場所は、巴川沿いの旧足助(あすけ)街道から九久平の滝川沿いに国道301号を300m程東に入った南向きの山腹である。
岩の下が空洞になっていて空洞に弘法さんが、岩の上には白龍大王が祀られている。白龍大王は白蛇を祀ったものだそうだ。 岩のある場所は地元の共有地だそうだ。 岩の大きさは目測で長径10m位。岩の下は二カ所で支えられている。 昔は、大給と長坂の村民が共同で祀っていた。戦前まで、毎年8月1日にお祭りをしたが、今は村人はまったく関与しなくなり、柴田家が専ら他地区の御嶽信者に依頼して祈願し祀っている。 毎年、四月末から五月初めに、岩の手前20mの所に注連縄を張っている。岩には名前がない。
岩洞は内空高さ3m程、奥行き5m位かと思う。原始時代から使われている県内唯一の氏神様かも知れない。 名前の由来についてだが、「エミシの国の女神」菊池展明著(風淋堂)によると、福島県では「オシラサマ」のことを「オシンメイサマ」と呼ぶ。オシラサマは元来伊勢地方から生じた天白神(風水の神)が養蚕の神、穀物の神となって東北に移ったものである。東北に居ついたオシラサマは、家の守り神、お乳の神様、境界の神様、狩りの神、オッカナイ神、子ども好きな神などと多様な性格を持った神様として崇められたという。 一般的には、『天地神明に誓う。』と言う時の”神明”で、広く神々のこと、いわゆる神さんのこと。その次の意味としては、天照大御神のこととされる。 さて、シンメイさんの裏側に廻ってみると、一段と高くなっていてそこには”鏡岩”のような岩がある。地元の人に聞いても知っている人はいなかったが、他の地区同様に、古い伝説や信仰は徐々に薄らいでいるように思う。
江戸時代の馬宿『おくで』には、「おりょう」という馬の世話の上手な女衆(娘)が居て、馬方達に大層可愛がられた。馬の世話というのは、餌や馬体の手入れの他、お産の手助け、病気の介抱などである。 元々は今の「おりゅうさん」の場所に馬頭観音と弁財天が祀ってあった。当時の馬方達は、そこをお参りしていた。 いつしか「おりょう」という当時評判の娘の名前でここを呼ぶようになったわけである。 ここは、大正二年に小田木の村に寄付され、以後毎年七月十六日にお参りをしているという。 「おりゅうさん」の岩群(6個ほどの)に生えている杉は樹齢4〜5百年になろうと思われるが、伊勢湾台風で一本が倒れて、今は一本のみとなった。 大杉の根元には、「明和三年」と彫られた石仏と灯籠が一基ある。 岩群は大きなものでは15t程ありそうで、縞状の変成岩でこの辺りの基盤岩とは異なる。何処かから運ばれてきたものであろうか。下流1Km程の山に同じような岩があるそうである。
加茂郡西国三十四観音の一つ。 十一面観音が本尊である。 800tは有ろうかと思われる巨岩は、わずか二カ所の岩の先端に支えられている。 地面と岩の空間は2m程で天井とほとんど水平になっている。 長さは南北方向に13m程で北から稲荷・千手観音・岩屋観音と三部屋に分かれている。 岩の東側には「安勝院」という明治になって建てられた無住の寺がある。十七年ごとに本尊がご開帳される。
石垣の北端が寺の門になっている。門には樹齢4〜5百年ほどと思われる栂の木の大木がそびえ、根本には鎌倉時代のものかと思われる五輪塔10体程佇むように立っていた。 十七年ごとにお顔を見せられる観音様は、丈が50pくらい。向かって右に聖観音。 左は本尊の十一面観音、その前にもう一体の十一面観音が鎮座している。 ご本尊は、行基菩薩作との伝説がある。
足助の伝説集にもあるように、ここは「鬼の岩谷」と称され、『鬼が住んでいる』と、恐れられた所である。 この岩谷の上を岡崎から松平を経て足助町へ繋がる道筋があるが、昔は恐る恐る通ったことであろう。 この街道は、足助街道の裏街道と目されるもので、江戸期の長きにわたる中馬紛争と番所を避けるための通路であった。 岡崎城から渡通津(わつず)を経て松平の高月院までは、家康一族の祖先の墓地へお参りするための「殿さん街道(松平往還)」と重なるが、その先は、六所神社→真垣内(まながいと)→国閑(かいご)→岩谷→四ツ松→足助と結ぶ道であった。
県道を登り、大きなヘアピンカーブを過ぎて最初の家が二軒並んでいる。 そこから東に入る。 幅・奥行き共に10m程の岩屋である。よくぞ崩れ落ちないものだと思わせる。 お堂は欅製で立派なものだ。岩屋の外の建物の西に目通り径2mは有ろうかと思われる大杉がある。 岩屋内のお堂には不動尊が祀られその周囲には三十三観音が鎮座する。 岩屋の前は細々と滝が流れ落ちる。滝の前には参拝の人々が泊まり籠もったのか「籠り堂」と呼ばれる建物もある。 不動明王が祀られ、滝は「不動滝」と称されていた。石仏の中には役行者(えんのぎょうじゃ)もあるので、山伏等の修行の場でもあったのであろう。 『手を叩くと滝の水量が増す』とか『渕(ふち)の主である大蛇が現れるとき、滝は金色に輝き壮観である』との伝説もある。