協商(イギリス、フランス、ロシア)対三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)をもとに第一次世界大戦が勃発。1917年レーニンの十月革命ののちロシアの帝政は解体。疲弊するヨーロッパ諸国に対し、アメリカにとっては経済発展の契機となる。多額の賠償金を背負ったドイツは国民の反発を生み、のちにナチス政権誕生へ。イギリスはアラブ人の独立を保障するフセイン・マクマホン協約とパレスチナへのユダヤ人国家建設を認めるバルフォア宣言という矛盾した外交を行った。
 これらの禍根が第二次世界大戦、今なお続く地域紛争を生み出したと言える。 
1915 大正 4  西加茂郡の人力車63台、以後減少。バス運行開始(岡崎・足助間、足助・杉本・小渡の間)。知立・越戸間に三河鉄道北部延長工事開始。高橋村に御即位記念図書館できる。藤岡村で、トロミル使用。「扶桑新聞」「名古屋毎日新聞」と改称。11/22名古屋広小路に八層閣と呼ばれた北浜銀行名古屋支店できる。
 1/対華21箇条要求提出。中国承認、調印。5/4イタリア、三国同盟破棄。5/9中国各地で、排日運動高まる。5/23イタリア、オーストリアに宣戦布告。井上馨(松下村塾出身、討幕派)没。
1916  大正     7/1額田郡岡崎町が、市制施行。人口37,639人。8/友愛会名古屋支部結成。  9/工業法施行。 
 1/大隈重信狙撃される。2/友愛会、婦人部を設置。5/31ユトランド海戦。イギリスの制海権崩れず。7/1ソンムの会議。9/大阪で職工組合同志会結成。9/イギリス初めて戦車使用。11/ドイツ、初めてロンドン空爆。   倉田百三(1891〜1943)「出家とその弟子」成る。河上肇「貧乏物語」。 
 この年、アインシュタイン「一般相対性理論」と宇宙方程式。   
1917  大正    静岡地震(M6.3)

米価高騰が始まった
 11/名古屋兵器製造所が熱田にできる。12/25鳴海町小作争議はじまる。  
 3/11ロシア革命。4/6アメリカ、ドイツに宣戦布告。9/銀輸出禁止・金輸出禁止。11/6ロシア、11月革命。ソビエト政権成立。 日本、協定にもとずいてシベリア出兵。この噂が広まると、米の買い占めで米価高騰が始まった。
 菊池寛「父帰る」萩原朔太郎「月に吠える」  
 ロシアでは、戦争への不満が募っていった。当時の首都ペテルグラードで労働者が大規模なデモとストライキに立ち上がる。鎮圧に当たった一部の兵士も之に加わって反乱となる。(三月革命)これによって、ロマノフ王朝が倒された。変わって成立した臨時政府は戦争を継続。11/レーニン(1870〜1924、戦争反対を唱える社会主義者)再度革命を起こしてソヴィエトという労働者・兵士の等が政権を握る。工場などを社会が所有する、社会主義国家を建設しようとした。   ヨーロッパなど、各国の主導者たちは社会主義思想が世界に広まることを恐れた。アメリカ/イギリス・フランスなどが共同してシベリアに兵を送った。日本もこれに加わった。(アメリカとの協定で定めた兵士の数は7000人だったが、それを大きく超える兵力だった:73000人。)日本は,他の国が撤退した後も兵を止め1922年まで出兵を続けた。
1918  大正    戊  午  この年から20年にかけて、急激に米価が高騰する。(1915年は13円60銭→45円89銭)



 藤岡村で、タクシー開業。挙母で米騒動。4/1名古屋鶴舞公園付属動物園開園。8/10〜25米騒動名古屋に波及。その後、豊橋・一宮・瀬戸・挙母・岡崎・蒲郡・岩倉・刈谷・猪高など県下に広がる。8/24第3師団、シベリア出兵。10/名古屋造船所設立。11/名古屋市が公設市場を設ける。  
 1/8米大統領ウイルソン、「平和14原則」発表。3/3ブレスト・リトフスク条約、独ソ単独講和。8/2日本政府、シベリア出兵宣言。8/富山県、高騰する米貨に対して主婦たちが騒動を起こす。・
 米騒動(全国50万〜70万人に波及)。 軍隊が鎮圧する。
 時の水野内務大臣は、連鎖的に広まるとして、米騒動の報道記事発表を押さえた。(その部分白塗り)
 社会主義が広まるロシア革命や、国内の米騒動以後、国内では様々な民衆運動が発展し出す。 
* 民主運動の起こり *
労働運動  友愛会(1912)・・労使協調主義
→日本労働総同盟(1921) ・・各地のストライキを支援
農民運動  小作人が地主に対して小作料の引き下げなどを求める→ 日本農民組合(1922)
女性運動   新婦人協会(1920)・・平塚らいてう等の呼びかけで婦人の社会的政治的地位の向上を
社会主義運動   新人会(1918)・・東京帝国大学の学生が中心となって発足。社会主義思想の普及。
日本共産党(1922)・・国際共産種革命を目指す等の日本支部として発足。
 この党は、レーニン思想にもとずいた政党。天皇制の廃止・日本の植民地の解放。
 部落解放運動  全国水平会(1922)
 11/11独、休戦協定調印。第一次大戦終結。武者小路実篤「新しき村」創建開始。   
 オーストリアの王朝が壊れる。 
1919  大正  8      六所神社外宮拝殿新築  恐慌襲来・国際協調外交  六所神社外宮拝殿新築。2/9名古屋で普通選挙要求市民大会。5/1名古屋布池にアメリカ呂時間設置。9/16大雨のため、河川増水し道路冠水・橋梁流失広範囲にわたって交通途絶(松平村誌)。この年労働争議頻発(115件、参加人員15,367人)。板垣退助(会津戦争で大隊指令)31才没。  1/パリ講和条約。5/戦後の不景気始まる。6/28ベルサイユ条約調印。ILO加盟。  和辻哲郎(1889-1960)「古寺巡礼」
   マックス・ウェーバー(1864-1920)、「職業としての学問」刊。は、当時の学問の意味喪失の様を如実に面得るドキュメントとして読める。「学問に意味はなにかという問題Simmproblem der Wissenschaft」「人類の生活全般の中で学問という職業は何であり、またその価値はなんであるか」という問題であった。これは、学問に寄せる当時の「若い世代」にの思いに由々しい「変化」があらわれていると彼が感じとった。学問を「信なる存在への道」として讃美したプラトンにひきかえ「今日特に若い人たちの感じ方は、とっくに正反対のものになっている。つまり学問がこしらえる思想の世界とは人為的抽象からなる背後世界的な国であり、そうした抽象は干からびた手で」現実生活の血潮や精気をひったくろうとする。およそ学問は「我々にとって唯一重要な問、つまり、われわれは何をなすべきか、いかに生きるべきか」を少しも教えてくれない「無意味」な存在でしかない。」と。ウェーバーは、明らかに学問がニーチェの預言通りに進行していることを感じとっていた。彼は宗教社会学を構想して、『古代ユダヤ教』『ヒンドゥー教と仏教』『儒教と道教』を著し、広く深く研究していた。 (「現代の危機と哲学」森一郎 放送大学教育振興会 NHK出版) 
 ヤスパース(Karl Theodor Jaspers,1883-1969)ドイツ哲学者精神科医、この年、「世界観の心理学」を著す。 この年8月、ワイマール憲法公布、人民主権に基ずく共和国となる(しかし、33年ヒトラー政権成立によって終わる)。
1920 大正 9 第一次世界大戦中は海外に製品が売れたが売れなくなる。:

戦後恐慌
 2/22名古屋普通選挙期成同盟会設立。5/15三菱内燃機製造株式会社設立。6/14県立愛知医科大学設置。7/11愛知医科大学開校。10/1第1回国勢調査実施名古屋人口429,997人。愛知県人口2089,762人。11/27名古屋高等商業学校設置。11/新婦人協会名古屋支部結成。 
 1/10国際連盟成立。市川房枝ら新婦人協会結成5/最初のメーデー国際連盟成立。 和辻哲郎 「日本古代文化」。
 
5/水野広コは、第一次世界大戦の現状視察を終えて、海軍大臣に帰国報告をした。訪ねられて、次のように報告した。「日本は、如何にして戦争に勝つかよりも、如何にして戦争を避くべきかを考えることが緊要です。」と・・。戦争は、勝っても負けても悲劇しかもたらさないことを痛感したのだ。(「水野広コ自伝」より)当時の軍部の方針に対して真っ向から異議を唱えた。報告を終えた水野は、25年6ヶ月の軍人生活に終止符を打ち官軍を去り、ジャーナリストに変身する。
1921 大正 10  戦後恐慌の一要因

 労働者や小作人が貧しく、国内市場が十分に整っていなかった。
 
 大正時代の日本社会
農村  都市 
地主  資本家
・財閥 
   
小作人  労働者 
女性の地位の問題被差別部落の問題 
 この頃、矢作川で鵜飼いが行われる(猿投町誌)。5/2愛知郡呼続町に名古屋高等商業高等学校開校。この年県下に小作争議件数全国最高(278件)。10/27永田鉄山・・ 陸軍中将。長野県出身。陸軍士官学校第16期。陸軍大学校卒。ヨーロッパ駐在(6年間)中、ロシア駐在武官の少佐:小畑敏四郎としろう・欧州出張中の少佐:岡村寧次やすじらと陸軍の改革を決意(バーデン・バーデンの密約)
  バーデン・バーデンの密約 ・・・ 話題は祖国の立ち後れに集中した。          「なぜ戦争へと向かったか」 NHK
 午後10時過ぎ:三者集合すると直ちに議論が始まる。
 永田
(スイス駐在武官):陸軍の装備は、日露戦争当時と比べて進歩がない。
 小畑敏四郎少佐:しかし、山県有朋元帥の息がかかった古い上層部に改革はできない。
 岡村寧次少佐:国民と軍が乖離している現状では、新しい時代の戦争に備えられない。

 三人の考えは、古い陸軍を刷新するという意見に一致した。
 彼等は、ヨーロッパ滞在中に、国家同士がすべての資源を投じる総力戦を見ていたのであった。
 後に、
 永田は、6年間の滞在を終えて報告書に「総力戦」の必要性を説いた。内容には、「産業大組織の促進奨励」・・国内産業を軽工業中心から重工業へと転換させる等、国家全体を改造させるものであった。
 後に、鈴木貞一の証言によれば、
 「広い意味で、世の中を見て多少改革もやらなくてはいかん。そう言う考えを持っていた人は永田さんだけでした。第一次大戦後のドイツを見て、日本を振り返ってみて、これではいかんという考えをもたれたと思う。
                 ***************
 後にあるグループを発足された。その名は「一夕会」だった。
 陸軍士官学校16期生を中心に40名のエリート将校がその会員だった。当時は、政治が選挙目当ての党利・党略の政争に明け暮れ、贈収賄事件が相次いでいた。「私の利益を掲げ、自分たちの権力欲のためのみの政治でしかない。あれに期待してはだめだ。」と、政治の混迷が彼等の行動を加速させた。政治と軍をつなぐ陸軍省の人事・戦争の作戦を担う参謀本部にも手を出し始めた。岡村寧次は、軍事局の課長に就任。翌月には、永田は軍務局の軍事課長となる。この時に、参謀本部総務部編成動員課長には東条英機が就任した。こうして一夕会は権限を占めるようになっていった。 ・・
   11/原首相、東京駅改札口で暗殺される。12/ワシントン海軍軍縮条約調印(注)。12/四カ国(日・英・仏・米)条約調印。日英同盟廃棄。文部省、通俗教育を社会教育と改称。志賀直哉「暗夜行路」。 鈴木大拙、真宗大谷大学の教授となり、京都に居を移す。ピアトリス夫人との共同編集で「The Eastern Buddhist]を創刊。 倉田百三「愛と認識の出発」。 河上肇「唯物史観研究」。   「日本大蔵経52巻」刊行成る。
注:10/水野広コは、「中央公論」に軍縮を訴えた論文を書く。「もし、軍備撤廃が困難であるとすればせめて各国協定のもとに軍備を縮小し、もってその競争的拡張を防止することが必要である。」(「華盛頓会議と軍備の縮減」より)「中央公論」この論文は、軍備のための増税に泣く国民に広く受け入れられた。この頃、欧米でも軍事費の増大に悩んで軍縮への動きが始まっていた。11/ワシントン会議(主な議題は、各国の主力艦の保有量に制限を設けるというものであった。会議の結果、日本はアメリカの保有量10に対して「6」に押さえることが決定された。) 水野広コは、このことに力を得て、更に陸軍の軍縮も訴えた。「    。陸軍は隣国の情勢に応じて国内的に処理することが出来る。陸軍の縮小は、今や国民の声である。国民の要求である。云々」(「陸軍縮小論」:「中央公論」)
1922 大正 11 吉木山六所神社を県社に改める。

島原半島南部地震M6.9
 吉木山六所神社を県社に改める。   1/中部労働組合連合会結成。6/26東邦瓦斯設立。東邦電力設立。7/1〜4乙川・早川堤防決壊、田畑142ha、桑園420ha浸水(愛知県災害誌)。7/28大同精鋼・電気精鋼所合併、大同電気精鋼所設立。11/10愛知水平社設立。9/田原町吉胡貝塚発掘307体の縄文人骨出土。 
 2/6ワシントン海軍軍縮条約、九カ国条約調印。
   九カ国条約
 第一条 支那国以外ノ締約ハ左ノ通約定ス 
  支那ノ主権、独立並其ノ領土的及行政的保全ヲ尊重スルコト  (後略) 
 4/治安警察法改正。4/日本農民組合結成(神戸)。7/日本共産党、非合法に結成。10/25日本軍、シベリアから撤兵か完了。  山県有朋(松下村塾出身、騎兵隊総督)85才没。大隈重信(肥前の尊攘派として活躍)84才没。
1923 大正 12 関東大震災(M7.9)

震災恐慌
 4/1郡制廃止。5/1鶴舞公園で、名古屋初のメーデー。6/愛知電鉄神宮前ー東岡崎間全通。9/29鶴舞に名古屋市立図書館開館。  9/1午前11時18分・関東大震災。死者・行方不明者14万余人。震源地は相模湾北部。被害は東京中心に関東地方とその周辺。損害額は推定55億円。
 震災の後に、「社会主義者や朝鮮人が放火などをする。」などとデマなどが流されて、民衆はこれらの悪質なデマに惑わされて、各地で自警団を組織した。戒厳令を引き警察や軍人たちもそれに備えた。
 軍人や警察官・自警団員によって、朝鮮人など無実の人々が公然と虐殺された・震災恐慌。 朝鮮人の犠牲者はおよそ6000人。労働運動の指導者や中国人なども軍隊によって殺害された。
 11/国民精神作興に関する詔書発布。「文芸春秋」創刊。横山大観「生々流転」。
 トルコ共和国成立。
1924  大正  13  同 余震(M6.8)、    丹沢山塊地震M7.3。

政友会分裂、政友本党は清浦支持。
総選挙(憲政会151,政友会105,革新倶楽部30,政友本党109)

愛知出身初の内閣総理大臣
 5/米国の排日移民法に抗議。6/11愛知出身初の内閣総理大臣、加藤高明内閣成立。(「護憲三派内閣」)
* 加藤高明内閣 *   幣原は外務大臣就任
日ソ基本条約  ソ連との国交樹立 
治安維持法  国体(天皇制)変革と私有財産制否定の結社を取り締まる・・社会主義勢力の弾圧。
                 *************
 第1条
 1 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ・・・
   之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス 
 普通選挙法 納税額に関係なく25歳以上の全男子に選挙権 
 7/小作調停法。12/婦人参政権獲得期成同盟会結成。谷崎潤一郎「痴人の愛」。 田辺元「カントの目的論」。 レーニン没。スターリンが変わる。
   ※日露戦争直後のこの時期は、一方からいうと植民地主義の世界的な完結であり、同時に世界史の潮流が大きく変わって、単に欧米による世界の植民地化ではなく欧米に対するもう一つの力が起こったときだった。東アジアでそれを代表するのが日本ということになる。これで欧米と非欧米という対立が歴史の現実になり始めた。日本は国家としての動きが二義的になってくる。一つは秘奥米国として欧米に対抗する。もう一つは日本自身が東アジアの諸国を植民地化しようとする不義の動きであった。それによって欧米に対決しようとする、一種の悪循環である。このような二義的な性格は第二次大戦まで続いた。 (「西田幾太郎 −人間の生涯ということ−」 上田閑照著 岩波新書)
 この年十一月、神戸で二千人を超える聴衆の前で孫文が下記の有名な演説をした。テーマ:「大アジア主義」  桶谷秀昭著「昭和精神史」より抜粋
 「今から三十年以前に至るまで、わが全アジアには一つの完全な独立国もなかったといえましょう。・・・・・しかしながら・・・・・アジアが衰弱してこの極致に達したとき、ここに別の転機が生まれました。その転機こそアジア復興の起点です。」(一つの転機:日露戦争日本勝利)「・・・・その要点はどこにあったでしょうか。日本にあったのです。日本がまさに二十年前、外国と結んだ不平等条約を破棄したのです。日本が不平等条約を破棄したその日は、我ら全アジア民族復興の日だったのです。日本は・・・・アジア最初の独立国になったのであります。」(ここから孫文は調子を変えて次のように続けた)「貴方方日本民族はすでに欧米の覇道文化を手に入れている上に、またアジアの王道(徳治)文化の本質をもっていますが、今より以後、世界文化の前途に対して、ついに西方覇道の手先となるのか、それとも東方王道の干城となるのか、それはあなたがた日本国民が慎重にお選びになれば良いことであります。」 <孫文は持病の肝臓癌の悪化を自覚して居たが切々と訴えた。翌年の三月十二日に天津で死ぬ。>   (「西田幾太郎 −人間の生涯ということ−」 上田閑照著 岩波新書)
   
1925 大正 14 '北但馬地震M6.8。この時、城崎温泉地帯は全壊する。

 豪雨により、大水害
(籠川、逢妻川、枝下用水決壊)
 1/東海道稲沢操車場開設。5/1豊橋の第15師団、軍縮により廃止。7/15名古屋放送局(JOCK)、中区南外堀町でラジオ放送開始。(加入者3,291人)。8/豪雨により、大水害(籠川、逢妻川、枝下用水決壊)。 
 1/日ソ基本条約。国交回復。2/治安維持法・労働争議調停法反対労働者大会 4/日本労働組合評議会を結成。4/治安維持法公布。5/普通選挙制。有権者の数が4倍になった。11/東京環状線電車全通。細井和喜蔵「女工哀史」。孫文没。
 5/陸軍、大規模な軍縮を行う。当時、21個師団の内、4個師団を削減し、3万4千人が人員整理された。これ以降、陸軍の士気は低下した。
 日露戦争以降、賞賛を集めていた将校たちも、中には軍服を着ないで私服で目立たぬように登庁するものも出るようになった。世論の軍縮熱の中で、軍人たちはただ黙々と訓練に励むことになった。
1926  昭和    丙  寅  大正天皇崩御  12/25大正天皇崩御。4/アジア製靴争議。7/1郡役所廃止。10/普通選挙制による最初の選挙、東加茂郡足助町議会議員選挙行われる。この頃、碧海郡は、稲作と養鶏・果樹野菜との多角経営が成功し、日本のデンマークと呼ばれる。 
 1/日本労働組合総連合創立。4/労働争議調停法・治安警察法改正。7/健康保険法施行。10/日本農民党再建、社会民衆党結成。日本労農党結成。川端康成「伊豆の踊り子」。 三木清「パスカルに於ける人間の研究。 日本放送協会設立。 火山性の地震。
  7/この頃以来、中国の蒋介石の率いる国民政府が武力による中国全土統一・北伐を進める。 ・・・・・この動きが日本の権益を脅かすと、、しではら内閣を「軟弱内閣」と日本の陸軍「立憲政友会」などは批判した。 中国・胡適(1891〜1966)大英博物館及びフランス国民図書館で、敦煌文書を調査し、「楞伽師資記」「神会語録」などの禅録を発見する。
1927  昭和  2  本田利三郎、六所神社下宮:狛犬「吽」寄進する。

  
北丹後地震(M7.3)。


金融恐慌
 3/金融恐慌起こる。4/22県下の銀行、金融モラトリアム実施に伴い3日休業。4/県内に金融恐慌波及。
* 金融恐慌の起こり * 
 関東大震災の被害で、手形が焦げ付く(・・「震災手形」)等の経済不況が続いたので・・・
 この年の3月、時の片岡直温蔵相が、衆議院議会で「東京渡辺銀行」が破綻した・・と、事実とは異なる失言をした。これが元で、人々が預金を引き出すために銀行に押し寄せた。 取り付け騒ぎが起きた。これが引き金となって各地の中小銀行が休業や倒産に追い込まれた。
 更に、開戦景気で急速に発展した日本第三位の「鈴木商店」という商社が破産。そこに巨額の融資をしていた「台湾銀行東京支店」も、経営危機に陥った。・・これが、金融恐慌
 「  謹告
   帳簿整理ノ為メ 本四月十八日ヨリ向フ三週間臨時休業仕候
           昭和二年四月十八日  株式会社 台湾銀行東京支店    」
 
 政府は,この銀行のために緊急勅令を出そうとしたが、その案が枢密院で否決される。若槻内閣総辞職。
 田中義一内閣発足。結局、銀行に対しては「モラトリアム令」を・・・。
 5/立憲政友会,6/立憲政友党愛知県支部発足。
   * 当時の政界対立 *
憲 政 会   若槻礼次郎 対英米協調
対中国不干渉 
 緊縮財政 
立憲政友会  田中義一   対英米協調
対中国強硬外交 
積極財政 
この年に、合同して「立憲民政党結成」   
 6/1愛知電鉄、神宮前ー豊橋間全通。9/本田利三郎、六所神社下宮:狛犬「吽」寄進する。9/25普通選挙最初の県会議員選挙。11/19北原泰作、天皇直訴事件起こす。
 3/全日本農民組合結成。金融恐慌勃発。4/三週間のモラトリアム(支払猶予令)実施。4/徴兵令を改め兵役法公布。5/第一次山東出兵。6/立憲民政党結成、総裁浜口雄幸。ジュネーブ軍縮会議。東方会議。
 * 東方会議 1927.6〜7*
出 席 者  ○ 田中義一 ・・首相兼外相
○ 森 恪
つとむ(外務政務次官、三井物産出身)・・・上海・青島などに利権を有す
○ 関東軍司令官、中国駐在公使、陸海軍省次官、参謀本部次長、軍令部次長など
 決定
「対支政策綱領」
○ 満蒙における日本の権益、特殊地位を守る→満蒙分離、「適当の措置」:軍事行動をとる
○ 治安維持、居住民の保護 
 12/初の地下鉄、上野ー浅草間開通。芥川龍之介自殺。 この年、鈴木大拙が「Essays in Een Buddism,First Series
」をロンドンで出版。 和辻哲郎「原始仏教の実践哲学」。
 
       マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger,1889−1976)「存在と時間」著す。
 どんな学問・科学も、何かしら有るもの、存在するものについて語っている。「有・存在Sein]に関する理解は、いかなる地の根底にも潜んでいる。諸学問において不断に前提されながら、それ自体としては問われることのない「存在(ある)」の概念(ギリシャ語でon)を、哲学は古来、問題にしてきた。「存在論Ontologie」とよばれるこの哲学の基礎部分を、今や、哲学する者が、自己自身の存在理解を問い直し、 「存在(ある)」ということで何を意味しているか自己審問することで、改めて展開していくという試みを「存在と時間」で著した。多くの弟子達、後続の哲学者たちによって20世紀は実りある哲学の世紀となった。20世紀を代表する哲学者という評価が固まりつつ在る一方で、1930年、彼はユダヤ人絶滅を企てたナチズムに加担したというかどで、今なお汚名にまみれている思想家である。
 (「現代の危機と哲学」森一郎 放送大学教育振興会 NHK出版)
1928 昭和 3
 補:パリ不戦条約 
 第1条
 締約国ハ国際紛争解決ノ為
 戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス
     (後略)
 注:
後に日本国憲法草案作成に影響を与えた。
 
 藩閥政治から政党政治になったものの、有権者が四倍になって、 政党は、党利党略に奔走するようになった。
 5/8名古屋の第3師団、第二次山東出兵により動員令。7/18愛知県下に大雨。枝下用水・越戸付近で決壊(愛知県災害誌)。9/15御大典奉祝名古屋博覧会開催。
  2/20:初の普通選挙(民政党217:政友会216)衆議院議員:有権者はこれまでの4倍:1200万人)。労働者や小作人を支持基盤とする無産政党から6人が当選。不況の中、労働者の間で、社会主義への共感が高まっていた。3/15共産党全国的におよそ1,600名検挙(3.15事件)。4/第二次山東出兵。4/日本商工会議所設立。5/全国農民組合結成。6/張作霖爆殺事件(関東軍大佐・河本大作による列車爆破の企てと考えられている)。
* 張作霖爆殺事件の顛末 * 
○ 日本に対して友好策をとっていたのだが、近年になって日本から離れようとの動きが見られた。
○ 現在では、この事件は、関東軍大佐・河本大作による列車爆破の企てと考えられている。
○ 事件直後の田中首相は、天皇に「事件に日本の軍人が関わっている場合は、厳しく処分します。」と・・・。
    当時、「日本の軍人の仕業ではないか?」との疑いが強かった。
○ 事件の真相が調査で明らかになる。
○ 田中義一首相等は「真相が外部にしれますと、国家に不利になりますので、警備の手落ちとして、関係者を軽い
  処分にします。」と報告
○ 昭和天皇は、これに対し「前と話が違う。辞表を出してはどうか?」・・・等と、厳しく批判。
○ 田中辞職。(1929.7)                             NHK「高校講座 日本史」より
 6/治安維持法改正(死刑罪・目的遂行罪追加:緊急勅令)。7/浜口内閣。十項目の政治改革案。その中に、金解禁の断行案。特別高等警察新設。8/パリ不戦条約調印(フランスとアメリカの協議かあら始まり、63カ国がこの条約に加わっている。違反に対する制裁が無く歴史的には限界があったが、初めての国際紛争を避けるための取り組みだった)。蒋介石、国民政府主席に就任。
1929 昭和 4  世界恐慌(〜32)

日本陸軍膨張
 世界恐慌始まる。4/15名古屋無線電信局依佐美送信所開設。7/19名古屋を中心に防空演習行う。8/14台風通過により、矢作川上流で300mm降雨。挙母警察所管内で床下浸水10戸、田畑25ha被害(愛知県災害誌)。8/16矢作川洪水で南奥田新田の海岸堤防が20m決壊。矢作古川堤防が決壊(西尾市史)。9/10台風により大雨。保見村の橋流失、高橋村地内の県道決壊(愛知県災害誌)。9/20愛知県教化動員委員会設立。10/1東春日井郡瀬戸町、市制施行。10/7劇団名古屋小劇場設立。    3/元労農党代議士山本宣治暗殺。4/日本共産党大検挙(4.16事件)。6/中国国民政府を正式承認。7/改正工場法で、婦人及び少年の深夜業廃止。田中義一内閣総辞職。9/労働組合全国同盟結成。10/アメリカの株式市場暴落の影響で、生糸価格崩落。10/犬養毅、政友会総裁に就任。11/金解禁令公布。11/内務省、全国の失業者数268,590人と発表。12/清水トンネル開通。 島崎藤村「夜明け前」。小林多喜二「蟹工船」。
 1/15 アトランタ・ジョージア州に、牧師の家にマーティン・ルーサー・キング・Jr誕生。 フレミング、ペニシリン発見。 10/24 ニューヨークで株価の大暴落。これをきっかけに世界中の大恐慌。これが日本に大きな打撃。 この年アメリカに大量の失業者。社会は不安定化し世界恐慌。
この頃のアメリカでは、黒人は低賃金で働かされて、地域によっては投票権も無かった。特にアメリカ南部では、トイレもバスも白人と同じ場所を使うことが許されていなかった「人種隔離」。白人は、奴隷制を終えた時代の後も、黒人に対する態度を変えなかった。差別は、州によっては合法化さえされていた。
 例えば、バージニア州の法律は、「白人と黒人はそれぞれ別の学校に通わねばならない。」
                     「白人と黒人は結婚してはならない。犯せば、禁固二年ないし五年の刑に処す」
1930 昭和 5 ファシズムの台頭

北伊豆地震M7.3

総選挙(民政党273:政友会174)
 2/1名古屋市営バス、4路線で営業開始。9/5名古屋鉄道、名岐鉄道と名称変更。10/中川運河の開削工事終わる。11/大隈鉄工所・日本車輌・愛知時計電機・岡本自転車自動車製作所共同で、国産車開発(7年完成:試作車アツタ号)この頃、県下の農産漁村不況深刻。
 1/11金本位制に復帰。金本位制による経済自動調節機能を期待した。
 しかし、半年前のアメリカの株価大暴落で世界的な恐慌。これが、昭和恐慌のきっかけとなる。世論は、「嵐に向かって窓を開くようなものである。」と金本位制政策を批判。物価は1920年と比較すると、1935年は三分の一近くとなる。特に、輸出の主力商品だった生糸の値段が大暴落し、農村に大きな打撃を与えた。
 注:金本位制による経済自動調節機能を期待した。
   不況期の輸入超過→金貨流出 ⇒物価下落→デフレ→物価下落 ・・期待は  輸出拡大→金貨流入
 1/ロンドン軍縮会議開催(注)。4/ロンドン軍縮会議調印、のち統帥権干犯問題。
注:ロンドンで、海軍軍縮会議。軍縮条約を締結した政府に対して、海軍が異議を唱える。「政府が軍の編成について条約を結ぶのは、統帥権の干犯(かんぱん)である。」と主張。統帥権とは、大日本帝国憲法の第11条に定められていた天皇の大権であった。『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス。』・・軍の作戦などの最高指揮権は統帥権と呼ばれ、天皇だけが行使できる大権であった。海軍は、本来政府の補弼(ほひつ)事項である軍の編成も統帥権に属すると主張し、軍縮条約を結んだ政府の行為は統帥権の干犯であると攻撃したのであった。これによって、政府といえども口出しできなくなった。
 この時から軍部の独走が始まった。やがて、若手の将校までが『これは統帥権であるぞ!』と、脅かせば大抵は物事が通ってしまうようになった。そうなると、「何が統帥権であるのか?」という論議とは別の分野になってきた。やがて、軍の発言力が絶対的になってきた。水野広コは、「軍部が統帥権をうんぬんして憲法の正文を無視せんとするは、憲政の将来を危
(やく)たいならしむの恐あり。」(「朝日新聞」6月5日より)と指摘。11/軍縮を推し進めた浜口雄幸(おさち)総理大臣が、東京駅で右翼の青年に襲われる。「軍部の意に沿わぬことを言えば身が危ない。」そう感じさせる事件であった。 
 10/米価大暴落で、大阪・東京穀物取引所立会休止。労働争議多発。11/浜口首相、東京駅で、右翼青年に軍縮条約を結んだことが天皇の大権である統帥権を侵したと狙撃さる。 九鬼周造『「いき」の構造』。天野貞祐、カントの『純粋理性批判』訳完了。
 ガンディー、インドがイギリスの植民地とて、塩の専売権をイギリスが支配していたことに対して、行動を起こす。これはイギリス支配の象徴であった。「何故、天からの恵みであった塩をイギリスに支配されなければならないのか?」。彼は、アーメダバードからダンディー海岸までの約380Kmを行進して、自ら塩を造ろうと行進した。・「塩の行進」 少人数で始まったこの運動は、民衆を動かして、最後は数千人にふくれあがった。ガンディーは、政治に「行」の姿を見せる。人々は、海岸に着くと塩を造り始めた。逮捕者が続出するが、怯まなかった。その数があまりも多く、イギリスも手に負えなくなる。この運動は、インド全土に及び、インド独立の大きな転機となった。ガンディーの奇策は成功した。ガンディーはこう宣言した。・・・「これで私は大英帝国の土台を揺るがしたのだ。」 彼は、暴力的な革命を避けた。
 また、イギリスはインドから綿花の原料を買い取って商品を作りイギリスに売りつけていた。ガンディーは、イギリス製の衣類を焼き払うように呼びかけた。
 ガンディーは、糸紡ぎ車(チャルカー)を使って、インド人自らが糸を紡ぐように呼びかけた。これは、全国規模の運動となった。インド独立のシンボルと言われるようになった。ヒットラーなど多くの指導者は、国民の欲望をあおる手法をとったが、彼は静かなメッセージを発し続けた。「よいものは、カタツムリのように進むのです。」 一気に世の中を変えようとはしなかった。じっくりと現実と対面しながら静かに行動をした。
1931 昭和 6



スペイン革命。
毛沢東、瑞金に臨時政府樹立。

西埼玉地震M6.9

不況の底
 2/11名古屋城一般公開。5/1国立名古屋医科大学開校。7/愛知県吏員の減給を実施。12/愛知商銀行・農商貯蓄銀行休業。  1/日本農民組合結成。3/三月事件(軍部内閣結成の陰謀)。4/若槻礼次郎、立憲民政党総裁。4/重要産業統制法公布(カルテル・トラスト結成助成。)6/中村大尉、満州調査旅行中に殺害さる。7/満州に移民してきた朝鮮人農民を中国人農民が襲撃(万宝山事件)。9/18関東軍(注)、奉天郊外で満鉄線を爆破。満州占拠に向けて軍事行動開始。満州事変起こる。  民政党 岩槻礼次郎、政友会 犬養毅。
注:9/18その後の日本を運命づける大きな事件が起きた。満鉄線爆破を中国側の破壊行為だとして、関東軍は軍事行動を開始。それが満州事変であった。 知らせを受けた若槻内閣は、軍事行動の不拡大を宣言するが、それを無視して満州全域に戦線を拡大。
 翌年には満州の主要地域を制圧し、愛新覺羅 簿儀(1906〜67)を満州国執政とし、日本の傀儡
(かいらい)国家「満州国」を建国した。 
 9/労働争議多発。農村恐慌。10/10月事件。軍部によるクーデター未遂事件。12/13犬養毅内閣 大蔵大臣:高橋是清は金輸出禁止策。
 * 大蔵大臣:高橋是清は・・   一時的な景気回復を行った
 @ 軍事費の拡大。 軍事企業を中心に日本の重工業が盛んとなった。  A 金輸出禁止策。
 B 公債の発行増額。   C 円安政策のもと生糸や綿製品など、もともと日本の輸出主力産業も再興し出す。
 また、「時局匡救費」として、困窮化していった農村対策予算で、土木事業などを興して雇用の拡大を図り、農民が現金収入を得られるようにしたものであった。
 労働争議多発。農村恐慌。日本最初のトーキー映画封切り。東京科学博物館開館。大阪帝大創立。中学校・師範学校に公民科設置。渋沢栄一(幕臣・尊攘運動から幕府支持)没。 宮沢賢治、「雨ニモ負ケズ」発表。
1932 昭和 7 三河山間部で集中豪雨(愛知県災害誌)

不況

補:
満蒙の価値⇒満蒙は日本の生命線
 『満蒙問題私見』 
・・満鉄爆破事件を起こした人物の1人・関東軍の石原莞爾(1889〜1949)


ソ連の東進阻止・朝鮮統治の安定・中国の統一と安定


農産物・食糧問題の解決、鉄・石炭などの資源確保と重工業の確立、各種企業の不況打開 
ここから、日本、軍国主義国家に。
 3/銀行休業(村瀬銀行・村瀬貯蓄銀行、額田銀行、明治銀行)。7/1・2三河山間部で集中豪雨(愛知県災害誌)。下山村に死者。六所山に山崩れ。7/豪雨。長興寺の鵜の首堤防決壊(挙母史資料)。 9/県臨時議会で救農事業費1億1千万円を決定。
  1/関東軍、錦州占領。 1/28第一次上海事変。2/血盟団員は、、前蔵相井上準之助と不況の原因の一端は政治と財閥にあるとして三井財閥の団琢磨を射殺。2/29リットン調査団来日。3/1満州国を建国。5/5上海停戦協定調印。5/15事件、犬養毅総理大臣になって五ヶ月目に海軍将校等に射殺される。これ以降、政党政治は成立困難となる。実質の政党内閣は、ここで終わる。軍部の台頭。 天皇絶対主義が日本を支配し出す(「国体論」東京帝国大学 美濃部達吉の天皇機関説)。 8/東京を中心に米よこせ闘争、各地に波及9/満州国承認。9/15日満議定書調印。9/16日本軍、満州平頂山で炭鉱襲撃の報復に住民虐殺。関東軍の責任者たち、帰国。陸軍中央は彼等を表彰する。10/1リットン
(ヴィクター・ブルワー=リットン1876〜47)満州事変調査団の報告書:国際連盟。11/日本労働総同盟結成。日本ファシズム連盟結成。国民精神文化研究所開設。 12/6国際連盟総会、満州問題の審議開始。日本代表団全権・松岡洋右・・名誉の孤立による脱退を演じる。
 日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」建国。当時反対していた日本政府も、軍部の独走を追認し、「満州国」を承認することになった。当時の日本では、企業の倒産・失業などによる景気の低迷が続いていた。
 その打開策を満州に求めたことになる。景気が良くなることを期待する国民、そしてマスコミも軍部の行動を支持した。全国の新聞社の内、132社が「共同声明」を載せ、満州国建国を歓迎した。しかし、水野広コは、「日本の満州国承認は国際連盟を驚愕
(きょうがく)せしめ米国を憤慨(ふんがい)せしめ中国を悶殺(もんさつ)せしめた。(「水野広コ著作集」より)彼は、満州国建国が、世界を敵に回すことになると警告した。5/15犬飼毅総理大臣が海軍の将校たちに射殺される。総理は、満州での軍部の行動に批判的な立場をとっていた。その後、テロの恐怖から政府でさえも軍部に対してものが言えなくなっていく。しかし、水野広コはその軍部に対して、「満州問題は、将来、日米戦争に発展し、日本は敗れ、甚大な被害を被る。」と、指摘・批判を続けた。「東京では、数百の飛行機が流星の如く暗空に去来して敵味方の識別も出来ない。逃げ惑う百万の残留市民。父子夫婦乱離混交(らんりこんこう)悲鳴の声。跡はただ灰の町 焦土の町 死骸の町である。」(水野広コ著「興亡の此の一戦」より)この本は、直ぐさま発禁処分を受けて、読まれることはなかった。この頃、政府や軍の方針に反する主張は、厳しく排除されるようになっていた。満州事変から僅か1年で、発禁処分は5千件にも上っていた。水野広コは、講演活動を開始する。しかし、講演会で言葉を発すると直ちに暴漢に襲われた。発言の機会を次第に失っていった。焦燥感を感じた。
 インド、「不可触民(アウトカースト)分離選挙」法案が提示された。これは、インドを占領していたイギリスが、カーストとアウトカーストとの対立を深めインドを分断して支配しやすくする為のものであった=分割統治(divide and rule)。マハトマ・ガンディーはこの法案に「断食」で抵抗した。「インドを割ってはならない。カーストで分断してはならない。」 この法案は撤回された。しかし、ヒンドゥー教のカースト制とアウトカーストの問題は、解決されないままであった。
1933  昭和    三陸地震M8.1(昭和三陸)
 死者3000人。

軍閥支配の進展
 1/愛知県国防議会発足。8/20名古屋中京商業、全国中等学校野球大会で、3年連続制覇。9/豊田自動織機製作所、豊田喜一郎自動車製造に着手。9/21室戸台風で、奥田、西奥田、南奥田で堤防決壊(西尾市史)。10/28愛知県連合婦人会結成。11/尾張大橋竣工。これ以降防空演習が実施さる。
 1/日本軍、山海関占領。2/17閣議で、満州撤兵勧告案に反対。熱河省攻撃決定(熱河作戦)。2/23関東軍、熱河作戦開始。2/24国際連盟、日本軍の満州撤兵勧告案を42対1で可決。松岡洋右
(ようすけ1880〜1946)代表退場。3/27国際連盟を脱退。国際的な孤立化の始まり。3/外国為替管理法・米国統制法。4/10関東軍、長城線を越えて華北へ侵略開始。 5/滝川事件。7/神兵隊事件(右翼によるクーデター未遂事件)。 輸出増加続く、綿布輸出は世界第1となる。河上肇検挙。小林多喜二検挙、東京地裁で虐殺される。尾崎士郎「人生劇場」。石坂洋次郎「若い人」。西田幾太郎「哲学の根本問題」出版。田辺元「哲学通論」。
 ヒットラー率いる「ナチス党」の党化。 ナチス等が政権を奪取して直ぐに非常事態を宣言して一党独裁とすると、社会の諸問題をユダヤ人の責任に帰して国民に不満を紛らすと共に、軍事産業を中心とした大規模な公共事業で失業を解消しようとした。   ドイツ共産党も、世界恐慌の元で勢力を伸ばす。後に、共産党はヒットラーの徹底的な弾圧を受けることになる。
 1/31日、ヒットラーは合法的に首相に就任。3/ヒットラーは、行政・立法のすべての権力を掌握する。政治犯を収容する最初の収容所「ラッハル強制収容所」が作られる。
1934 昭和 9 東日本冷害:伊佐澤村役場の掲示板「娘身売りの場合は、当相談所にお出で下さい。」この時身売りした娘は4万人。農民は木の皮を剥いで食べた。・・と、伝えられる。  6/三菱重工業名古屋航空機製作所設立。7/10愛知県、軍人遺家族世話係規定制定。10/1名古屋空港仮飛行場完成(名古屋港第10号地)。11/22〜23アメリカ職業野球団、鳴海球場で全日本軍と対戦。

 3/1満州帝国成立。4/帝人事件。5/出版法改正(取り締まり強化)。11/13満州帝国、石油専売法公布。米英蘭これに反対。12/26日本政府、ワシントン海軍軍縮条約廃棄を通告。文部省国語調査会で国号の呼び方をニッポンと決定。ソ連、国際連盟に加入。独、総統兼首相ヒットラー(〜45)    
1935  昭和 10 岐阜郡上八幡(M6.3)。室戸台風  4/各地で、青年学校開校。4/3名古屋東山公園開園。8/1名岐鉄道・愛岐鉄道合併し、名古屋鉄道。11/10徳川美術館開館。   2/天皇機関説問題化(美濃部達吉) 3/日・満・ソ、北満鉄道譲渡協定調印。
 8/相沢事件:陸軍中佐相沢三郎(皇道派)は、真崎甚三郎が更迭されたことを不満とし軍務局長永田鉄山(統制派)を陸軍省内で刺殺する。事件後、統制派は皇道派の拠点だった東京第一師団を満州に送ろうとした。これを感じ取って阻止しようとした行動が後の二.二.六事件。 注:
 注:永田鉄山・・ 陸軍中将。長野県出身。陸軍士官学校第16期。陸軍大学校卒。ヨーロッパ駐在(6年間)中、ロシア駐在武官の少佐:小畑敏四郎としろう・欧州出張中の少佐:岡村寧次やすじらと陸軍の改革を決意(1921.10.27/バーデン・バーデンの密約)し、帰国後「一夕会」などの中心となる。
 昭和元年(1926年)陸軍省動員課長となり、以後同軍事課長・参謀本部第二部長などを歴任。
 昭和9年(1934年)3月に陸軍省軍務局長に就任し、以後は統制派の中心とみられた。
 この年8月、皇道派の相沢三郎中佐に軍務局長室で刺殺された。
 永田暗殺によって統制派と皇道派の派閥抗争は一層激化し、後に皇道派の青年将校が二・二六事件を起こすに至る。その後、鉄山が筆頭であった統制派は、東条英機が継承し、石原莞爾らと対決していき太平洋戦争に至る。企画院総裁だった鈴木貞一は戦後、「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」、「永田が生きていれば東條が出てくることもなかっただろう」と言っていた。「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と言われた。
陸軍内の対立   ・・・・国家改造の進め方の相違による
皇 道 派:武力による直接的な国家改造     統 制 派:合法的手段と組織的行動によって国家体制を替える
天皇中心の国家改造・「昭和維新」をめざす陸軍大学校には進めない青年将校等 :東京第一師団が拠点  軍部内の統制強化を主張するエリート幕僚:経済を軍事優先に統制
 真崎甚三郎、荒木貞夫ら  永田鉄山、東条英機、渡辺錠太郎ら
 北一輝ら超国家主義者の影響  親軍部の新官僚や財界・政界に接近
 8/第1次国体明徴・機関説排撃声明(10月に第2次)。室戸台風。東北冷害。西日本干ばつで大凶作。12/丹那トンネル開通。
 湯川秀樹、中間子論発表。美濃部達吉、天皇機関説問題起こる。美濃部の三著発禁。芥川賞・直木賞創設。中国共産党の抗日救国宣言。エチオピア戦争。 和辻哲郎「風土−人間学的考察」。
     ナチスによるユダヤ人迫害が始まり、この年にはユダヤ人は市民権を停止され、公職から追放された。ユダヤ人の知識人は大量にフランス、イギリスにそしてアメリ派へと亡命して、学問でも思想界でも大変動が生じた。大学の自治も奪われ、監視下で自由な言動が許されなくなった。
 ハイデガーは、時代の荒波に翻弄されながら、おそらく誤解や迷いの中で苦い反省も内に秘めながら、「形而上学入門」を著す。この中では、「何ゆえに存在するものが存在するのか、むしろ無ではないのか?」という問いが最深で最も根源的な問いとされて正面から問題にされている。こう問うことで、無や非存在であり得る可能性を突きつけることで、慣れ親しんだ領域から離れることとを強いる。これを問うことが哲学であるとした。形而上学では存在するものの存在を問うているのであって、存在そのものは思索されていないという。形而上学は存在を無(ニヒル)のように扱う。「存在そのもそを忘却して存在するものだけを扱う。これがニヒリズムである」。それゆえ、「無を存在の問いに引き入れて思索することが、ニヒリズムを真に克服するための第一の、唯一の有効な道である」(329)というのであった。その後、ハイデガーは、無を引き入れて存在そのものを問い、「存在の意味」という言葉を使うのを止めて、「存在の真理」をいうようになった。 存在の真理を問題にすれば、ものの顕れ方も変わってくる。それを示しているのが、この年の、『芸術作品の起源』である。
   (「哲学・思想を今考える −歴史に中で−」 魚住孝至 放送大学教育振興会NHK出版より) 
1936  昭和  11      静岡市地震(M6.4)  1/10職業野球団、名古屋軍と金鯱軍編成さる。2/9金鯱軍、鳴海球場にて東京巨人軍と対戦。3/県初の満州国移民出発。6/第3師団管内、国防婦人会結成さる。
 1/全日本労働総同盟再結成。1/ロンドン会議から脱退を通告。2/野坂参三ら人民戦線提唱。このころより反ファッショ統一戦線の機運。2/2.26事件
2/26AM5:00   皇道派の青年将校が、下士官・兵士およそ1400名を率いて、首相官邸・警視庁・新聞社・政府要人の自宅・等を襲った。
    大蔵大臣高橋是清   内大臣 斉藤実  陸軍教育総監 渡辺錠太郎 殺害
    侍従長 鈴木貫太郎  重傷  首相 岡田啓介は難を逃れて無事。 
 蹶起趣意書  蹶起(けっき)趣意書は国立図書館蔵
 元老や官僚などを「国体破壊の元兇」と批判。政党政治を批判し彼等を倒し、天皇が直接政治に当たるとしている。
 対 応  当初政府と軍の対応は定まらなかった。
 ○ 数時間後に出された、「陸軍大臣告示」には、彼等の思いは「天皇にも届いている」と、
  将校たちに同情する内容であった。
 ○ 統制派である岡田・斉藤・鈴木などを襲撃された海軍と、重心を狙撃された天皇が激怒。
  「
真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為
   朕自ラ近衛師団ヲ率ヰコレカ鎮圧ニ当ラン
 」
やがて、反乱部隊の鎮圧に動き出す。  
 2/28  蜂起した兵士を反乱軍と見なし、「戒厳司令部」は下士官たちに投降を呼びかけたビラ。
  「下士官兵に告ぐ
   一 今からでも遅くないから原隊へ帰れ
   二 抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する
   三 お前たちの父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ
     2月29日    戒厳司令部                」  仮名をひらがなに直す
 2/29  午後までに、下士官兵士のほとんどが投降。事件を主導した者は憲兵隊にとらえられ、4日間に及んだクーデターは幕を閉じた。
  その後の日本の歴史に大きな影響を与えた事件であった。岡田内閣は事件の責任をとって総辞職。
 外務大臣だった広田弘毅が首相に、陸相の寺内寿一は、軍の中枢部から行動派を一掃すると伴に、クーデターを逆手にとって、軍備の充実を図った。
 5/  軍部大臣現役武官制復活・・・陸軍大臣や海軍大臣には、現役の大将・中将しか成れない制度。 軍から大臣を出さないと組閣できないと言う制度で、結局、軍部が自分たちの意に沿わない首相の政策には協力しないと言うことになった。 これを機に軍部の発言力は巨大になった。
 (陸軍青年将校ら、約1,400の兵力で重臣襲撃、東京市に戒厳令)。3/メーデー禁止通達。5/軍部大臣現役武官制復活。11/日独防共協定。11/物価高騰で賃上げ争議激化。12/ワシントン海軍軍縮条約失効。12/西安事件。蒋介石監禁。南京陥落。  下村湖人「次郎物語」。講座派学者・左翼文化団体員一斉検挙。  中華民国憲法公布。スペイン内乱。日・独防共協定。
    エドムント・フッサール(Edmund Husserl,1859-1938)、著作「ヨーロッパ諸学問の危機と超越論的現象学」成立。そもそも学問は人間存在にとって何を意味したのかなた何を意味しうるのか」という点に関わる。十九世紀には実証科学は「繁栄」によって人々を幻惑したが、その一方で「真正」の人間性にとって何が決定的な問題であるか」について、人々から目を逸らせてしまった。「生が苦境に陥っているこの時代に−そうわれわれはよく耳にする−この実験科学は何も語ってくれない。事実科学は現代という不幸な時代に合って、宿命的な大変動に晒されている人間にとって焦眉の急であるつぎのようなといを、原理的に排除してしまう。つまりそれは、こうした人間存在は全体としてもそもそも意味があるのか、それとも無意味なのか、という問なのだ。」「歴史の生起が、幻想にすぎない高揚感と苦々しい幻滅感との絶え間のない連鎖以外のなにものでもないような、こうした世界にわれわれはいったい生きて行くことができるものだろうか。」と、当時の「若い世代」の心情を支配しつつあった学問一般に対する深刻な絶望感を彼は代弁した。教学の飛躍的発展に潜む意味空洞化への危機感を動機として、彼自身が創始した「現象学」は二十世紀の有力な哲学潮流のひとつとなった。(「現代の危機と哲学」森一郎 放送大学教育振興会 NHK出版)
 スターリンは、この年から38年にかけて反対していると疑われる者の大粛清を刊行し、五カ年計画を推進。 (「哲学・思想を今考える −歴史に中で−」 魚住孝至 放送大学教育振興会NHK出版より) 
1937  昭和 12 金華山沖地震(M7.5)。日中戦争・廬溝橋事件  1/4名古屋城天守閣金鯱の鱗盗まれる。3/東山動物園次いで植物園開園。3/15名古屋港近くで、汎太平洋平和博覧会開催。8/14第3師団、日華事変勃発で上海方面に。豊橋ー飯田間全通。8/27トヨタ自動車工場、挙母に設立。10/1知多郡の半田町・亀崎町・成岩町合併し半田市。名古屋十区制。11/県下各地で、国民精神総動員講演会開催さる。
 7/7日中戦争・廬溝橋事件。7/11中国現地で停戦協定。近衛内閣、中国出兵を声明。
 日本は中国を軽く見ていた。「一撃で戦争に勝てる」と見込んでいた。
 しかし、以外と手強かった
 「廬溝橋事件が日中戦争に拡大するかどうかは、すべて日本政府の態度にかかっている。ひとたび戦争となれば、地に南北の別なく、年老若の別なく、いかなる者も国土を守り、一切を犠牲にしなければならない。」       蒋介石 廬山談話(1937年7月)より
 8/13第二次上海事変。8/日中戦争。10/国民精神総動員中央連盟結成。10/全日本労働総同盟大会、上海事変中の罷業絶滅と戦争支持決議。11/日独伊三国防共協定。大本営令制定。12/13日本軍、南京占領。(南京大虐殺)。以後、8年に及び日中間の戦争。 川端康成「雪国」山本有三「路傍の石」文化勲章制定(長岡半太郎ら9人)  伊、国際連盟を脱退 この年、企画院設置:物資総動員計画の立案(後に、軍需省に吸収)。
 2/水野広コは、海軍省の海軍大臣に宛てた公開質問状を発表。「戦争を防ぐことこそ、国家百年の安泰を得るの道で、それが国務大臣としての真の責であらねばならぬ。」(「海軍の自主的態度を望む」より) しかし、この公開質問状は黙殺されてしまった。この頃から、水野広コには憲兵が付きまとうようになった。
 7/中国の廬溝橋
(ろこうきょう)で偶発的に起きた事件をきっかけに日本軍と中国軍は戦闘状態にはいる。12/南京陥落。新聞・雑誌・放送などは、軍部の活躍を報道し、国民もまた勝利に酔いしれた。水野広コは、この時もアメリカとの戦争の危険性を訴え続けた。しかし、彼の主張を発表する出版物は、ここ3年間で五分の一にまで減少した。
     この年、現象学の総帥フッサール、ユダヤ人故に大学教授リストから外され、大学への立ち入りも禁じられた状況下で、「ヨーロッパの初学の危機と超越論的現象学」を著す。初学の危機は、近代に自然の数学科のめざましい成功により、哲学が物理的客観主義に向かった点にある、現象学的還元によって、経験科学の基礎にある「生活世界」をあらわにし、さらに超越論的主観性への還元によって個の世界をより根源的に了解しなければならないと主張した。
 ドイツで哲学・思想が窒息させられつつある状況で、フランスのサルトルやメルロ=ポンティら若者たちが福生ーリヤハイデガーの思想などを積極的に摂取して、戦後、実存主義として展開されることとなる。 和辻哲郎(1889-1960)「倫理学」上巻・中巻(42年)・下巻49年   (「哲学・思想を今考える −歴史に中で−」 魚住孝至 放送大学教育振興会NHK出版より)
     
1938  昭和  13     5/名古屋ー飯田間バス開通。この年、名古屋市職員に丸刈りのお達し。県庁新庁舎竣工。
 1/第1次近衛声明。
 「国民政府ハ帝国ノ真意ヲ解セス漫(みだ)リニ抗戦ヲ策シ・・・
  仍
(よっ)テ 帝国政府ハ爾後(じご)国民政府ヲ相手トセス帝国ト真ニ提携スルニ足ル振興支那政権ノ成立発展
 ヲ期待シ・・・・」          近衛声明(1938年1月16日)
 国民政府は抗戦に拘って、東洋全体の平和を考えていない。従って、日本としてはもはや国民政府を相手にしない。そして、日本と手を組む新政権成立を期待する。 ・・・戦争する相手の政府を認めないと言っている。
 2/第二次人民戦線事件。4/国民総動員法公布。5/日本軍、除州占領。7/張鼓峰事件。9/三菱重工、零式艦上戦闘機完成。11/第二次近衛声明(東亜新秩序建設)。12/第三次近衛声明(日中国交調整3原則)。東大教授河合栄治郎の3著発禁。  日本軍、武漢三鎮陥落。 注:「国家総動員法」:物資・物価・労働・労賃・資金・出版などを政府が戦争を優先して運用。石川達三「生きている兵隊」筆禍事件。
 ヒットラー、隣国で彼の出身国であるオーストリアを併合する。 ヒットラーは、アーリア人こそがもっとも優秀な人種であると考えていた。その対局に位置づけられたのがユダヤ人であった。ユダヤ人は、第一次世界大戦の原因であり、ドイツの敗北・インフレ・雇用問題など、すべての悪の元凶だと決めつけた。彼は、ナチスに反対するものをすべて抹殺した。  9/29領土の拡大を抑えるために、イギリスのチェンバレン首相とフランスのダラディエ首相が訪問する。「チェコの中のドイツ人の領土を渡す代わりに、ヨーロッパには侵攻しない」 との条約を交わした。後に、ヒットラーはその約束をあっけなくほごにした。
1939  昭和 14 第二次世界大戦開始

男鹿半島地震M6.8
 挙母町、トヨタ景気に湧く。各町村、銃後奉公会を設立。    4/1名古屋帝国大学開設。4/市町村に警防団。6/4満州開拓団東三河郷先遣隊出発。敗戦までに開拓農民634人。満蒙開拓青少年義勇軍1,724人渡満。9/紀元2600年奉讃展覧会開催。 2/日本軍、海南島上陸。4/米穀配給統制法公布。5/国家総動員法施行。5/ノモハン事件。7/米、日米通商航海条約破棄通告。 7/国民徴用令公布(一般国民を軍需工業に動員)。第二次近衛内閣成立。8/日・英会談決裂。8/独ソ不可侵条約調印。10/価格統制令公布。9/独、ポーランド侵入。第二次世界大戦開始)。11/東亜新秩序声明。  大学の軍事教練、必修科目。ネオン全廃。パーマネント禁止。独・ソ不可侵条約。西田幾太郎、この年、論文「絶対矛盾的自己同一」において、最終的な哲学的立場を確立した。(主体の自己性が単なる自同性ではなく、「我は、我ならずして、我なり」という場所的で自己否定を含んだ自覚であることを『矛盾的自己同一』と定式化した。)
 9/ナチス、ポーランドに侵攻。以降六年間の大戦。およそ60カ国が参戦し、世界中が戦争と化す。死者数千万人。大量破壊兵器が持ち込まれ、一般市民が戦争に巻き込まれ、史上最悪の戦争となる。
第二次世界大戦
1939-1945   
  この年、ドイツのポーランド侵攻により,イギリス、フランスが宣戦。第二次世界大戦が始まる。1940年、日独伊三国軍事同盟の締結。1941年の真珠湾攻撃をもって、日本がアメリカと開戦。1943年、国王の支持を受けた軍部のクーデターによりイタリアのムッソリーニが失脚。1945年2月米英ソによるヤルタ会談が開かれ戦後処理の話し合いと、ソ連の対日参戦が決定。同年4月ムッソリーニ処刑。ドイツはほぼ全領土を占領され、ヒトラーが自殺、5月7日に降伏した。8月、アメリカは史上初の核兵器、原子爆弾を広島、長崎に投下。日本はポツダム宣言を受諾降伏した。
1940  昭和  15   
8/〜中国で百団大戦

9/日・伊・独3国軍事同盟
 県立挙母中学校開校。各町村、7/7までの農繁期労力調整のための工場労働者の奉仕を受ける。  1/18愛知時計電機争議。3/30名古屋でマッチ切符制実施。一人一日10本あて。9/1砂糖切符制。11/紀元2600年祝典。名古屋のメリカ領事館閉鎖。愛知県産業報国会設立。12/6大政翼賛会愛知県支部結成。
 6/大都市で、マッチ砂糖等切符制。7/日本労働総同盟解散。大日本農民組合解散。8/〜中国で百団大戦
 百団大戦への日本軍の作戦司令:江口圭一「新版十五年戦争小史」  これは、
中国共産党の解放区で長い間継続された。 これにより中国側には相当数の犠牲者があった。
 中国側は、これを『三光作戦』と称した。”焼き尽くす・殺し尽くす・奪い尽くす”
   
@ 敵及び土民を仮装する敵  殺 戮 
A 適正ありと認められる住民の16歳以上60歳までの男 
B 敵が隠している武器弾薬器具爆薬など  押収・携行やむを得ないときは焼却  
C 敵が集めたと認められる食料 
D 敵が使っている文書 
E 敵性のある部落   焼却破壊
 9/日・伊・独三国軍事同盟。 10/大政翼賛会創立。10/米穀管理規制(国家管理規制)。10/米、屑鉄の対日輸出禁止実施。11/紀元2600年祝賀行事。11/大日本産業報国会創立。日華基本条約調印。津田左右吉「神代史の研究」発禁。左翼的出版物に対する弾圧強化。文化思想団体の政治活動禁止。    独、デンマーク・ノルウエー占領。イタリアの参戦。日・独・伊、三国軍事同盟調印。
 2/参謀長会議。中国の軍備拡大か縮小か。大勢は拡大化を望む。5/1宜昌作戦。ここで中国に一撃を加えて和平に持ち込むというのが大義名分であった。現地では抗日運動の気運が高まる(百団大戦8/〜翌1/:中国共産党のおよそ百コ師団が日本軍の交通通信網破壊のための戦い)。
 日本への国際的な批判高まる。12/6内閣に「情報局」設置される。報道の一本化がそのねらいであった。
 日本軍、1940〜41に、フランスの植民地・インドシナに進駐開始(イギリスが、求めに応じて中国へ支援物資を送るルートを絶つための方策)。これがアメリカやイギリスとの対立を避けられないものとしていった。
 5/9 ヒトラー、フランス侵攻作戦を指揮するための行動開始。 5/10ヒトラーの空軍機、オランダとベルギーを攻撃。無差別爆撃。これは、囮(おとり)作戦であった。フランスはベルギーの援護に向かった。連合軍は、ヒトラーの罠にはまった。フランス軍は、ベルギーの奥に侵攻。その間にドイツはフランスに進入。
 不意を突かれたフランスは、残った戦力でドイツ軍に応戦。仕切るのはドゴール将軍であった。 戦車の性能はフランスが勝っていたが、運用面ではドイツ軍が勝っていた。戦車と爆撃機のコンビネーションで、ドイツ軍は電撃作戦を成功させた。やがてドイツ軍は、イギリス海峡に到達。フランス軍・ベルギー軍・イギリス軍はドイツ軍に包囲される。ベルギー降伏。6/10フランスはパリの無防備都市化を決定。無抵抗で街をドイツに譲り渡すことにした。フランス政府はボルドーに移る。政府に見捨てられたパリの住民は、着の身着のまま逃亡を始める。
  6/14 ドイツ軍、フランスの首都を占領。   西ヨーロッパのほぼ全域におよんだ。
1941  昭和  16  太平洋戦争独伊,対ソ連宣戦



 
 日本陸軍兵力  %
 昭







16  27  33  32  7%  210
17 21 29 28  22 240
18 24 21 23 32 290
19 31 11 19 39  420
20 54 12 19  15  547
山田朗「軍備拡張の近代史」 
 三河鉄道、名古屋鉄道に合併。足助貨物合同有限会社設立。藤岡村農地開発営団が発足し、西中山の開拓事業開始。婦人会、防空演習や竹槍訓練を行う。   2/24大政翼賛会名古屋支部結成。4/1名古屋で米穀配給通帳制、外食券制。6/7東海銀行発足(名古屋・愛知・伊藤の3銀行合併)。6/米穀配給通帳制実施。7/10豊橋・岡崎・一宮・半田・瀬戸の各市で、米穀配給通帳制実施。 この年、県下で71,294の隣組が組織さる。 
 1/大日本青少年団設立。3/国民学校令公布。小学校に変わり国民学校発足。3/改正治安維持法公布。予防拘禁制追加。4/生活必需物資統制令公布。東京・大阪、米穀配給通帳制実施。  4/日ソ中立条約。日米交渉開始。6/独ソ戦開始。7/米、在米日本資産凍結。8/米、対日石油輸出禁止。10/東条英機内閣成立。12/御前会議で、対米英蘭開戦を決定。12/8 AM2日本軍、マレー半島コタバルに上陸開始。陸軍の戦陣訓頌布。イギリス領への攻撃開始。12/8AM3:25ハワイ真珠湾を奇襲攻撃。対米英宣戦布告。太平洋戦争始まる。
 2/26水野広コ、情報局の出した「執筆禁止者リスト」に載せられ、ついに一切の発表の場を奪われる。戦争のための世論形成・思想取り締まりの強化。何も語れない暗い時代の到来となった。国民は、最後には『大本営発表』以外は耳にすることが出来なくなった。6/〜11/日米交渉は続いた(ねらいは、開戦を避けるためであったが、当時の日本の指導者にとっては受け入れられないものであった)。 10/14近衛内閣閣議において、陸軍大臣東条英機は、胸からメモを取り出して「日米交渉はドン詰まりである。撤兵問題は心臓だ。アメリカの主張にそのまま服したら、支那事変の成果を壊滅するものだ。満州国をも危うくする。駐兵により事変の成果を決定づけることは当然であって、世界に対し何ら遠慮する必要はない。」と述べ、陸軍組織の面目に拘った発言をして、内閣は総辞職した。10/18東条英機首相に就任。12/8ハワイの真珠湾攻撃。戦争への道を突き進むこととなった。社会は活力を失い、滅びへの道を歩むこととなった。「太平洋戦争の前の段階では、言論統制の法規が30程作られた。言論・報道は社会の酸素。人間にとって酸素が無くなると生存できなくなるように、自由に発表できないと、社会そのものが活力を失って滅んでしまう。世界は、今でも戦争の脅威が無くなっていない。水野広コの発したメッセージは、現在に通じるものがたくさんある。」前坂俊介(静岡県立大学教授) 
 その後、戦争が激化し、日本は劣勢に立たされてくるが、しかし、国民に伝えられるのは、「日本軍優勢」の朗報ばかりであった。例え、B29が大挙して東京の上空に押し寄せてきても、国民は戦争の勝利を疑うものは居なかった。アメリカ軍が沖縄に上陸しても、なお、追い詰められながらもかたくなに投降を拒んだのであった。「投降すればひどい目に遭わされる」と教え込まれたその言葉を信じて亡くなっていったのだ。
1942 昭和 17 日本国民は予想以上の勝利に
沸き立った。
 挙母町に加茂地方事務所設置。大日本婦人会小原村支部結成。各町村、農業生産統制令により不急用農産物の制限と主要農産物の作付け転換を行う。  1/〜2/食塩・味噌・醤油・医療の配給・割当制実施。4/中部配電(旧東邦電力を主体に)設立。4/18名古屋、初空襲。4/26大日本婦人会愛知県支部発足。7/神社・寺院の銅製品回収。9/1中部日本新聞(新愛知・名古屋・が合併し)創刊。
 1/マニラ占領。1/食塩配給制。ガス使用割当制。2/シンガポール占領。3/ジャワのオランダ軍降伏。4/18米B25爆撃機、日本本土初空襲。 6/ミッドウェー海戦敗北。8/米軍、ガダルカナル島上陸、第1次ソロモン海戦。
8/ドイツのヒットラーソビエトに侵攻していたが、短期決戦のもくろみは外れ、戦況は膠着状態に陥る。
 スターリングラード攻防戦を始まる。ヒットラーは、対ソ戦勝利のつもりであった。 この年から「ユダヤ人問題の最終解決」としてアウシュヴィッツなどの絶滅収容所が造られ、大規模なホロコーストが行われた。
1943 昭和 18 2月までの半年間に、餓死を含み戦死者2万1千人

 鳥取地震M7.2
 国民学校児童に竹採集を依頼する旨、東加茂郡内で申し合わせる。西中山開拓地に入植始まる。農業団体法の成立により、各町村の産業組合・畜産組合・養蚕組合・農会を統合し、町村農業会とする。   2/8名古屋市で鮮魚・野菜が登録配給制。2/愛知航空機設立。6/春日井及び豊川市制になる。11/20第八校等学校はじめ各高専で出陣学徒壮行会。この年愛知一中で予科練総決起事件起こる。
 2/ガダルカナル島撤退開始。4/連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン等上空で戦死。6/学徒戦時動員体制確立要綱発表。学徒出陣。7/東京都制施行。9/ 14〜25才未婚女子の勤労動員決定。9/イタリア降伏。10/大東亜会議。10/理工科以外の学生の徴兵猶予撤廃。11/愛知県軍需増強事務局設置。12/学徒出陣始まる。徴兵年齢一年引き下げ(19才)。大日本言論報国会結成(会長徳富蘇峰)。谷崎潤一郎「細雪」掲載中止。大日本育英会設立。独軍、敗退始まる。ソ連、コミュンテルン解散。伊、ファシスト党解散。降伏。カイロ会談。テヘラン会談。
 インド・ベンガル地方で大きな飢饉。これが原因でヒンドゥー教徒とイスラム教徒との争いがインド全土に広がった。マハトマ・ガンディーは、争いが収まるまで何も食べないと宣言し、「断食」を開始する。その姿を公開し国民に訴えかけた。断食中のガンディーにヒンドゥー教徒に多くの人々が殺された事を訴えた。この時に「ある秘策がある。父と母を殺されたヒンドゥー教徒の子供を引き取ってイスラム教徒として育てなさい。」と、それぞれの心の中にある良心に訴える方法をとり続けた。・・・。やがて争いは鎮静化した。ヒンドゥー教には厳しいカースト制(バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの順)があった。更にその下にアウトカースト(不可触民)が居た。ガンディーは、彼らに自分の活動拠点を開放して一緒に共同生活をしていた。 
 サルトル、『実存と無』発表。
1944 昭和 19  東南海地震(M7.9)        12/7東南海地震(死者・行方不明438人、負傷者1,148人、家屋全半壊25,819戸)。

住民が崖から飛び降りて自決するなど、日本の戦死者はおよそ4万人。
 トヨタ自工、軍需会社に指定。   陸軍小牧飛行場建設。4/3愛知県青少年学徒動員壮行会。6月の学徒動員53,686人。8/5名古屋市の学童集団疎開第1陣(日置・幅下・大成国民学校)出発。名古屋市高岳国民学校児童が、足助に疎開する。 11/10汪兆銘、名古屋で死す。12/7東南海地震(死者・行方不明438人、負傷者1,148人、家屋全半壊25,819戸)。12/13 B29による名古屋への空襲本格化。
 1/大都市に強制疎開命令。2/決戦非常措置要綱決定。4/高級娯楽停止等決戦態勢の強化。5/昭和新山の誕生。6/米軍、サイパン島上陸。マリアナ沖海戦、空母の大半を失う。6/国民学校児童の集団疎開決定。7/サイパン島日本軍全滅。東条内閣総辞職。米軍、グアム島上陸。米軍は,これにて日本本土空襲の基地を確保。8/女子挺身隊勤労令公布。防空壕強制建造命令。竹槍訓練実施。10/満17才以上を兵籍に編入。神風特別攻撃隊編成。米軍、レイテ島上陸。11/24 B29東京発空襲。軍事教育全面強化方策発表。新聞の夕刊廃止。中学以上の学徒動員。本格的開始。「中央公論」「改造」に、自発的廃刊勧告。連合軍のルマンディーに上陸。米、大型爆撃機B29完成。  学徒勤労動員(敗戦時の人員約193万人)。
 マーティン・ルーサー・キング・Jr、黒人大学に入学し法律家を目指す。アメリカ合衆国憲法には、「正義Justice」と「自由Liberty」であった。しかし、黒人にはこれらが与えられていなかった。「我々は、印刷された書き物に終わっている憲法を現実的なものにせねばならない。」・・・「後の演説『黒人と憲法』より」 法律だけでは解決できない差別の問題を、キングは、宗教や哲学・思想などの側面からも人種差別の問題と向き合った。そんな中で、インド独立の父:マハトマ・ガンジーの思想にひかれた。
1945  昭和  20  原爆投下   天皇戦争終結の詔  第2次世界大戦終結。

 三河地震(M8.0) 
 1/13三河大地震。(碧海・幡豆郡を中心に、死者2,306人、負傷者3,866人、家屋全壊7,221、半壊16.555戸)

        

9/9マッカーサー、日本管理方針発表。この日より,連合国側の本格的な日本占領開始。

占領機構 
 極東委員会
FFC
11カ国
⇒13カ国
     
   ↓
 アメリカ政府 拒否権・中間司令権
   ↓
 連合国軍最高司令官
総司令部 GHQ



 対日理事会(ACJ)
米英中ソ
  司令↓勧告   
 日本政府  
 

 国際連合成立・発足
 神風特攻隊草薙隊、伊保原飛行場から沖縄に向けて飛び立つ。    1/13三河大地震。(碧海・幡豆郡を中心に、死者2,306人、負傷者3,866人、家屋全壊7,221、半壊16.555戸)。3/〜6/名古屋に空襲続く(5/14名古屋城、17熱田神宮焼失、6/20豊橋市、7/13・28一宮、20岡崎市)。8/7豊川海軍工廠被爆。勤労学徒452名を含む2,423人が犠牲となる。春日井、空襲さる。(トヨタ自工付近に3個の大型爆弾投下。)9/17東海銀行、岡崎・稲沢・大野3銀行を合併。9/30名古屋中心に米軍だ25師団27,000人が進駐。中区白川町にアメリカ村。この頃、ヤミ市が大繁盛(名古屋駅西・大須・今池・豊橋神明町、岡崎・康生町、一宮・真清田など)。
 3/9〜10東京大空襲(無差別攻撃による死者およそ10万人)。3/硫黄島の日本軍全滅。4/米軍、沖縄に上陸。(6/23守備軍全滅)。5/ソ連、日ソ中立条約不延長通告。5/ドイツ無条件降伏。6/沖縄ひめゆり部隊自決。7/各地空襲激化。主食の配給一割減(2合1尺)。7/アメリカ・イギリス・ソ連の首脳が、ベルリン郊外のポツダムにて会談。アメリカ・イギリス・中国の名で、ポツダム宣言が発表される。しかし、この宣言を日本は黙殺。8/6アメリカは、日本が降伏を拒否したと見なして、広島へ原爆投下。8/8ソ連、対日宣戦布告。8/9ソ連参戦。満州や朝鮮・樺太への攻撃開始。 8/9長崎へも原爆投下。広島長崎併せて20万人が死亡。
ポツダム宣言の内容・一部抜粋
 6条  国民をだまして世界征服をしようという誤りを犯した者の権力及び勢力を除去
9条  日本国軍隊の武装解除
10条  捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対する厳重な処罰 
 民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害の除去 
 言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重の確立
 8/9〜8/10ポツダム宣言受諾の件について会議。 8/14ポツダム宣言受諾。8/15天皇・戦争終結の詔書 第2次世界大戦終結。
  朕ハ(は)帝国政府ヲシテ 米英支蘇(しそ)四国ニ対シ
 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ 
  天皇の肉声をもって、国民にポツダム宣言を受諾したことを伝えた。
 感極まって落涙する国民と供に、一方では、ほっと胸をなで下ろす若者たちも居た。
 日中戦争から8年にわたる戦争がここにこのような形で終わったのであった。
 8/ダグラス・マッカーサー、連合国軍の最高司令官として来日。 9/2アメリカ戦艦「ミズーリ-号」上で降伏文書調印式。この日より,連合国側の本格的な日本占領開始。 9/8連合国軍東京に入る(戦車にて行進)。皇居の向かいにGHQ「連合国軍最高司令官総司令部」をおく 9/9マッカーサー、日本管理方針発表。10/GHQ、政治犯釈放等の民主化指令、五大改革指令(占領政策の基本方針)。




  
@ 女性の解放   女性の参政権など・20歳以上の男女すべてに選挙権。 
 A  労働者の団結権の保証  労働基準法など労働三法
 B  教育の民主化  教育基本法等、教育三法:地理・日本の歴史・修身の三教科は軍国適とされて廃止
 C  秘密警察の廃止  治安維持法、特別行動警察廃止、政治犯の釈放。
 D  経済の民主化  三井・三菱・住友など15の財閥は持ち株を売却させられて解体。
 農地改革・地主制の解体。
 10/徳田球一ら政治犯3千人出獄。11/日本社会党結成。四大財閥解体指令。日本自由党・日本進歩党結成。12/農地改革指令。都会人の主食買い出し。闇市出現。12/日本共産党再建。近衛文麿、服毒自殺。衆議院議員 選挙法改正公布。労働組合法公布。米軍、沖縄に上陸。    学校授業1年間停止決定。戦時教育令公布。国家と神道の分離指令。 総司令部、修身・地理・日本歴史の授業停止指令。 学童疎開およそ46万人。   10/国際連合成立・発足。
10/28水野広コ、死去(享年71)彼は、敗戦後も原稿を書き続けたが、他に害の及ぶことを恐れて、その原稿は妻にも見せなかったと言われている。
 死後、31年して遺品の整理をしていた親類の人々によって膨大な量の原稿が発見されるに至った。そこには、時代から理解されなくても、同じ過ちを繰り返してなならないことを訴え続けることが必要だと言う、彼のメッセージが書き連ねられていた。彼が晩年に遺した言葉は、「反逆児 知己
(ちき)を 百年の 後に待つ」であった。
 この年、サルトル講演:『実~主義はヒューマニズムである』。主導サルトル:(メルロ=ポンティ、ボーヴァールなどが編集委員))雑誌「現代(レ・タン・モデルメ」に掲載。一世を風靡することになる。 サルトルは、キルケゴール、ハイデガー、自らを無心論的実存主義と整理して見せた。人間はいかなる本質規定もなく、投げ出されているがゆえに、自らの責任に於いて主体的に引き受けるしかなく、絶対の自由を約束されている事実存在から出発して、すべてを考え直そうとした。ハイデガーが問題にしていた被投性や歴史性をまったく考慮することまく、実存的決断による行動として展開された。それは、一切の規制の社会秩序を否定して自由に生きようとした戦後の若者に強い共感を呼び、世界中に広がっていった。
 メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty 1908-1961)は、この年「知覚の現象学」発表。サルトルとは哲学上の立場が異なっていた。彼は、後期フッサールの遺稿に学びながら、ハイデガーの「世界ー内ー存在」を取り入れ、人間を世界に内属し、世界へ関わっていく存在と論じている。「真の哲学とは、世界を見ることを学び直すこと」(序文)だとして標榜し、知のはじまりとして知覚の領野を問題にする。かれは、ゲシュタルト心理学の知見によって『地』を拝敬として「図」が知覚されているとして、感覚要素に分解する経験論も、悟性による構成とする主知主義も共に否定する。 ・・・(「哲学・思想を今考える -歴史の中で−」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)   

 西田幾太郎(1870-1945) この年、「場所的論理と宗教的世界観」により、「逆対応」の論理を発表。「逆対応」は、絶対と相対、神と人間、仏と衆生の間に見られる、逆方向からの相互の自己否定的な対応をいう。つまり神や仏が救済を求める人間や衆生の側の働きに対応して、人間お姿を取ったり”受肉”、地獄に落ちてまでも罪人や悪人を救い助けんとする愛や慈悲がある。これは宗教的な場面に端的に現れるが超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的なものであるという矛盾的な関係である。 この「逆対応」と共に、「平常底」がある。平常の日常生活において真実が実現し「究極的な安心を得た状態」を表示する概念である。 この年、西田没。
            ******************************
 近代科学は「何ゆえに」を封印して「何か」の問いを自然科学的、数学的な機械論的に展開したが、技術と結びつくとともに、世界の合理化〔脱魔術か〕を勧めて資本主義を展開した。西洋近代文明は「進歩」の観念を持って、キリスト教の宣教と文明化を旗印にして、他の文化圏を侵略していく。アメリカ先住民は伝統的な生活と価値観から「何ゆえに」を根拠にして近代文明を問い直す声を上げたが、圧倒的な軍事力によって追い立てられた。中国では西洋とは別の高度な文明が展開していたが、西洋の近代兵器と近代的な軍隊組織、経済制度に敗れて、従属させられていく。日本は鎖国下で伝統文化を熟成させていたが、十九世紀半ばに開国するや近代科学技術をいち早く取り入れて、伝統の近代的再編成を独自の仕方で早急に達成した。
 思想的には、西田幾太郎は西洋の「主観−客観」図式を超えた純粋経験の立場から独自な思索を展開させようとした。
 西洋でも十九世紀後半には近代文明自体に疑問を付する思想が成立していた。アラタネテ現実の「実存」が問われ、しゃかいのなりたちがとわれた。心理学、歴史学、経済学、社会学など実証諸科学が哲学から自立していく。ニーチェは、ギリシャの原初では調和的なアポロン的な物がディオニュソス的な物取り機動的に生成していたことを明らかにした後、現実の背後にプラトン的−キリスト教的な永遠の世界を設定するところにこそニヒリズムが淵源するとして、西洋の形而上学・宗教の一切の価値の転倒をもくろんだ。
 西洋社会において現実にニヒリズムが顕在化した第一次世界大戦後、ハイデガーは、存在を問うことによって、西洋の哲学のみならず文化全般を大きく転換しようとしただけで終わった。けれども自らを自然的な物に定位して、過去から現在、未来へと流れる時間で位置づける日常的〔自らの存在を問わない非本来性〕有り様に対して、「死への存在」を覚悟してすでに「世界−内−存在」として投げられているあり様を担いつつ、将来に向けて企投しつつ、現にある状況に生きるという動的な(自らの存在に関わるという意味で本来的な)あり様を明らかにした。
 これに対して、西田幾太郎は、主客未分の「純粋経験」から「自覚」に深めたが、さらに個物が於いてある場所を問題にして主語的−有〔存在〕の立場から述語的−無の立場へと転換して、西洋哲学とは異なる東洋の無の思想を構想した。
 和辻哲郎は文化の展開の位相に注目して、文化の風土性と他者とともにいる共同存在の方向を加えて、歴史的−風土的存在で間柄に生きる人間の倫理学を構想した。
   ・・・(「哲学・思想を今考える -歴史の中で−」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)   
1946  昭和  21   南海地震(M8.0)



 戦地から引き返した兵士で人口増。
 食糧不足はますます増幅した。
 新憲法ができる中、国民の最大関心事はその日の食糧確保だった。5/食糧を求めるデモが繰り広げられる。アメリカからの食糧援助があって解決が図られていった。占領政策が大きく展開を見せる。
 


 勘八・伊保原などの開拓始まる。西加茂郡教員組合結成。小原村自治青年会・婦人会誕生。東加茂郡模範造林組合の山林が賀茂村に寄付される。  3/6名古屋軍、中部日本新聞ドラゴンズと改称。4/10県下唯一の女性議員当選。5/不当隠匿物資摘発始まる。5/26県庁前で販米獲得人民大会。8/12愛知県地方産業別労働組合会議結成。
 1/天皇人間宣言。2/第1次農地改革、金融緊急措置令(新円発行、預金封鎖)、食糧緊急措置令施行3/物価統制令公布。5/19メーデー復活(いわゆる、食糧メーデー)。日本労働組合総同盟結成。9/生活保護法公布。労働関係調整法公布。10/第二次農地改革諸法公布(自作農創設特別措置法等)。11/3日本国憲法公布。
 日本政府の憲法改正要綱   憲法研究会は、鈴木安蔵を中心とした学者やジャーナリスト等で構成された会であった。自由民権運動の時の民間の憲法草案も参考にし検討された。
 ここで作成された草案をGHQは翻訳し、検討を重ねた。
 国民主権や第25条の生存権の規定は、帝国議会で審議されて追加されたものであった。        
    ↑ ↓    
 GHQの憲法草案 憲法研究会  自由民権運動 
 ↓ パリ不戦条約(1928)  
 日本政府の原案    
     ↓    
 帝国議会で審議、追加・修正    
     ↓    
 日本国憲法 1946年11月3日公布 

補:マッカーサーがGHQの3人の優秀な法律学校をでた人に(ハーバードとかイエールとかミシガン=チャールズ・ケーディス1906〜1996)を、呼んで大急ぎで憲法の原草案を作って欲しいと指示し準備させた。
  民政局の中の”密室の九日間”といわれる隔離されて行われた。憲法の原草案は、2月13日に日本側に手渡された。日本側は、松本草案を渡して、その意見を聞くつもりでいた。 するといきなり、そのマッカーサー草案が渡された。・・・というわけで、自由主義的な改革を進んでやるけれど、自主的に自分たちで憲法を決めたい!と、松本丈治という大家に頼んだ人が意外とコンサーバティブルな人であったということで、大きなギャップができてそのために、二月には全く違ったものが出てきてしまった。憲法をやらないと、後の個別改革をいくらやっても、それは枝葉の問題であると・・。日本の幹を代えろ(根幹から換えてしまおう)!という、勝者の論理であった。 ・・BBS放送大学「世界の中の日本」 第3−日本の憲法と法文化−より 

11/農民改革始まる。 極東国際軍事裁判開始。アメリカ教育使節団来日。第1回日展。官庁用語に口語文採用。文部省、教育勅語奉読廃止を通達。第1回国民体育大会。聖護院、天台宗から独立し、修験宗(現・本山修験宗)を設立。 日本の大部分の神社は神社本庁の基に総括され、宗教法人として登録された。 神道は仏教と異なる独立した宗教と見なされる。第二次世界大戦後、連合国最高司令部(GHQ)指令によって国家神道が廃止されたことによる。それまでは、神道は宗教の枠外におかれ、内務省神社局(1940年からは~祇院)によって統括されていた。~祇院が廃止されて、民間の一宗教になた。
ジョージ・ガモフの預言:「宇宙背景放射」    その後証明される。核融合反応ですべての原子が出来た。・・・と言う。
1947 昭和 22   日本国憲法施行  2/市部で国民学校の給食開始。3/1海部郡津島町市制施行。農地改革により第1回農地買収が実施。4/12最初の公選知事誕生。6/12名古屋駅西ヤミ市一斉摘発。10/1戦後初の国勢調査(県人口男1,517,536人、女1,602,579人。名古屋市は、850,784人)。 
 1/内閣法・新皇室典範公布。3/教育基本法・学校教育法により、6・3制実施。教育委員会制度発足。 3/第3次農地改革(農地買収)。4/労働基準法・独占禁止法・地方自治法公布。5/3日本国憲法施行。7/公正取引委員会発足。10/臨時国勢調査。10/国家公務員法公布。改正刑法(不敬罪・姦通罪廃止)。11/職業安定法公布。12/改正民法(家制度廃止)。内務省解体。東京、学校給食再会。登呂遺跡発掘。  パリ平和条約。
 この年、イギリスから独立:8/14イスラム教徒を中心としたパキスタンが独立。 8/15、ヒンドゥー教徒を中心としたインド独立。直ちにイスラム教と回教徒との間に紛争。ガンディーは、死の断食をしてこれを阻止しようとする。
1948  昭和 23  日高川上流地震(M6.7)

 福井地震(M7.1)

 東西冷戦の始まり、この頃から

国連総会において:「世界人権宣言」
  「人権擁護委員令」
7/17発布
 3/7自治体警察できる。愛知県公安委員会、国家地方警察愛知県本部名古屋市警察局発足。4/5碧南市市制施行。11/1愛知県教育委員会発足。12/中日スタジアム開場。この年から、名古屋からパチンコ流行し始める。  
 1/亭銀事件。3/GHQ、祝祭日に国旗掲揚許可。3/新警察制度発足。民主自由党結成(総裁吉田茂)。6/福井県に大地震。6/日ソ貿易協定成立。7/優生保護法公布(産児制限と人口調節)7/国民の休日法公布。マッカーサー元帥、書簡による政令201号公布(公務員の争議禁止など)。9/主婦連結成。11/極東国際軍事裁判最終判決(25被告に有罪判決、東条ら7名に絞首刑執行)。12/経済安定9原則発表。 本田実、新彗星発見。国立国会図書館開館。太宰治「人間失格」。
 吉野山・金峯山寺
(きんぷせんじ)大峯修験宗(現・金峯山修験本宗)を設立。http://www.kinpusen.or.jp    ビルマ共和国成立。セイロン自治国成立。大韓民国成立。朝鮮民主主義共和国成立。
1/30、マハトマ・ガンディー、ヒンドゥー至上主義者・ナトゥラム・ゴートセーによって暗殺死。 非暴力(アヒンサー)・不服従(サテォヤーグラハ:真理の主張)をかかげてインドの独立に、積極的に闘った。 しかし、イスラム教徒とヒンドゥー教徒との対立は相変わらず続いて居る。パキスタンもインドも、後に核保有国となった。
 8/大韓民国建国。9/朝鮮民主主義人民共和国建国・・南北の対立。 中国では,毛沢東率いる共産党と蒋介石の国民政府との内戦が始まる。
  中東戦争
1948-1973
  ユダヤ教とイスラム教の対立による宗教戦争、かつ、それぞれの宗教をユダヤ人国家イスラエルと、アラブ人国家との対立による民族紛争。英米ソがユダヤ人国家建設を承認したため、1948年イスラエル建国に至るもアラブ諸国が猛反対。武力行使を行い第一次中東戦争勃発。以降、第四次中東戦争後に和平協定成立。中東戦争もアラブ諸国がソ連についたという経緯があり、東西冷戦の代理戦争の様相を呈した戦争。
1949  昭和  24   3/ドッジ・ライン発表

「人権擁護委員法」5/31



ドイツ東西に分かれた国家が成立
 2/21公私立新制大学設置(名古屋薬科、愛知、南山、名城、金城学院、椙山女学園の各大学)。5/31国立の新制大学設置(名古屋、名古屋工業、愛知学芸大学)。9/22豪雨豊田地方を襲い矢作川決壊。被害総額8千数百万円(加茂新聞)。10/自動車生産の自由化。トヨタ本格的な生産を再開。豊川用水工事着工。10/県教委、レッドパージ実施。
 2/GHQ財政顧問ジョセフ・ドッチ来日。 3/ドッジ・ライン発表
(日本政府の赤字財政を解消しインフレを抑えるための政策) 4/団体等規制令公布施行。 4/GHQ、単一レート(1ドル360円)設定。6/2千人のソ連引き揚げ第1船。6/国鉄・専売公社・国税庁・地方自治庁発足 7/国鉄の大量人員整理が労働運動に発展し、無人の列車が動いて脱線するという三鷹事件(原因は未だ不明である・・2011) 7/マ元帥日本は「赤化東進の防壁」と言明。9/人事院規則実施(公務員の政治活動制限)。10/東京都公安条例公布11/日英通商協定調印。日本学術会議第1回総会。国宝法隆寺の壁画焼損。国立学校設置法公布(国立新制大学69校発足)。映画製作倫理規定を制定。湯川秀樹、ノーベル賞物理学受賞。  北大西洋条約機構(NATO)調印。ドイツ連邦共和国成立。インドネシア連邦共和国成立。10/中華人民共和国成立(毛沢東)。
 12月、ハイデガー連続講演(ブレーメン講演)「有るといえるものへの観入」を行った。第一講演「物」:対照的に表彰するのではなく物が物として現成する根源性で捉えようとする。第二講演は「総かり立て体制」:今日の技術社会では、物が用立てられるものへとすべてかり立てられていることを論じる。第三講演では「危険」では「総かり立て体制の本質においては、ものがものとしての守りを失って交配する。」そこには「世界の拒絶という出来事が生じている」。「存在忘却の完成が現成した出来事こそ、総かり立て体制という仕方で存在が本質的にあり続けている現代という転換期である」:今や人間は誰もがさまざまな困窮を抱えている。困窮はなすすべないところへと強い、逃げ場のないところへと押し込む。何十万人もの人々が大量に死んでいる。だが彼らは本当に死んでいるのか。数え切れない程の死の中で、「死の本質」は立て塞がれたままである。「死すべき者」では無くなっていると言う。第四講演「転回」では、ヘルダーリンの詩句を引用して・・・「だが、危険のあるところ、  救いのあるものもまた育つ」。ハイデガーは、個々の技術ではなく、技術の本質を考えて、「総かり立て体制」を「存在の真理」が送り遣わしてくる歴史的運命と考えている。「転回」というのも人間が直接的に関わることではなく、「存在の真理」から「危険」を介して送り遣わされる「転回」を考えているのであった。原子爆弾の開発がその後大量の核兵器を生み、人類を絶滅の危険に直面させるに至っている。そうした事態に人間がまさに危険を察知し、だからこそ、それまでの見方・あり方を根本的に見直して、別の考え方・有様を模索するのではないか。ニヒリズムは、二度の世界大戦で、誰の目にもあらわになった。人類は自らの手で絶滅する技術にまで手を出してしまった。技術は日々の仕事として、殺戮を組織的に行う絶滅収容所までつくり、それを整然と運用していたのである。「人間ほど恐ろしいものはない!」ギリシャ悲劇の言葉が、不気味に響く。多くの人間が危険を共有するようになり、見方・有り様の革新を求めるようになってくる。そうして人類の歴史は転回するのではないか。ギリシャ悲劇では、人間の傲慢を諫めるコロス〔合唱〕があったが、今や目の前に居る人間の声からも、耳を塞ぎ、ひたすら数字〔検査結果や勤務予定表や運用実績そしてゲームなどの〕のみを観て居る。・・・・・こんな時代に合って哲学はなにを問うのか? なにを考えるのか?    2018.5.1 (「哲学・思想を今考える ー歴史の中でー」 魚住孝至 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)
1950   昭和  25   朝鮮戦争勃発
占領政策の変化 ・逆コース
 賠償の軽減・計画縮小
 企業分割(財閥解体)の緩和 325社→11社
 ○  ドッジラインの不況下で人員削減強行
  労働運動の規制
  公務員スト等の禁止
 ○  公職追放の解除・戦犯の釈放、 レッドパージ
 豊田自工労働争議始まる。トヨタ自販設立。小原ー岡崎間郵便専用車開通。足助病院開院。  3/30駅と百貨店の機能を持つ国鉄初の民衆駅、豊橋駅竣工。4/1碧海郡刈谷町、市制施行。トヨタ自工人員整理、賃金カットを巡る労働争議。退職者2000人に達す。6/8日以来の長雨で、河川氾濫被害出る(加茂新聞)。6/25朝鮮戦争勃発で、特需景気。7/28朝日新聞中部支社よりレッドパージ始まる。10/28愛知県で第5回国民体育大会開催。  
 1/マ元帥、日本国憲法は自衛権を否定せずと声明。1/千円札発行、満年齢の数え方実施。3/自由党結成(総裁吉田茂)。4/たばこ自由販売。4/公職選挙法。5/生活保護法公布。6/マ元帥、共産党中央委員24名全員の追放指令。7/日本労働組合総評議会結成。7/警察予備隊設立(7.5万人)。 8/全労連に解散命令。 9/レッドパージ方針閣議決定(政府機関・民間企業)。レッドパージ始まる。12/総同盟、左右両派に分裂。12/地方公務員法公布。電波法・放送法公布。文化財保護法公布。
 吉川英治「新平家物語」  インド共和国(首相ネルー)。日本は,朝鮮戦争のための軍需物資の補給基地となって、好景気となり経済復興への足掛かりとなった。
 日本を東西冷戦の一方に組み込もうとするアメリカ主導の単独・片面講話に対して、社会主義陣営を含めた
すべての国との講話・全面講和を求める運動が起こされた。
 その一つに、学者や知識人からなる「平和問題談話会」があった。
 「講話問題についての声明」 平和問題懇話会 1950.1.15
 そもそも我が憲法の平和的精神に忠実を守る限り、われわれは国際政局の動揺のままに
受身の態度を以て講話の問題に当たるのではなく、進んで二つの世界の調和を図るという
積極的態度を以て当たることを要求せられる。
 われわれは、過去の戦争責任を償う意味からも、来るべき講話を通じて両者の接近乃至
(ないし)調整という困難な事業に一歩を進むべき責務を有している。 
 アメリカ陣営とソ連陣営の対立の緩和を積極的に図っていこう。それこそが,過去の戦争責任を償うことなのである。との声明であった。日本国憲法に元ずく国際貢献の定義ともいえるものであった。
 日本の政策を、「民主化」から経済復興」に変換した(アメリカがアジアの中で資本主義として日本が果たす役割が大きいと見た)。
 6/朝鮮戦争:北朝鮮が韓国に軍事侵入。在日アメリカ軍を中心とした国連軍を派遣。一方、中国義勇軍、朝鮮戦争に出動。三年に及ぶ東西の激しい対立となった。     
朝鮮戦争
1950-1953  
  冷戦状況におけるアメリカとソ連の代理戦争。第二次世界大戦を終え、世界的な米ソ冷戦状態に陥り,かつて植民地だったアジア諸国も米ソの勢力圏に分割。朝鮮半島は北緯38度線で北をソ連が,南をアメリカが占領することになる。1950年、北の金日成が南の李承晩に合併を持ちかけたが拒絶されたために開戦。韓国側には国連軍が,北側にはソ連・中国が加わり、膠着状態に陥るが、1953年ソ連のスターリンが死亡したことで休戦。
1951 昭和 26  3/挙母町、市制施行。小原村婦人消防隊結成。愛知県、加茂など、8カ所を県立公園に指定。足助高校が、足助小学校に設立。 3/1西加茂郡挙母町、市制施行(34年1月豊田市に改称)。3/田原町吉胡貝塚、国営発掘第1号として調査。4/中部経済連合会発足。5/1中部電力発足。8/中日スタジアム試合中に出火全焼。9/1中部日本放送全国最初の民間ラジオ放送として開始。10/小牧空港、民間使用始まる。
 1/マ元帥、集団安全保障と講和を強調。2/ダレス特使、集団安全保障・米軍駐留の講和方針表明。4/マッカーサー罷免。6/ILO復帰。7/財閥解体完了発表。9/サンフランシスコ講和会議、対日平和条約・日米安全保障条約調印。10/社会党、左右両派に分裂。12/GHQ、北緯29〜30の7島の管轄権を日本に返還。児童憲章制定。日本、ユネスコに正式加入。最初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」上映。   朝鮮休戦会談開始。米・豪・ニュージランド、太平洋安全保障条約。
1952 昭和 27 十勝沖地震M8.2  矢作川汚水問題。矢作川漁協と鉱山業者との解決付く。  足助高校岩神に移転。足助家畜市場完成。藤岡村、積雪寒冷地帯に指定さる。挙母保健所開設。11/豊田市教育委員会発足。  3/名古屋空港開港。5/1碧海郡安城町、市制施行。5/7愛知大学事件。5/30金山橋事件。6/26高田派出所襲撃事件。7/大豪雨、水害続出(挙母市史資料)。7/7大須事件(大須球場で、日中貿易歓迎大会終了後、学生・労働者・朝鮮人デモ隊と警察が衝突。269人検挙。)。
 2/改進党結成。日米行政協定調印。4/GHQ廃止。対日平和・日米安保両条約発効。4/破防法反対スト。(戦後最大)。5/血のメーデー。7/破壊活動防止法公布。8/法務省、自治庁・保安庁・電電公社発足。8/IMF世界銀行に加盟。9/電産スト。10/炭労スト。学術会議、破防法案に反対声明。中央教育審議会設置。国立近代美術館開館。   李承晩ライン宣言。ボリビア革命。エジプト革命。英、初の原爆実験。米、水爆実験成功。
1953 昭和 28 13号台風 飯田街道・三州街道、国道に昇格。挙母市内巡回バス開通。9/2513号台風襲来、被害甚大。  3/県の花がカキツバタに決定。7/17〜20集中豪雨東加茂郡を襲う。高橋流失し600戸浸水(加茂新聞)。8/22中京競馬場開業。9/2513号台風。渥美半島暴風雨と高潮で、被害。   3/第1回中国引き揚げ船入港。8/スト規制法成立(電気・石炭業の争議制限)。9/独占禁止法改正(合理化・不況カルテル容認)。9/町村合併促進法公布。10/池田・ロバートソン会談。11/三木武吉ら、日本自由党結成。12/奄美群島返還日米協定調印。12/水俣病患者第1号発病。 NHKテレビ放送開始。日仏文化協定調印。民間TV本放送開始。国際理論物理学会議(戦後初の国際学術会議)。   米大統領、アイゼンハワー就任。スターリン没。 
1954  昭和  29      松平橋竣工

 アメリカ水爆実験
 挙母警察署発足。藤岡村戸越し峠改修工事起工式。挙母市上水道起工式。小原商工会結成。  3/1NHK名古屋テレビ、本放送開始。契約数4,726台。蒲郡市・犬山市・常滑市・守山市、市制。6/19高さ180mのテレビ塔完成。
 2/造船疑獄拡大。3/ビキニ水爆実験で、第5福竜丸被災。4/造船疑獄で犬養法相、指揮権発動。7/防衛庁・自衛隊発足。新警察法施行。日本民主党結成。(総裁:鳩山一郎)9/洞爺丸、台風15号で転覆。12/憲法9条について統一解釈発表(自衛権保有・自衛隊は合憲)   全日本仏教会結成。
 当時、白人から徒党を組むことを監視されていた黒人にとって教会は唯一、自由に集まることのできる場所であった。キング・Jrは教会を拠点に選んだ。マーティン・ルーサー・キング・Jr、25才、牧師の道を歩みはじめる。10/キング牧師、モンゴメリーの教会に赴任する。牧師の説教は、これまでの牧師のそれとは異なるものであった。聖書の言葉だけではなく、民主主義や人権について説き続けた。「アメリカの独立宣言には、こんな言葉が書かれています。『すべての人は平等に造られている。そこには”すべての白人”とは書かれていません。黒人をも含む”すべての人”と書かれているのです。』 ・・・・(説教「アメリカの夢」より) ・・・・説教を聞いた黒人には、すべてが発見の連続であった。黒人達自身が、いかに不当な扱いをされてきたのか気づかされた。
 「黒人達を腐らせているのは劣等感だった。差別の最大の悲劇は、精神まで奴隷となり麻痺してしまうことだった。」・・・ (牧師演説「新時代の挑戦に直面して」より)
   アルジェリア独立戦争 〜62年 アルジェリアゲリラ軍は数の上でも、技術的・経済的にも、圧倒的に優位に立っていたフランス軍を打ち破った。反植民地主義の世界的なネットワークに支えられていたからである。また、世界のマスメディアやフランス自体の世論を首尾良く自らの主張の見方に付けられたからである。「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社
1955 昭和 30 神武景気  米の予約販売制度実施。皇太子トヨタ自動車見学。4か村合併して、足助町誕生。挙母市民会館完成。名鉄バス、大平線開通。  2/1愛知県文化会館・美術館開館。愛知県農業協同組合中央会発足。10/10第1回名古屋祭り。愛知用水公団発足。  1/共産党、極左主義自己批判。5/日中貿易民間協定。7/経済企画庁発足。8/第1回原水爆禁止世界大会開催。森永ヒ素ミルク事件。9/GATTに加盟。10/社会党統一大会。11/日米原子力協定調印。日本民主党・自由党解党、自由民主党結成。12/原子力基本法公布。  法隆寺昭和大修理始まる。重要無形文化財指定始まる。スモン病発生。神武景気
 ハイデガー、生地メスキルヒで講演「放下」。いかに、。総かり立て体制>に対すべきか。
 技術的な諸対象の避けがたい利用に対しては「イエス」ということは出来るが、同時にそれらが私たちを独占することを要求し、われわれの本質を歪曲し、混乱させ、終には荒廃させることを拒否するかぎり、「ノー」ということが出来る」。(GL22〜23)このような態度を「放下Gelassenheit」と呼んでいる。
 放下は、より多くの力を得ようとする力への意志、すなわち存在者を支配しようとする意志を棄てることであり、テクノロジーから一歩一歩歩戻る冷静さである。われわれは、技術的対象を利用せざるを得ないというかぎりでは「イエス」と言い、しかしそれに囚われて自分たちの本質を損ねるのを拒むかぎりでは「ノー」という。技術的世界に対する「イエス」であり、「ノー」である有り様が、「もろもろの物に対する放下」であるれた。 1959年「放下」&「放下の究明について」出版。    (「哲学・思想を今考える −歴史の中で−」  魚住孝至著 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)


 12/1ローザ・パークスという20代の黒人女性が仕事を終えバスに乗り込んで間もなくするとバスは満席になった。、そのバスに白人客が乗り込んできた。すると、運転手は黒人客達に向かって「席を譲れ」と、命令した。モンゴメリーには、人種隔離法に基づいた乗車ルールがあった。前方に白人専用席があり、黒人は後方であった。しかも、白人席が満席になると、黒人はその席を譲らなければならなかった。 この時に、ローザは権利を主張して席を譲らなかった。
 バスの乗車ルールに従わなかったローザは逮捕された。
 翌日、キング牧師がそれを知って、差別への抵抗を示すことにした。(当時、バスの乗客は7割が黒人、その数は一日5万人)
 それは、バスへの乗車拒否(ボイコット)であった。すぐさま町中の黒人にビラを配り、ボイコット決行は4日後(12/5)と決められた。バスは、ほとんど空車のまま道路を走っていた。
 12/5午後、ローザ・パークス有罪判決。彼女はすぐに上訴し、人種隔離法の是非を国に問おうとした。
 キング牧師は、バス乗車ボイコットの継続の是非を民衆に問いかけた。夜、黒人達は教会に集まった。1,000人収容の教会には、5,000人もの人々が集まった。満場一致・全員が、バスのボイコットに賛成してこれに応えた。
 翌日、通りを歩く黒人の数は更に増加した。ボイコットは何ヶ月も続いた。黒人達の心の中に「正義」への気づきが芽生えはじめていた。
                               *************************
 ある日、足を引きずりながら歩く黒人の老婦人に運転手が言った。「乗せてあげましょうか?」
 すると、老婦人はこう答えた。「私は自分の為に歩いているのではありません。子供や孫の為に歩いているのです。」
1956 昭和 31 高橋竣工  挙母市消防署発足。明治用水水源橋完成。高橋架橋。挙母市上水道通水式。田代・田折・蕪木・蘭村の4村落が額田郡下山村から東加茂郡下山村に合併。新農村振興計画策定。羽布ダム定礎式。  10/27犬山に日本モンキーセンター。12/1中部日本放送(CBC)、テレビ放送開始。
 1/原子力委員会発足。2/国会、原水爆実験禁止要望決議。3/日本道路公団法成立。4/民主党初代総裁、鳩山一郎を選出。5/原子力3法公布。売春防止法。6/新教育委員会法成立。7/国防会議構成法成立。日ソ平和交渉(モスクワ)10/日ソ国交回復に関する共同宣言調印。佐久間ダム完成。 12/日本、国際連合に加盟。  石原晋太郎「太陽の季節」ベストセラー。気象庁発足。延暦寺、大講堂焼失。南極観測船「宗谷」出発。ハンガリー動乱。スエズ戦争。
11/アメリカ連邦最高裁が、アラバマ州とモンゴメリー市条例のバスにおける人種隔離法を違憲とする判決を下した。
1957 昭和 32 8/集中豪雨。なべ底不況  昭和天皇トヨタ自工を視察。下山商工会設立。挙母西加茂地方集約酪農協議会誕生。8/集中豪雨。 3/18名古屋駅前に地下街。8/1愛岐鉄道開通。11/5名古屋千種区の平和公園に市内の8万基の墓地移転完成。11/15名古屋市営地下鉄、名古屋ー栄間2.4km開通。
 1/労農党、社会党と統一決定。1/南極観測隊、オングル島に上陸、昭和基地完成。2/日英通商協定調印。4/攻撃的核兵器保有は違憲と政府統一見解。5/公定歩合引き上げ、株価暴落開始。6/岸首相、訪米(共同声明ー日米新時代、米地上軍撤退等)。7/対中国輸出統制緩和。8/日米安全保障委員会発足。10/五千円札・百円硬貨発行。10/日本、国連総会で安保理事会非常任理事国に当選。10/初の人工衛星(ソ連)上げ成功。12/日ソ通商条約調印。  熊本の水俣病調査開始。日本・西独、文化協定。東海村原子炉に火ともる。エサキダイオード発明。   
1958 昭和 33 台風13号被害甚大。  藤岡村・挙母市等の「棒の手」県無形文化財に指定。三好町市制。挙母市に農林会館完成。  4/10三河湾国定公園指定さる。8/25〜26台風13号総雨量230mm、国鉄岡崎駅付近、床上・床下浸水556戸(愛知県災害誌)。9/15小牧飛行場、米軍から返還される。9/28名古屋駅西で、大火、マーケットなど96戸全半焼。11/1市制施行(稲沢市、新城市)。12/宇連ダム完成。12/15東海TV局開局。
  3/全日本農民組合連合会結成。10/安保条約改定交渉開始。11/東京神戸間、特急こだま運転開始。12/一万円札発行。  五味川純平「人間の条件」、石川達三「人間の条件」、ベストセラー。     米、初の人工衛星打ち上げ成功。
1959  昭和  34  伊勢湾台風、岩戸景気9/26伊勢湾台風。(東宮口:各家の屋根瓦飛び、壁落ちる。鳥居の松倒れる。)  挙母市、豊田市になる。豊田自動車元町工場完成。豊田市青年婦人会館オープン。下山村に県立三河高原牧場増設。9/26伊勢湾台風・豊田市域死者6名、重軽傷者149名、久澄橋流失(市政だより)。(名古屋南部、海部郡などを中心に死者3,168名、行方不明92名、家屋全壊20,334戸、床上浸水53,660戸)。安保反対闘争激化。6/日米安保条約調印。政府、所得倍増・高度成長政策発表。 
 1/メートル法施行。3/政府、自衛のために適地攻撃は合憲と統一見解発表。4/皇太子ご成婚。安保条約改定交渉再開。4/最低賃金法公布。国民年金法公布。9/伊勢湾台風。死者行方不明者5,200人余。11/安保阻止統一行動デモ隊2万人。国会構内にはいる。   岩戸景気。霧島山1700m(宮崎県と鹿児島県の県境)噴火。
 ハイデガー、『放下』出版。(ここに「放下の究明について」も一緒に) <放下は元来ドイツの神秘主義のエクハルトに由来する言葉:手放す、棄てる、任せて落ち着いているくらいの意味> ハイデガーは、老荘思想や禅と共に芭蕉の俳諧に関心を持っていた。    (「哲学・思想を今考える ー歴史の中でー」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋) 
1960  昭和 35  5/中学校の学校給食開始。 新伊勢神トンネル完成。下山村営採石場開設。下山村新村建設計画を策定。9/豊田市とデトロイト市との間に姉妹都市提携。4/1東海ラジオ放送開局。6/愛知県防災会議発足。第1回名古屋港海水汚染実態調査実施。9/伊勢湾台風復旧護岸堤防完工。
  安保反対闘争激化。6/日米安保条約調印。9/カラーTV本放送開始。10/浅沼社会党委員長暗殺される。 12/政府、所得倍増・高度成長政策発表。 12/26、和辻哲郎(1889-1960)没。日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。
  ベトナム戦争
1960-1975  
  北緯十七度を境に、親米派の南ヴェトナムと共産主義の北ベトナムによる戦争。ジュネーブ協定(1954年)で南北統一選挙が決定したものの南側が拒否し、反対派を弾圧したため、1960から北ベトナムの支援を受けた南ベトナム解放民族戦線のゲリラ戦が活発化。アメリカが南ベトナムへの回入を深め戦争は長期化。1975年、北ベトナム軍によるサイゴン陥落をもって終結。翌年、南北ベトナム統一。
1961 昭和 36 北美濃地震(M7.0)

      和辻哲郎(1889-1960)没
 足助町公民館設立。三好池完成、愛知用水通水。小原村青年研修所落成。小原村母子健康センター開設。4/春日井高蔵寺ニュータウンの建設始まる。9/26一宮市、交通安全都市を全国で初めて宣言。6/27集中豪雨。市内中心に冠水。豊田・西加茂地方で3億5,000万円の被害(市政だより)。9/30知多半島に導水する愛知用水完工、通水。この年の県下交通事故死者数909人。  4/農業基本法成立。ソ連、有人宇宙衛星打ち上げ成功。 8/ベルリンの壁建設。
 和辻哲郎(1889-1960)没。若い頃からニーチェやキェルケゴール二関する世界的水準の研究書を公刊したが、ある時から日本にも西洋にも勝るとも劣らない思想家がいたことに感激した。道元思想の哲学的研究の出発点「沙門道元」においてドイツ観念論の用語を手がかりに道元の思想を解釈しつつ、道元研究を宗門から開放することで道元は「人類の道元」となると高らかに宣言した。(「日本仏教を捉え直す」 放送大学教育振興会 NHK出版)
1962  昭和  37   豊田高等専門学校開校。羽布ダム(三河湖)完成。小原村で、抑制蔬菜栽培盛んとなる。久澄橋、鉄筋永久橋となる。1/守山市に陸上自衛隊第10師団発足。4/1名古屋放送局、開局。5/西浦・蒲郡・豊橋・田原4港が統合、三河港となる。7/27大雨。岡崎などで被害。八帖町床上浸水家屋65戸、床下浸水家屋358戸(愛知県災害誌)。  8/堀江健一ヨットで単独太平洋横断。 10/キューバ危機起こる。
 田辺 元(1885-1962) 西田幾多郎の後任として京都大学の哲学の教授を務めた。これまでの哲学がすべて「生の哲学」であったのに対して、「死の哲学」を復活させなければならないと、その具体例として禅の文献である『碧巌録』第五五則を挙げて、「実存協同」を説いた。死者が亡くなったときに、はじめてその人が言わんとしていた事、自分に期待していた事がわかる。キリスト教では「死−復活」と、唯キリストのもに起こる事であるが、仏教ではそれが可能である。視しても尚他者を思いやるというような「実存協同」を成り立たせるのが菩薩である。・・・と、田辺の哲学は菩薩の哲学ということができる。核の時代はもはや「生の哲学」では解決できず「死の哲学」が不可欠であると説いた。当時は受け入れられなかったが、今(2018)、現実味を帯びている。(「日本仏教を捉え直す」 放送大学教育振興会 NHK出版)
   フランスでは、哲学思想は実存主義に変わって構造主義が展開する。レヴィ-ストロースが『野生の思考』刊行。 文化人類学などでかつては未開とされた社会にも非常に高度なコードが有ることが解明される。フーコーは、『古典主義時代における狂気の歴史』(1961) 『言葉と物』(66)、『知の考古学』(69)を次々に著して近代的な「主体」の終焉を言い、近代社会を構成していた様々な制度〔学校、監獄、臨床医学など)を改めて問題にしていた。彼はハイデガーに影響を受けたことを認めていた。(ハイデガーは最後に「哲学の終焉」を宣して、改めて別の伝統の思索との対話から、別の始まりが準備されることを示唆していた。) ハイデガーのように「哲学の終焉」を言わないまでも「ヨーロッパ中心主義」「ロゴス中心主義」の終焉は、ますます明らかになってきた。ロゴスではなく、「言葉」、「身体」、「雰囲気」、精神病理」、「構造」などを現象学刑の哲学者たちが盛んに論じるようになった。  この年、ハイデガーは「時間と存在」の講演を行う。  (「哲学・思想を今考える ー歴史の中でー」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)   
1963 昭和 38 新双竜橋完工  豊田市人口53,000人。足助農協発足(足助西部・北部農協の合併)。小原農協発足(合併し)。
 2/16名四国道開通。7/木曽川下流に水質保全が適用。
 1/アメリカ・アラバマ州バーミングハムでは、白人が黒人に対して圧力をかけていた。
新たに選ばれたジョージ・ウォレス知事は、人種隔離の徹底を宣言する。白人による黒人住居へ爆弾を投げ込むテロが勃発。3/キング牧師は、次の運動の場を、このバーミングハムに定めた。暴動になる寸前の町にキング牧師は呼びかけた。 「寿有」と「正義」の闘いにおいて最も強力な武器とは、「非暴力」なのです。」「正義」を勝ち取るには、あくまでも「正義」の行動でなければならない。」
 5/キング牧師、大規模なデモ行進を行う。これには全米のメディアの注目が集まった。デモ隊に向かって、警察や消防隊が現れて、黒人の群衆に向けて放水された。学生や子供達は道路や壁にたたきつけられた。更に、警察犬が投入されて、黒人に向けて牙を向けさせた。何頭もの犬に黒人達を襲わせたのだ。この瞬間を一人の白人ジャーナリストが捕らえて、全米の新聞やテレビニュースに取り上げられることとなった。残忍な行為が全米に知らされた。これは、白人達の良心を目覚めさせた。ロシアは、「これが民主主義国家のなれの果て」と、揶揄した。
 6/ジョン・F・ケネディーは、事態を重くみた。人種を問わず国民の自由・平等を保証する強制力を持った法律:公民権法制定。
 8/28午後4時、ワシントンにかつて無いデモ行進を企画。マーサー・ルーティン・キング牧師”I Have a Dream”の演説を行う。 「かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫が兄弟愛のテーブルに仲良く座れる日が来ることを夢見ています。今日ここに多くの白人の友が集まっています。白人の運命もまた我々黒人の運命と共にあるのです。白人と黒人の自由は決して解くことのできない絆でつながれています。われわれは一人では歩いていけないのです。」
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 「正義の銀行が、破産しているとは思いません。 機会という金庫には十分な残高がないとは思いません。 我々は要求すればすぐに富と正義を受け取れる小切手を換金するためにきました。」   From BS世界のドキュメンタリー 2015.6.10放映 「キング牧師 VS マルコムX」より
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 全米から次々と人々が集まった。このデモ行進には、黒人と白人が手を携えて居た。今までのデモとはすっかり異なっていた。25万人に及ぶ大きな行進であった。
 11/キング牧師の働きに理解を示しだしていた、ケネディ大統領暗殺される。
1964 昭和 39 新潟地震M7.5  豊田市、上郷町と合併。3/3飛騨木曽川国定公園の指定。4/1愛知県公害防止条例公布。9/施行。名古屋市・知多郡上野町・横須賀町・知多町、煤煙規制法の指定地域になる。9/5世界第一の東海製鉄第1高炉に火入れ。6/名神高速道路一宮ー神戸間開通。名古屋港に高潮防波堤完工。12/1名古屋千種区に愛知県ガンセンター開設。
 10/東海道新幹線開通。10/東京オリンピック開催。
 7/2アメリカに公民権法成立。(合衆国憲法制定からおよそ180年を経て) その後も、キング牧師は運動を続けた。ベトナム戦争への反戦運動。「我々は今、黒人と白人の若者達が一緒に殺人を犯し死んでいくという残酷な皮肉に直面しています。現在戦われている戦争を無視して、アメリカの誠実さを語ることはできないのです。」 「いま、私の心はベトナムの民衆にも向けられます。彼らの切れ切れの叫びに耳を傾けないかぎりいかなる解決も生み出せないのです。  ・・・(演説「ベトナムを越えて」より)  だが、数日後、白人の警官が黒人の少年殺害したことで,暴動となる。
 ハイデガー、ユネスコが組織した討議に「哲学の終焉と思索の課題」を寄稿した。「哲学は現代という時代に終焉に入った。」と宣言された。哲学が開いた視界の内部で諸科学が形成された。心理学、社会学、文化人類学、論理計算と意味論になった。「哲学は人間についての経験諸科学となり、人間にとっての技術の経験可能な対象についての経験諸科学になった。その技術によって世界を多種多様な作り物と像の仕方で加工して、世界を人間に方向付ける。・・・けれども哲学の終焉において、なお保留されている課題があるとハイデガーはいう。その課題は哲学の原初から閉ざされていた思索の課題である。「哲学の内においてはその始まりにおいては開けにおいて語られていたにもかかわらず、{プラトン以降}存在と現前性において支配している開けそのものは思惟されていない」とし、「思索の可能な課題を問う試み」をはじめる。  (「哲学・思想を今考える ー歴史の中でー」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)
1965 昭和 40 静岡地震松代群発(M6.1)  豊田市民センター完成。豊田市、碧海郡高岡町と合併。豊田ー下山村黒坂間バス開通。笹戸橋竣工。トヨタ自工上郷工場操業開始。下山村、農村集団電話架設。3/18博物館明治村、犬山市に開設。5/10県の鳥にコノハズク指定。6/30名神高速道路、小牧ー西宮間全通。10/15名古屋地下鉄名城線、栄ー市役所間全通。11/名古屋空港、国際線乗り入れ許可される。名古屋大学ヨット部チタ二世号初の太平洋往復横断に成功。
 3/犬山・明治村開村。6/日韓基本条約調印。10/朝永振一郎ノーベル賞受賞。
1966  昭和  41   デトロイトへ第1回親善使節派遣。矢作ダム工事着工。小原村、農村集団電話架設。 猿投ダンプ事故起こる。 4/1愛知県立大学、愛知県立芸術大学設立。愛知学芸大学、愛知教育大学と改称。5/高蔵寺ニュータウン起工式。 7/12鈴木大拙没。9/22県の木にハナノキ指定。12/西加茂郡猿投町で、保育園児の交通事故発生。11人死亡。
  4/中国に文化大革命。
   ハイデガー、鈴木大拙西谷啓治監修の講座第八巻(筑摩書房)に「思索の事柄を定めることへの問い」を寄稿した。この中で、次のように語っている。
 「開けを思索することとそれを十分に特徴付けることを通ってわれわれはあるひとつの境域の内に到達し、その境域は、変転されたヨーロッパ的思惟を東アジア的思索との稔り多き対決的解明の内へともたらすことを、多分可能になるであろう。その解明は、人間的な現存在を極度に技術的に算定し操作することによる脅威に対して、人間の本質を救い出すという労苦に満ちた仕事の手助けになり得るかもしれない。(辻村公一訳)」と、非常に慎重な言い回しながら、彼が生涯をかけたヨーロッパ的思惟の探求のその先で、東アジア的思索との批判的対決の稔り多きことを願っていたことが窺える.。 「何ゆえに」の問いで浮かび上がってくるのは、今、ここに生きる我々自身にあり様で あり、本来的な生き方への問いかけである。改めて伝統を振り返ってみると、禅仏教が「己事究明」を主題とし、しかも「父母未生(ぶもみしょう)以前の本来の面目、如何(いかん)?」と問うていたことが問題になる」。禅は仏教であっても「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢いては祖をころす」と、外になんらの権威も認めない。あくまでも自己の奥底を深く問い続けていく。この点では、教えや信仰を宗とする宗教ではなく「何ゆえに」の問いを深める哲学的な営みであり、しかも思惟ではなく自己の身心一体による実践的な修行によって本来の自己に生きようとするのである。 
    (「哲学・思想を今考える ー歴史の中でー」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)
1967 昭和 42 日本の人口一億人を超す。 豊田市、郷土資料館・民俗資料館開館。豊田市、西加茂郡猿投町と合併。三好町文化協会創立。旭村、町制施行。6/7名古屋駅南に名鉄バスセンターできる。6/26浄土真宗大谷派・曽我量深、巡講にて、岡崎・三河別院「真宗の人間像」。午後同中ノ郷浄妙寺、その後、岡崎教務所にて宿泊。翌日、二箇所にて講演。豊橋駅に向かう。(「親鸞の大地」曽我量深随聞録より)7/愛知県交通事故相談所を設ける。8/1東海製鉄が、富士製鉄と合併。富士製鉄名古屋製鉄所となる。
1968 昭和 43 十勝沖地震M7.9(青森県東方沖) 4/25東名高速道路、小牧ー岡崎間開通し豊田インター供用開始。5/30豊川用水竣工、給水。6/21愛知県心身障害者コロニー春日井市につくられる。8/18名古屋の人達の乗った観光バス、岐阜県白川町の飛騨川に転落。104名死亡。   イタイイタイ病公害病と認定さる。
4/4キング牧師、白人の凶弾に倒れる(享年39)毎年、1月の第3月曜日アメリカでは「キングスデー」キング牧師の誕生を祝い、行進を行っている。彼が死の前に語りかけた言葉は、「私たちは打ち勝つ。たとえ遠回りをしていたとしても、行き着く先に『正義』があるかぎり。私たちは打ち勝つ。なぜなら『偽り』が永遠に生き続けることはないから。私たちは打ち勝つ。わたしはそれを心の深いところで信じている・・・」We shall overcome ・・・・・
1969  昭和  44  岐阜地震(M6.0) 足助町営香嵐渓観光センターできる。旭大橋竣工。台風7号各地に被害。1/10天竜奥三河国立公園に指定。4/1知多郡上野町・横須賀町合併し東海市制施行。名古屋地下鉄東山線、中村公園ー藤が丘全通。UHF中京TV局開局。5/26東名高速道路、小牧ー東京間全通。7/アポロ11号、月面着陸。大学紛争で、機動隊出動。
 カール・ヤスパース〔独:Karl Theodor Jaspers〕没。(1833-1969) ドイツの実存哲学者。精神科医であり、実存主義哲学の代表的論者の一人。政治評論家としても知られる。    
1970 昭和 45  豊田市、松平と合併。下山村を走る黒坂線・阿蔵線バス運休、マイクロバス導入。矢作ダム湛水。岡多線北野枡塚駅まで開通。豊田市に新図書館完成。 7/18鳳来町に県民の森開設。9/1知多郡知多町、大府町、市制施行。12/名古屋市栄町で歩行者天国始まる。11/1愛知県青少年公園開園。碧海郡知立町、高浜町、市制施行。東春日井郡旭町、尾張旭市と改称、市制施行。  3/大阪で、日本万博開催。 6/日米安保条約自動延長。
1971  昭和  46    辛  亥  ドルショック  矢作ダム完成。国鉄バス柿野線、営業中止。足助町3中学合併し足助中学となる。 3/名古屋で、世界卓球選手権大会。日中間ピンポン外交展開さる。11/愛知県交通安全教育センター開設。ノーカーデーと青空の日を実施。この年、企業と自治体で公害防止協定締結。  6/沖縄返還協定調印。
 この年の終わりには、1ドル308円。輸出産業に大きな影響。
 長期化したベトナム戦争の戦費などによって、アメリカの国際収支の赤字が増大したことが原因で・・・・・
  8月16日 ニクソン大統領の演説 「私はドルと金、またはその他の通貨資産との交換を一時的に停止するよう、コナリー財務長官に命じた。・・・今日、私は暫定的な措置として、米国に輸入される物品に10%の課徴金を課すことにした。・・・・」金・ドル本位制ではなくなった。ドルを守るために、金とドルとの交換停止に踏み切った.。また、輸入品に課徴金を課すことにした。
 これまでは、世界の通貨体制は,ドルが基軸となっていて、ドルが金と交換できるという前提だった。それぞれの国の通貨も、ドルとの交換レートも固定されていた。日本の場合1ドルは360円。日本からの輸出にとっては大変有利であった。このレートが日本の高度経済成長を支えていた。
1972 昭和 47 7/13小原村・藤岡町で集中豪雨により土砂崩れ70名生き埋め。

 田中角栄(〜74)
 猿投グリーンロード開通。7/13集中豪雨、各地で山崩れ、河川の氾濫、死者63人行方不明4人(愛知県災害誌)。1/24グアム島で名古屋出身の旧日本兵横井庄一氏発見。名古屋市、大気汚染による公害患者を初認定。3/19愛知県教育委員会、48年度より学校群制度導入決定。7/13小原村・藤岡町で集中豪雨により土砂崩れ70名生き埋め。8/1豊明町、市制施行。
 2/札幌オリンピック開催。9/日中共同声明調印。
1973  昭和  48    癸  丑  根室半島沖地震M6.9  3/名鉄挙母線が廃止。4/松平地区の新町名を設定。10/オイルショック起こる。この後狂乱物価招く。石油危機で日本経済は大きな打撃を受ける。企業は減量作戦・人件費などの経費削減をはじめたり、ロボットを導入するなどの技術革新に努める。
 江崎玲於奈氏
ノーベル賞受賞。
 上原専禄(1899-1975) 歴史学者:西洋中世史、元一橋大学学長、『死者・生者』著す。 そこでは死者を金谷追いやろうとする日本の仏教(日蓮宗など)が激しく批判されている。中でも「死者が裁く」という文昌は圧巻。「アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち、その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人、また、アメリカ人が東京空襲で、広島・長崎の原爆で虐殺した日本人、それらはことごとく審判の席に着いているのではないか。そのような死者たちとの幾層にも入りくんだ構造における共闘なしには、執拗でガンコなこの世の政治悪・社会悪の超克は多分不可能であるだろう。」と述べている。(「日本仏教を捉え直す」 放送大学教育振興会 NHK出版) 
 この年に、変動為替相場制となる。
 第四次中東戦争:対立を続けていたイスラエルとアラブ諸国との間に起こる。この時、アラブはイスラエルよりの欧米諸国に対する石油の供給を制限し、原油の価格を大幅に引き上げた(第1次石油危機)。。 
1974 昭和 49 伊豆半島南端地震(M6.9)

 三木武夫(74〜76)
 4/老人福祉センター福寿園完成。5/梅坪ポンプ場稼働。6/六所山キャンプ場に、若者の家完成。7/勤労センター「憩いの家」新館完成。10/葵大橋開通。12/不況対策委員会発足。 3/小野田少尉フィリピンで30年ぶりに救出。10/佐藤栄作ノーベル平和賞受賞。 この年、戦後初めての経済成長率マイナス。技術革新でこれを凌ごうとする。
 90年代までは低いながらも日本経済は安定成長期。
1975    50          上原専禄(1899-1975)没。切要中世史を専門とする歴史学者。
 晩年の文章に「死者・生者」(1973)には、死者を彼方に追いやろうとする日本仏教が厳しく批判されている。田辺元(1885-1962))が「実存句王道」によって死者と神話的で荒うとするに対して、上原の死者論はもっと厳しい。苦しみ、死へと追いやられた死者こそが、社会の不正を告発し、裁くことが出来る。生者は死者の力を借りるというよりは、告発し、裁く死者を受け止め、その手伝いしか出来ない。過去を水に流し、表面的な和解によってでは、本当の未来を築くことは出来ない。死者の思い訴えをどのように受け止めることが出来るのか、それが我々に問われている。・・・と主張した。かつては、否定的にしか見られなかった葬式仏教が、近年死者との関わりという点から再評価されつつある。死者とどのように関わるかは、今日の大きな問題として考え直さなければいけない。 (「日本仏教を捉え直す」 放送大学教育振興会 NHK出版より) 
 第1回線清国首脳会議(フランス・ランブイエ):6カ国の首脳が集まり、石油危機などの経済問題に西側の先進国が協力して当たろうという趣旨。日本からは大平参加。
1976     51         福田赳夫(〜78)  日本、経済不況から脱出し始める。アメリカへの自動車輸出が増え、米国での貿易摩擦が深刻化。
     ロッキード事件発覚 
1978    53        宮城県沖地震   福田首相、日中平和友好条約。  大平正芳(78〜80) 
       
1979     54          国民の意識:経済レベルは皆中程度との意識が強まり、現状を維持したいという願望が強まる(生活保守主義)。
       第2次石油危機:産油国イランで革命。石油の生産が一時ストップする。 東京サミット。
1980    55        鈴木善幸(〜82)  大平首相、衆参ダブル選挙中に急逝。  自動車や鉄鋼の輸出を自主規制。この頃から、日本企業の多国籍化(複数の国にまたがって活動する企業のこと)が進む。人件費の安い国に、特に中国などへ生産拠点を移すようになる。
 イラン・イラク戦争 -1988      以前から国境と人種の違いにより対立のあった両国だが、1979年のイラン革命を契機とし、原理主義の波及を恐れたイラクがイランへの奇襲爆撃を行い開戦。長期化する戦争に、1987年国連保安理事会は即時停戦を呼びかける。イランのホメイニ政権は一時拒絶するも、1988年に停戦を受け入れる。
 イラン革命は、王政から共和制への変革でもあったが、思想面では宗教的原理主義への回帰でもあり、この戦争は国際的なイスラム原理主義拡大の景気ともなった。
1982   57         中曽根康弘(82〜87)  行政改革(電信電話事業の民営化:NTT、日本国有鉄道の民営化:JR)
1985   60         9/財務省・中央銀行総裁会議(G5):ニューヨークのプラザホテルで、米・英・フランス・日本・西ドイツが参加。(アメリカの貿易赤字と財政赤字=双子赤字=を改善するために、ドル安・円高になるよう、各国が為替市場に協調会議するよう決定:プラザ合意)
1986     61          バブル経済  「前川レポート」(86・87)
○  国際収支黒字の現状は「危機的状況」 
○  輸出中心の経済から内需主導型の経済成長が必要 
○   市場原理を基調として、法律で規定し、国内産業を保護することを避ける・・
   関税を撤廃して製品輸入を促進
 流通・金融業の規制撤廃 ー 大規模小売店舗など、外国資本が国内に入りやすくして、国内の内需拡大を図ろうとするもの
  低金利政策などの結果、資金が工場などの設備投資よりも土地や株に大量に流れ込み、バブル経済と呼ばれる時期となる。金ブーム(金箔をうどんにかけてあしらうなど)。金融市場の資金が、利益を求めて不動産や株式への騰貴に流れ込み、不動産の価格や株価が実態以上に高くなった。収入にゆとりのある人々は、海外のリゾート地の不動産などを購入した。国内では,地価の上昇。都市では、マンションなどの建設のために土地の所有者を追い出すための「地上げ」が社会問題になった。
     
         この年、4/26午前11時23分(UTA+3)チェルノブイリ原子力発電所第4号炉制御棒など根本的設計の欠陥、運転員への教育不充分の為に事故。事態が予測できなかった。
1987    62        竹下登(〜89)  この年、日本国有鉄道の民営化:JR。 この年までに、1ドル123円に急上昇。内需拡大政策。消費税の導入。
1989   平成        宇野宗佑(89)・海部俊樹(〜91)
 社会主義国だった東ヨーロッパ諸国で体制変革の動き。 11/ベルリンの壁崩壊。湾岸戦争。株価下落し始める。
 1990           東欧革命おこる。
1991          宮沢喜一(〜93)   バブル経済の崩壊。銀行、融資焦げ付き経営悪化。
 ソヴィエト連邦解体。40年以上続いた東西の冷戦が終わりを告げた。
1993          細川護熙(〜94)  自民党分裂。 非自民政権(55年体制は崩壊した)。
1994          羽田孜(94) 村山富市(〜96)社会党首班  三陸はるか沖地震 自民党、社会党と連立を組んで再度与党側に・・。
1995             戦後50年決議(95):「植民地支配や侵略行為」への反省の念表明。
1996          橋本龍太郎(96〜98)  経済改革「金融ビッグバン」:銀行・証券・保険などの業界で、規制緩和を進めこれまで以上に市場原理を持ち込もうとするもの。
1998           金融ビッグバン  
 アダム・リース(アメリカジョン・ホプキンス大学教授)・暗黒エネルギーの発見 
1999  男女共同参画社会基本法成立・育児支援制度(短時間勤務・フレックスタイム制度・所定外労働の免除・事業所内育児施設・育児に要する経費の援助措置)
2001               小泉純一郎(〜06)内閣  橋本内閣の行った規制緩和路線を一層進める。「改革なくして成長なし」「民間にできることは民間に・・」小泉。郵政事業の民営化法案を可決。国立大学の独立行政法人化。公共事業の削減。
 9/11無差別テロにより、アメリカ・ニューヨークの高層ビル(世界貿易センター)に飛行機が突入した。
2002           グリゴリ・ペレリマン(ロシア)、ポアンカレ予想を証明。:「リッチフローの三次元多様体への応用」 
2003          宮城県沖地震   
2004  日本の出生率1.29人(アメリカを除く先進国のほとんどが2人以下。韓国1.16人=経済が発展するとともに低下。)
 日本のジェンダーエンパワーメント指数0.531(世界で38位)。
 製造業への派遣労働自由化。企業は人件費の割安な派遣労働者を多く使うようになった。
2005           宮城県沖地震   宮城県沖地震、11/宮城県沖津波地震
2008 20          派遣労働者の不安定な生活が社会問題化。 人口1億2808万人。 この年をピークに人口減少化社会に突入。
 アメリカに黒人初の大統領誕生(オバマ)。 
2009    21        米大統領、「核兵器廃絶」を訴える。 
 テキサス大学の 小松英一郎教授:暗黒エネルギーは宇宙全体に占める割合は72.6%だと発表。この論文は、2009年に自然科学の分野で最も多く引用された。(トムソン・ロイター調べ)・・<暗黒エネルギー 約73%  暗黒物質 約23% 銀河や星などの元素 約4%>
2011             3/11午後2時46分東日本大震災津波による被害は桁外れに大きかっただけでなく、原子力発電所の過酷事故。 
                        
                                      
                            前の歴史へ             「世界観」へ
                      
参 考 文 献 参 考 文 献
1 「理科年鑑」 18 「豊田市七州城跡公園」   豊田市
2 中央公論社「日本の歴史」別巻5    19 「松平郷館」   豊田市
3 理科年表1997年版及び気象庁資料 20 「豊田の史跡と文化財」   豊田市教育委員会
4 「図説 愛知県の歴史」 河出書房 21 「豊田の文化財」   豊田市教育委員会
5 「目で見る豊田・加茂の100年」  郷土出版社(1868〜) 22 特別展「川をめぐるくらし」  豊田市郷土資料館
6 「新編 日本史図表」  第一学習社   坂本賞三 監修 23 「その時 歴史は動いた」 NHKTV
7 『日本の歴史』ー「日本」とはなにか   講談社 24 「日本と朝鮮半島 2000年」No.1〜9 NHK
8 「遺跡からのメッセージ ー発掘調査が語る愛知の歴史ー」  中日新聞社 25 「松平町誌」 昭和51年1月20日発行 豊田市教育委員会
9 「県史23 愛知県の歴史」   三鬼清一郎 著   山川出版社 26 「豊田市史」 昭和56年3月31日発行 豊田市 
10 「日本の名山」   作家・文芸評論家 高橋千劔破 MOKU出版社 27 古代世界への旅  Newton別冊   
11 「歎異抄」 梅原猛  講談社文庫 28 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 河出書房 ユヴァル・ノア・ハラリ著   
12 「古寺をゆく」  小学館ウィークリーブック 29 「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社
13 「日本史事典」  岩波書店 30 「日本仏教を捉え直す」 放送大学教育振興会 NHK出版
14 機関誌「かんなび」    愛知県教育関係神職協議会  31 「現代の危機と哲学」 森良一 放送大学教育振興会 NHK出版
15 「豊田市の石造文化財」 市歴史民族調査報告 市教委 2002.3  32 「西田幾太郎 −人間の生涯ということ−」 上田閑照著 岩波新書
16 「国史大事典」 吉川弘文館 国史大事典編集委員会編  33 「哲学・思想を今考える −歴史の中で−」 魚住孝至著 放送大学教育振興会 NHK出版
17 「松平郷」  豊田市