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神社発行の『由来記』に依りますと・・・
 「挙母祭り」の大祭で8台の山車が曳き出されますが、その起源については諸説が存在します。
 記録として確認される最古のものとしては、寛永7年
(1630年)の頃に「飾り車五輛(東町、本町、中町、神明町、西町)と竹生町の笠鉾、それに南町の獅子が出」とあり、また、寛延3年(1750年)には藩主・内藤政苗が南町に対して獅子をやめ飾り車にするように、そして、安永7年(1778年)の記録に北町が飾り車を出し、併せて八輛になった」とあります。
<神社の由来>

 
一千年以上の昔大国主命(おおくにぬしのみこと)の子孫・大賀茂都美命(おおかもずみのみこと)がこの地に住み、、近くの衣川(今の矢作川)で美しい母鴨が小鴨を羽の下に抱いて森へはいると、たちまち神として、ご託宣があり、その後母鴨は遙かに天に登った様子を見たとのことです。ここから、群の名を「賀茂」、この場所を母が挙がる「挙母」と改め、この森に神社を造営し児守大明神として崇められました。以下略 
                ・・・・・神社由来記「挙母神社の由緒」より

  
以下は、写真上でクリックすると、大きな画像が見られます。  

街の隅々まで祭りの雰囲気だ。

山車は、8台。これが挙母神社に集まる

10月16日。山車は街中を巡った。

翌日の17日。神社に集まって・・。

神社から、賑々しく各町に帰る。

人びとが、神社にも集まる。

挙母神社の鳥居をくぐると、・・・

八台の山車に、それぞれの町の若集が

祭りの雰囲気に飲み込まれる。

16時に、一斉に大通りに出て・・

初日

二日目には、各町に帰る。


街を巡る様子。先頭は町の旗を持つ。

紙吹雪。そして砂埃。

神社を出て大通りに出るところ(右)

街の通りには一層ギャラリーが多い。

神社を出る時刻に花火があがった

山車は、各町の歴史がこもっている。

すばらしい彫り芸術だ。

山車には、はっぴ姿の村人がつく。
 若集達のエネルギーと新鮮さが、観衆達の心を清めるようであった。山車は、物静かに、しかし、勇ましく進んで、各町に帰って、解体されて翌年まで待つことになる。
 山車に乗った若集達は、歓声を上げるようなことはなかった。
 殆ど、無言で終始したが、相当量の紙吹雪を播きながら、静かに進んだ。
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