第10回(平成10年度)松下視聴覚教育研究賞理事長賞受賞
感じる心,学ぶ力を育む総合的な学習をめざして
〜マルチメディアと映像資料双方の特性を生かした学習の工夫〜

1 はじめに

「空はこんなに青いものだったのか

テレビ会議システムの画面に映し出された友利先生の言葉に,すべての子供が一斉に反応した。

「戦争が終わった時にどんなことを思いましたか?」

 T男のこの質問に,友利先生が答えられたものだった。昭和8年生まれの友利先生がおられる所は1,500kmも離れた沖縄県宮古島の平良市立北小学校のコンピュータ室である。おじいさん・おばあさんが体験した戦争について,もっと知りたい。いろいろ聞きたいという子供たちの欲求を,時間と空間を超えたテレビ会議システムでの遠隔授業が満たした一こまである。

 本格的なマルチメディア社会が到来し,教育現場もデジタル化の波によって,マルチメディアパソコンを介して,多くのメディアを集中・分散化できるように変貌しつつある。子供たちが社会事象を追究するプロセスも変わってきた。さらに,「総合的な学習」が学校教育の中で大きな位置を占めるようになり,これまでの教科教育とは明らかに違うアプローチで子供たちが学習していくことを,多くの学校が模索し始めている。

 しかし,マルチメディア社会は情報の共有化を優先するあまり,データ第一主義に陥りかねないと考える。果たして,時代を担う子供たちに情報の処理のみを求めてよいのだろうか。昨今の情勢から「心の教育」が求められている。メディアを生かすためには,本来メディアの中の人間臭さやメディアを発信する人々の思いさえも感じ取ることが必要である。ともすれば無機質なものととらえがちなメディアに命を吹き込み,自分自身の思いを込めたメディアの発信者となるよう,子供たちを支援していきたい。そのためには,これまでの教育現場で活用されてきた映像資料,特にストーリー性,テーマ性のあるビデオ・映画などを使い,マルチメディアの資料性とともに生かすことが重要であると考える。本研究において,戦争というぎりぎりの状況の中で人々が精一杯生きてきた姿に着目し,子供たちが豊かな心情を自ら育てていく過程を求めた。

 

2 主題設定の理由と研究仮説

 本校は豊田市北部に位置し,愛知県を代表する矢作川が学区の中を流れている。ここ数年,矢作川を中心とした環境教育に取り組み,「いしがせ学習」という名前を冠した総合的な学習のあり方を研究してきた。平成8年度からは「こねっとプラン」参加校として,テレビ会議システムやインターネットを学校現場でどのように活用することができるかを研究している。環境教育を進めるうえで,子供たち自身が地域に目を向け,文字通り「足元からの環境教育」として,気づき・学び・実践していく姿を,私たちは求めてきた。地域の歴史をとらえ,地域の人々がどのように生きてきたかを知ることは,これから自分たちがここでどのように生きていくか考えることにつながり,地域=郷土を思う心や,守り,働きかけていこうという意欲が育ってくるであろう。

 「戦争って,日本は負けてばっかりだったの?」「戦争って暗いからきらい」

 戦争について子供たちに尋ねるとこんな答えが返ってきた。今夏で戦後53年目を迎えるわけで,子供たちにとって当然の反応である。

 この学級を担任して半年。学級のまとまりと共に社会科の授業に限らず,子供たちの飾らない言葉で話し合うことができるようになってきた。国語科の物語文「海のいのち」では,立松和平の文章の中から太一の父親や与平という老人の死を読み取り,自分たちの考える「死」について話し合うことができた。世間一般の風潮で死を軽んずる点があり,子供たちも冗談半分に死を扱うことがある。本単元では,自分の身近なところにいる祖父母が体験した「死ぬかもしれない」という状況を真剣に考えさせたいと考えた。そして,戦争が,家族という最も基本的で最小の社会さえも崩壊させるだけの恐ろしさをもったものであり,決してゲーム感覚で考えてはならないことに気づかせたい。そのためには,子供たちの思考を高め,直接心に訴えかける教材(メディア)に触れさせることが重要であると考えた。

 

3 研究の実践―6年総合的な学習「おじいさん・おばあさんの見た戦争」―

 (1) 本校の総合的な学習「いしがせ学習」

 全長117kmで全国第35位の矢作川を中心とした環境教育にあたって,単に矢作川を学ぶだけでなく,矢作川を巡る人々の関わり,自然,そして環境問題全般へと子供たちの思考を誘うことが求められる。そして,それは各教科の枠組みを越えて横断的で総合的なものとすることにより,子供たち自身が環境に対する多様な価値を見出し,自分自身がどう考え,環境に関わっていくかを決定できる力を生み出す。そこで,本校の環境についての総合的な学習を「いしがせ学習」と名づけた。「いしがせ」とは,本校の旧名が「石下瀬小学校」だったことによる。

 いしがせ学習の特徴の一つにマルチメディアパソコン,テレビ会議システム,インターネットなどの視聴覚・情報機器の活用が挙げられる。子供たちが人々との関わりの中で環境について学習したことは,そのまま情報発信され,より多くの人々への情報となる。また,そうした人々の中から新たな問題提起があり,さらに学習が深化する。これまで学校内で学習が完結していたものが,視聴覚・情報機器を介して,大きく世界に広がった「スパイラル的な学習」となる。

 (2) 教師の願い…歴史事象を広角的にとらえる子供たちにしたい

 単元「戦争の時代を生きた人々」を学習するにあたり,単元名を「おじいさん・おばあさんの見た戦争」に変え,東広瀬の地で現在も生きている祖父母が戦争をどのように体験し,どう感じ,今ではどう思っているのかを中心にしたいと考えた。ただし,戦争についてはさまざまな反応があり,孫のために戦争を語り伝えようという場合が最もよいのだが,あまりにもつらい体験や事実をひたすら「封印」したい場合も多い。そこで,今回は,自作ビデオ教材「昭和20年8月14日〜挙母のあの夏〜」の視聴をきっかけにし,あの戦争が終結した8月15日前後を祖父母がどこで,どのように迎え,どう感じたかに絞って追究させることにした。期日を終戦前後に限定することによって,子供たちの調べも焦点化され,より具体的な調べが可能になると期待した。

 これまでの歴史学習では,資料をもとに話し合うことが中心であったのに対し,戦争に関する学習では,祖父母を中心に子供たちの周りには戦争の直接・間接の経験者がいて,それらの人々から体験を聞いたり,実物を見せてもらったりすることができる。しかし,これら経験者の高齢化に伴って,貴重な体験を伝えていくことが年々難しくなっている。子供たちの祖父母についても次第に戦後世代へと移行しつつある状況である。こうした状況の中で,主体的に学習に取り組むためには,子供たちの心情を揺さぶり,自分自身の考えを持たせるような教材を活用することが大切である。また,歴史事象に対する総合的で広角的な見方を育てたいと考える。今回は,第12時において本校の交流・共同学習協力校の沖縄県宮古島の平良市立北小学校とテレビ会議システムを接続し,宮古島に住む老人に戦争の体験を話していただくことを計画した。沖縄本島の地上戦のような状況ではないが,広瀬の老人とは違った体験を子供たちは聞き出すことができると思った。子供たちの祖父母も全国各地でいろいろな体験をしており,比較することによって戦争をさまざまな点から見つめられると考えたのである。

 (3)単元の流れ・子供たちの追究と考察

  ア 自作ビデオ教材「昭和20年8月14日〜挙母のあの夏〜」を出発点として

 単元の導入にあたって,自作ビデオ教材「昭和20年8月14日〜挙母のあの夏〜」を活用した。終戦前日に行われたトヨタ自動車への3個の爆弾が原爆の模擬弾であって,広島の原爆と無関係ではないことを知り,一層広島の原爆が子供たちにとって身近なものになった。

 視聴した後,子供たちの視聴ノートに記された言葉から反応を見てみると,「豊田市に爆撃があったこと」「爆撃によって犠牲になった人がいたこと」「どうして戦争をしたのか」という言葉が多かった。ただし,まだこの段階では,戦争の実態についての子供たちの思いはほとんどない状態で,「戦争はいやだ」「死んだ人はかわいそうだ」という感想が聞かれた程度だった。これは,5年生の時までの戦争についての学習は,国語科の教材文や社会科で地域の歴史を学習した時の体験によるものがほとんどであり,歴史事象としてとらえるまでには至っていないことによる。本自作ビデオ教材は,2名の老人の戦争体験をインタビューし,それを軸として構成したものである。子供たちの戦争についての思いは十分ではないが,この教材を通して,どのように戦争についてアプローチすればよいか,自らの学習に対するある程度の見通しを持たせることはできた。実際,子供たちは,昭和20年8月14日前後という時間的な区切りを意識して追究を開始した。

自作ビデオ教材「昭和20年8月14日〜挙母のあの夏〜」

 太平洋戦争中,主だった爆撃のなかった豊田市(旧挙母町)に終戦前日の8月14日に,B‐29による爆撃があり,3個の爆弾が落とされた。数人の死者とトヨタ自動車の工場の破壊で終わったが,そのときの人々の様子や思いを2人の老人の言葉でクローズアップする。子供たちに,太平洋戦争が身近なところにも大きくかかわっていたことを知らせることを目的として制作した。

 

   イ 映画「少年時代」の「しんじ」と「大原君」

      ―映画の主人公の中に時代の雰囲気をとらえよう―

 戦争について追究をはじめた子供たちが,戦争という歴史事象を最も身近な歴史事象としてとらえるために,自分たちの祖父母にとって戦争がどんなものだったかという点が重要となる。子供たちにとって都合のよいことに,自分たちの祖父母が終戦を迎えた年令と自分たちの年令が同じか,その前後であるという接点がある。この接点を手がかりにすれば,子供たちが「戦争」という事象を受身ではなく,自分自身の追究問題として考えることができるであろう。

 戦争を題材とした映像は数多くあるが,今回はその中で映画「少年時代」を共同視聴した。戦争を特に「銃後」という視点で描いたものであり,また視点が子供たちの目の高さで描かれていることも,子供たちの追究意欲を刺激するものであると思ったからである。

実際,次のグラフからわかるように,子供たちは戦争生活のさまざまな事象に目を向けた。銃後の人々の生活として,「電球に黒い布をかぶせていたこと」「疎開のつらさ,悲惨さ」「東京大空襲」「お国のためとはどういうことか」など具体的な事象に注目している。その中でも主人公「しんじ」と級長である「大原君」の友情に子供たちは強く感動したようだ。このことから,前段階の感想と比較すると, 子供たちは,戦時下の子供たちの行動と思考を映像の中から読み取り,自分なりにとらえることができるようになったと言えよう。


映画「少年時代」

戦争中から終戦直後までの富山県の漁村を舞台にした映画。主人公の「しんじ」は,東京から来た疎開児童で,村の国民学校の子供たちと彼との日常的な生活を通して,次第に戦争一色に変化していく時代を映像化したものである。戦争が確実に人々の生活に影を落としていくことを,さまざまなシーンとカット,登場人物の言葉によって子供たちに訴えかける。                (篠田正浩監督作品)

 

   ウ 「私のおばあさんは満州から帰る途中でした」8月14日前後についての追究

「私のおばあさんは満州から帰る途中でした」

 Y子の言葉に驚いた。第8時,子供たちが追究してきたおじいさんとおばあさんの戦争体験についての情報交流を行った。これまで何度も6年生を担任し,戦争についての学習を進めてきたが,Y子の祖母のような体験を取り上げた子供はいなかった。Y子の話はなおも続く。「満州というのは,今の中国の北東にあった国で,戦争が終わる間際におばあちゃんの一家は,そこから日本に帰ってきたそうです」「歩いているところを後ろから敵にやりのようなもので刺されたと教えてくれました」この種の体験はなかなか口にされることはないのだが,Y子の追究意欲から,おばあさんは満州から引きあげてくる時の体験を話して聞かせてくださったようだ。Y子の追究を支援するために,当初予定していなかったNHK教育テレビの「歴史たんけん〜開拓団の道〜」の視聴を入れた。満州での人々の生活と中国の人々との関わりを視聴し,広大な土地に夢を託した人々が苦労して開拓した土地を戦争によって奪われ,逃げながら日本をめざす様子に子供たちは釘づけとなった。Y子の祖母の体験は,この視聴により子供たちの中に強く根づくことになった。

 

   エ 友利先生との出会い―テレビ会議システムでの遠隔授業

 第12時,テレビ会議システムを使った遠隔授業を行った。本学級の子供たちにとって,テレビ会議システムは4年生のときから活用している

通信ツールの1つである。4年生の時は,専ら北海道占冠村立トマム小中学校3・4年生との「交流学習」を行った。それは,社会科の単元「寒い土地の人々のくらし」でお互いの学校の様子を紹介しあうものであった。5年生では,豊田市の自動車産業についての質問が全国各地の小学校から寄せられ,その質問に答える形で自分たちの自動車産業についての学習が進む「共同学習」の形をとった。

 今回は,豊田市からおよそ1,500kmも離れている沖縄県の宮古島の平良市立北小学校からのテレビ会議システムでの遠隔授業を行った。講師については,前もって北小学校にお願いをし,人選を進めていただいた。その結果,友利恵勇先生というすばらしい先生から,沖縄や宮古島での戦争の様子・実際に体験したことなどを両校の子供たちが同時に聞くことができた。また,それは「交流学習」や「共同学習」とは違った深い感動を子供たちとともに,担任である私まで受ける結果となった。

★児童の感想 
 先日は,いろいろなことを教えてくださり,どうもありがとうございました。戦争はとてもこわいですね。私は,友利先生のお話を聞いて,とても感動しました。私は,今の時代に生まれてほんとうに幸せです。食べ物も十分にあるし,飛行機の音にもびくつかないですみます。何より,死人が1日に数人しかいないこと,国民を虫けら同然に思っている人が少ないこと,憲法で日本国は戦争をしないよう決められていることというのがとても大切だと思います。先日,友利先生が話してくださったことは,次の世代へ受けついでいかなければならないことで,もう2度と戦争をやっては行けないという,世間への訴えだったと思います。とても貴重な体験を話してくださり,ほんとうにありがとうございました。(Y子) 
 714()4時間目の交流学習でいろいろなことを教えてくださり,ありがとうございました。おかげで宮古島での戦争の様子がよくわかり,勉強になりました。東広瀬小学校では,九州や新潟,北海道などに自分のおじいちゃんやおばあちゃんがいる友だちがいます。それに,友利先生のお話を聞いて,豊田市と宮古島の戦争の様子を比べることができました。友利先生は,サイレンが鳴って戦争とは何だろうと戦争が始まったと言われました。防空ごうに入ったときのうす暗くてこわかったことも話されました。先生に聞いた話によると,火炎放射器というものがあって,防 空ごうの奥まで焼きつくしたそうで,おそろしいなあとぼくも思いました。また,お会いして話を聞きたいと思います。(U男)

 

 



   オ 自分の思いを高める発展学習―映画「ヒロシマ・母たちの祈り」

 「総合的な学習」として地域の戦争を考え,さらに宮古島との戦争の様子を聞いて,子供たちは戦争についての自分なりの思いを持つようになった。その思いをさらに高め,心情化するために,国語科の教材文「ヒロシマのうた」の読み取りを行った。そして,読み取りの発展学習として,映画「ヒロシマ・母たちの祈り」を共同視聴した。実写による被爆者の様子に,しばらく子供たちは声も出なかった。女優の杉村春子の語りも合わさって,戦争というものの現実を「直視」したからである。

 

   カ 自分たちの思いを発信しよう

 インターネットやテレビ会議などのマルチメディアをとり入れた学習の中で,大きな位置を占めるのが情報発信能力である。

 今回は,学習のまとめの段階に自分たちが学習してきた戦争について,ホームページを作って発信することにした。

子供たちが学習した成果を来年の6年生に「財産」として伝えようという視点で資料づくりを行った。画用紙に自分の調べた事柄をまとめ,デジタルカメラで撮影した画像なども添付した上でさらにそれをホームページ上に掲載し,公開した。子供たちの表現を重視するあまり,中には何を伝えたいのかあいまいなものまでそのまま掲載されているが,子供たちにとっては自分の学習成果が目に見えるということで大変満足したようである。感想のメールを送ってもらえたらよいという意見も出て,メール欄も作成した。

 子供たちのページに加えて,友利先生へのお礼の手紙も掲載した。このことにより,人との関わりの中で学習を進め,自分の感想を確実に相手に伝える気持ちと責任感が育った。ややもすると,自分たちの学習だけで完結してしまうことが多いのだが,自らの学習の成果を公開することが子供たち一人一人の視野を広くし,その体験が次の学習活動に生きると思う。

 

 

 



   キ A子とB男の追究-子供たちの輝く目に‐

 代表委員会副議長を務めるA子は,以前から新聞の記事やニュースの報道などを見て,朝のスピーチで級友に解説して聞かせたり,自分の考えを述べたりしてきた。

 本単元の導入で使った自作ビデオ教材「昭和20年8月14日〜挙母のあの夏〜」の視聴後の感想では,戦争によって人々が受ける苦しみや悲しみを取り上げ,映画「少年時代」を視聴して,一層深くその点をとらえようとし,疎開について追究することを個人の問題として設定していた。また,主人公である「しんじ」と「大原君」の友情に感動していた。映画の中で,出征兵士を見送る人が必ずしも平常心で見送っていなかったのではないかと感想の中で記していた。

 今回の学習を通して,資料(メディア)を重ねることによって自分の視点が焦点化し,級友との話し合いによって自他の考えが高まっていくことを実感した。今後も,話し合いの前に彼女がどういう点を押していきたいのかを聞き,必要に応じて参考となる資料を提示し,また,常に自分の視点・考えをはっきりさせて話し合うように支援したい。

 B男は,4月になって社会科で歴史を学習し始めてから,歴史を学習することがとても好きになった子である。それまでの彼は,自分から進んで調べ学習をしたり,他人の前で話したりすることが苦手な子であった。しかし,彼の自宅は旧家で,自宅の蔵には室町時代や江戸時代から伝えられたさまざまな文化財が大きく残っている。家の人からそのいわれを聞いたり,実物を見たりするうちに歴史への興味・関心が高まってきたようである。彼が思いを持って,自分の考えをみんなの前で表現できたらという願いも今回の研究の中で持ちつづけた点である。彼にとっては,単元「おじいさん・おばあさんの見た戦争」は,歴史を調べ,実物を見ることが楽しくなってきた段階から,自分はどのように思ったかを話す段階へと変わっていく契機となったと思う。彼は,導入において視聴した自作ビデオ教材「昭和20年8月14日〜挙母のあの夏〜」において,食い入るような目で画面を見ていた。

 視聴後の彼のノートには,「びっくりしました。豊田市でも何人かの人が爆撃でなくなっていたということなので,家に帰ってからおじいさんに聞いてみたいです」と記されていた。その後,彼は個人の追究問題として「戦争のころの暮らし」を設定した。おじいさんが新潟県の長岡市で軍需工場に勤務していた折にうけたアメリカ軍の爆撃の様子を話してもらったと,しばらくしてうれしそうに話してくれた。「新潟と富山って近いよ」このことばを聞いた途端,彼が映画「少年時代」の舞台設定が富山であることを覚えていて,比較しようとしていることに気づいた。映画「少年時代」に富山の爆撃の様子が描かれていて,おなじ日本海側で爆撃を受けた長岡市の様子が気になったようである。「アメリカと戦争をしていたのに,どうして太平洋側でなく,日本海側も爆撃されたんだろう」と疑問を持つに至った。これまで与えられた課題に自分なりに答えるに過ぎなかった彼が,自分から進んで追究を始め,追究を楽しんでいるようにも思えた。映画の長いストーリーをつぶさに見,自分の考えに友達がコメントしてくれたときの彼の誇らしげな姿がとても印象的であった。

 

4 成果と今後の課題

 (1) 子供たちの追究とメディアについて

 年間計画では,戦争に関する学習は2学期に行う予定であった。今回は,時期を早めて7月のはじめに行った。子供たちの共通問題として,昭和20年8月14日前後のおじいさんとおばあさんの体験を追いかけるためには,できるだけ8月14日に近い時期がよいと考えた結果である。そのうえ,テレビや新聞などのマスメディアは8月15日以降よりも以前の方が番組や記事の量も内容も充実している。当然,子供たちが自分の追究に生かす資料とすることも可能である。

(2) 総合的な学習と教師の支援について

 国語科の物語文を取り入れたり,さまざまなメディアを重ねたりしながら追究を進める「総合的な学習」の形をとった。映像の共同視聴→個人の追究問題設定→多メディアによる追究・心情の深化→学習のまとめ・情報の発信という一連のプロセスで進めてきたが,子供たちの情報リテラシーを高めるためには,いろいろな手法を取り入れた学習過程をとる必要がある。子供たちに映像とどのように出会わせるか。どのような映像が子供たちに総合的な学習の根幹となるのか。マルチメディア中心の学習に映画やビデオ教材などの映像を重ねたことにより,総合的な学習のどの面で効果があったのか整理していかなければならない点である。子供たちの心情面と知識としての歴史事象との融合が求められ,そこに「総合的な」学習のスタイルが見出せるはずである。総合的な学習として,戦争という歴史事象をもとに,地域に目を向け,地域の人々との関わりを深めることと,情報教育としてのねらいとの関連を今後蓄積,検討していかなければならない。

(3)メディアを生かす子供たちに

 これまでの成果として,以下の点があげられる。

 また,今後の課題として以下の点があげられる。

 コラボレーション,テレビ会議システムやインターネットなどに,子供たちの学習の新たな方向が見出される。お互いの顔を見て同時に話し合い,問題を一つ一つ協力して解決していく,ここに新しい教育の一つの形を感じる。しかし,子供たちの追究を支援する上で映画やビデオなど映像メディアを効果的に学習過程に生かすことも今更ながら重要である。感じる心,学ぶ力を育む学習過程について,今後も実践を進めたいと思う。

「松下視聴覚教育研究財団」のページへ


表紙にもどります