1560 |
正親町 |
足利義輝 |
永禄 |
3 |
庚 |
申 |
桶狭間の戦い。広瀬城 |
広瀬城、松平元康は織田信長に属する広瀬、梅ケ坪、挙母の諸城を攻め、2/20広瀬城落城、高清は一族とともに死す。『松平記』 5/19桶狭間(名古屋市東南部から豊明市西部一帯)の戦い。織田信長、本隊2千余名の奇襲戦法により西進する2千8百の大軍今川義元を倒す。松平元康(後の家康19才)、その日の早朝、今川軍の先陣として三河衆を率い、大高城(名古屋市緑区)に兵糧を入れ、織田方の鷲津・丸根両砦を攻め落とす。信長は、南下して桶狭間に待機中の今川軍本陣を側面から急襲し義元を討ち取る。今川勢総崩れで西三河から撤退。元康、10年ぶりに岡崎城へ帰る。 |
1561 |
永禄 |
4 |
辛 |
酉 |
信長の功績@兵・農分離により、いつでも戦い可能・農産物は増収A身分・家柄に拘らず実力を重視。秀吉・光秀ら。 |
元康、刈谷の水野元信の仲介により、信長と和睦。幡豆郡の西条(西尾)城代牧野氏を逐い、東条(幡豆郡吉良町)の吉良氏を降伏させる。信長は、加茂郡に侵入し矢作川以西の西部を支配下に治めた。尾張側に属したこの地域は、三河から切り離されて高橋郡と呼ばれるようになった。(この地は、鎌倉期から中条氏が地頭を務めた高橋荘があった。) 衣城(七州城)、佐久間信盛の支配となる。=中条常隆、織田氏により敗走。 長尾景虎、関東管領となり上杉氏を嗣ぐ。 川中島の戦い。 |
1562 |
永禄 |
5 |
壬 |
戌 |
清洲同盟 |
1/15織田信長、松平元康と清洲で盟約を結ぶ(清洲同盟)。元康、今川氏とは断交。合戦後、三河における今川勢力が駆逐されると両者による領国支配は決定的となった。2/信長、尾張鋳物師水野太郎左右衛門に特権を与え、他国からの鉄製品移入を禁止。 |
1563 |
永禄 |
6 |
癸 |
亥 |
家康ほぼ三河を統一 |
9 三河三か寺(安城市野寺の本證寺、佐佐木の上宮寺、針崎の勝鬘寺)を中心に三河一向一揆おこる。 7織田信長、居城を清洲から小牧山城へ移す。この年家康ほぼ三河を統一する。寺部城:寺部町1丁目、在地の小豪族鈴木氏は、ある時は自立し、ある時は織田・松平に属して保身を図っていたが、この年松平元康に攻められた。『東照軍鑑』この時、信光寺(豊田市)も加担し針崎にて合戦。家康のとがめを恐れて信州へ逃れたが家康の祖先松平家の由緒の寺であるとのことで、許されて無事であった。 |
1564 |
永禄 |
7 |
甲 |
子 |
三河一向一揆 |
2三河一向一揆、家康と和睦。後家康、三河本願寺勢力の中心寺院を破壊する。足助の鈴木氏(足助7城築く)松平勢の猛攻にあい元康(家康)の配下に属す。滝脇松平氏三代乗高、この時軍功あり。御船城、秋尾三の乱に賊の為に城郭は焼かれ城主三宅義高は死す。『千鳥寺旧記』より。=御船、亀首、加納の荘園を領す。『猿投村誌:大正4年西加茂郡教育会』より。 |