現在の穂積町には二柱の秋葉山があり、一つは「西野」のもの、そしてこの山の麓の小山の頂きに「重田和(しげだわ)」のもである。
ここの岩は、平板が折り重なった様な所に存在する。ここは巴川の「白瀬」と言う集落と「重田和」とを結ぶ生活道沿いである。 秋葉山は通常常夜灯があって、村の目印になっていることが多いが、ここは山の頂上の巨石が秋葉山になっている。 標高は120m、岩の高さは2m余り、長さ12m程の黒々とした岩である。 岩の南側に秋葉山の石標がある。 巴川沿いの集落「西本郷」は、今でも参拝に訪れるようである。 ここの旧地名は、東加茂郡松平町になる。 ○ この付近の尾根には、巨石信仰の跡と思われる岩や山の神が数多くある。麓には白山神社もある。
巴川の神明橋右岸にあたり、ここは昭和48年までは東加茂郡松平町大字山ノ神であった。
祭は、旧暦の11月7日の命日(新暦の12月14日)に、禰宜さんを頼んで祀り行事を行う。 昔は、子どもの集まって土手に穴を開けて物を燃やしたりしたという。
祠と基壇も立派な物で、岩の根元には近くの人たちは家から持ってきたという素焼き製の大きな人形が散在している。
通常の山ノ神は、山の上に石標のみ置かれたものが多い。
足助街道の裏街道と目される道筋の沿線に山ノ神はある。 足助街道は足助を経由して信州へ結ぶ「塩の道」である。 しかし、本街道の難点は途中岡崎市桑原町に「番所」が有って、税を取られた。 更に、江戸時代しばしば馬方と町方との紛争があって、しばしば妨害に出会うことがあったそうな。 そんな理由で、この尾根を通る裏街道がかなり古くから使われた形跡がある。
標高440m程と思われるこの山頂はこの付近で一番高い山である。 沢の堂の民家はおよそ標高300m位の所にあるので、集落からは結構離れたところにあるというわけだ。 そもそも「山ノ神」は、伐採・山菜採り・狩猟・石材採取など、原始時代から山に生きてきた人々の拠り所であったが、神社を建てるほどの大規模なものは無かったという(「銅鐸『祖霊信仰説』」参照)。
国道153号を足助の町から北進して坂道の途中、小学校の横に押しボタン式の信号機があり、ここから北にある寺院が「大鷲院」だ。寺の入り口に「八幡神社」がある。
「八丈岩」には、大きな猫が怒って爪を立てた如く、穴が所々に空いている。これは、「水石」同様に自然界の風化現象によるものと思われる。 岩の反対側に廻ってみると、岩の下が空洞になっていた。空洞は八畳敷き程の土間状の空間になっていて、周囲には3〜4体の石仏が立てられている。 空洞の高さは低く40p〜50p位に見えた。