1010日(火)

14:00過ぎ 五ヶ丘出発

15:30  名古屋駅到着・集合

19:20  土浦駅到着後,駅東口の土浦第一ホテルへ。

土浦駅には本当に裏切られた。昔の豊田市駅みたいに8時にもなると,飲んで食べるところがほとんどない。悲しいことにわれわれ愛知からの4人は,駅ビルの5階までとぼとぼと階段を上った。当然帰りも徒歩。

 21:15からのNHK「プロジェクトX」を見た。前週の続きで,豊田商事問題での中坊弁護士らの被害者救済の様子を感動的に紹介していた。多くの弁護士や法律事務所関係者がかかわっていたことを初めて知った。あのオウム真理教による坂本一家惨殺事件で殺された坂本弁護士の奥さんも,実は被害者を支えるために力を尽くした一人だった。この時点で,坂本弁護士はまだ司法試験への挑戦中だったそうで,彼女の支えなくしては,坂本一家は成り立たなかったのである。感動よりも感謝である。

24:00就寝

 

1011日(水)

いよいよ筑波入り。土浦駅からタクシーで国立教育会館学校教育研修所まで5060円。関東平野は本当にどこまでもなだらかな土地である。住んでみたいとは思えない。途中,筑波大学のキャンパスを右に見ながらタクシーは進む。右にJR関東バスの貸切が走る。どう見ても教員。表示を見ると,研修所の札があった。この仕事をやっていると,同業者が本当によく分かる。ほとんど動物的な勘である。まして,研修参加者の特徴としては,大きなカバンを持ち,逆の手にはパソコンバッグというスタイルが挙げられる。こんな景色が土浦周辺では,毎年8回も見られるのだ。

研修所では受付を済ませると,部屋へ入室。予想通り,第1宿泊棟だった。古田先生は2回だった。鈴木先生は第2宿泊棟、ツインルームだ。なんと舩橋先生は,第3宿泊棟になった。特別な部屋で校長・教頭クラスが泊まる部屋と聞いていた。その証拠にトイレが付いている。

10:40から午前中,オリエンテーションを受ける。終了後荷物を受け取りに研修生プラザに行った。膨大な量の荷物が積まれていた。衣類など3個は受領したが,10日午後に送ったEPSONのプリンタはまだ届いていなかった。やっぱり郵便局よりもクロネコの方が速かったか。昼食は荷物を片付けてから行ったため,すでに完売したメニューもあった。焼き鯖の定食。まあまあの味。

午後ははじめての講義。文部省初等中等局主任視学官の江田稔先生から教育改革についての話を聞いた。教育課程審議会が数日前に出した,「中間まとめ」について触れられたのが印象的であった。その後,記念写真撮影とGKK入会の案内。

夕食までにコンビニでガスボンベと天然水を購入。ウコン茶を沸かして飲む。今回の私的な課題の一つはできるだけ減量することである。ただし死なないように・・・。そのコンビニの横にあった「マグロ一番」という店に行った。何の店かしっかり確認せず,愛知の3人に紹介して行ってみたところ,実は回転寿司だった。ネタは結構よかった。豊田あたりでは出ない魚もここでは食べられる。

8時から3階の西側半分のフロアーリーダーを決める集まりに出る。みんなの年齢が結構若いのに驚く。38〜39歳が主流であろうか。42歳はだれもいなかった。ただし,40や41でも明らかに自分よりも年をとっているように見える人が多いのも驚きであった。長と名のつくものには,学習班でも生活班でもならなかった。少し運がいいなと思った。

その後,風呂へ。もうすでに談話室では酒盛りが始まっているが,今夜は洗濯をしたいので参加せず。忘れ物に気づいて,部屋から風呂まで3往復もしてしまった。洗濯は全自動なので楽。乾燥機も付いているが,両方で2時間もかかってしまうのには,少々不満であった。

メールをチェックして就寝。

 

1012日(木)

7時起床。すぐにJOG&WALK。普段やっていないのに,こういう時はやらねばと思うところが小市民か。薬局を探す目的もあって,往復30分程度の軽い運動であった。そう言えば,昨日荷物を運ぶときに使って以来,エレベーターを使っていない。

午前中はオリエンテーション(2)と講義があった。講師のコラムニスト金平敬之助先生の話術にぐいぐいと引きつけられていった。ユーモアのセンスや間の取り方など,全くのプロである。最近の芸人に見せてやりたいほどのものであった。先生の根底にあるのは,人に対する思いやりである。言葉やしぐさで相手を幸せな気分にしてあげられるということである。それは,何も恋人や妻や子だけでなく,私たち教師の目の前にいる児童・生徒たちのためにでもあるのだ。

昼食は親子どんぶり。

午後からは防衛大学校の教授,飯田健一先生の講義。21世紀の日本の外交について概説してくださった。はじめのうちは一般論でボーッと聞いていたが,後半になってアメリカ合衆国やEUのこと,北朝鮮のことなどが出てきて,集中して話を聞くことができた。特に,自分としてはEU200211日からの完全なる形の通貨統合についての話が興味深かった。

その後,第1回の班別協議会。24人が一堂に会して,自己紹介とさまざまな分担を行った。明日以降がまた楽しみである。

夜,愛知県御用達の居酒屋「桂」に行く。店の女将さんはとにかくすごい。過去にきた先生のことをよく覚えている。とは言ってもすべてを覚えているわけではないが・・・。食べ物は美味。秋刀魚とどて煮のようなものが出た。憎いことに,赤味噌の味噌汁をさっと出してくれた。まさに,感謝!!

8時からフロアの連絡会があった。16日の月曜日に飲み会をやるとのこと。12時過ぎ就寝。

 

1013日(金)

 朝は雨。昨日と違うコースで走ろうと思ったら,足がピキッと痛くなった。今日はこの足を労わりながら過ごす羽目になった。

 今日は,自分が今まで視聴覚だけをやってきた段階から次の段階へと否が応でも進まなければならないことを知った。教育法規を自分が学ぶことになるとは,思ってもいなかった。自分でできるのだろうかという不安がよぎった。以前,羽田指導主事が「大変な研修だからな」と言われたことの意味が今になって分かった。ここにいる297名が同じことを今思っているのであろうか。

 午前中の教育法規の講義は,今後続く教育法規や学校運営に関する演習についての概論なのだ。講師の菱村先生は物腰が柔らかくて,2時間半の講義でも苦痛ではなかった。先生は,法規についての学習はケーススタディが大切だと言われた。今日,取り上げられたケースは以下の通りである。

     新学習指導要領の変更点

     不登校児童・生徒の進級認定に関する問題

     いじめに関する学校のさまざまな義務

     いじめを行う子への出席停止の問題

     体罰に関する問題と暴力をふるう児童生徒に対する教師の対応の問題

     学校行事での安全確保の問題

 午後は,教室での人間関係を作るためのグループ・エンカウンターの手法を取り入れた研修。A150名がまず行い,その間B班は第2回の班別協議会を行った。食堂の3階にあるレセプションホールに体操のできる服装で集合。準備運動の後,以下のように行った。本来ならば,それぞれのエクササイズの後に,シェアリング(振り返り・分かち合い)と自己評価・相互評価が必要であるが,今回は1時間半という短い時間のため,割愛した。

@自由歩行 A友達集め B人間知恵の輪 C信頼の後ろ倒れ

Dほめほめシャワー60秒 E心で聴く学習

どのエクササイズも大変有効で,大人であっても自分や他人のよさを見つめたり,賞賛したりすることができ,満ち足りた気持ちを得ることができた。

その後,班別協議会で教育法規や運営に関する演習についてのグループ別分担などを行った。11月1日までにさまざまな問題について発表原稿を作らなければならない。協議会は,第1回の協議会が遅くまでかかったので,早めに終了。多くの人が明日からの休みを前に,この地を離れた。近県の人はほとんどが車で来ているので,自宅まであっという間で着くのだろう。愛知の3人も帰っていった。従って,ただ一人食堂で淋しく生ビールを2杯飲む。第1宿泊棟の3階には数名が残っているだけだ。明日は,東京へ行こう。

 

1014日(土)

 東京へ行こうと思ったけれど,やっぱり今日はつくばセンターまで行くだけにしよう。朝,洗濯。ここに来るまでは,300人が洗濯をするから,いつも洗濯機が空くのを待っていないといけないかと思ったけれど,まったくそんなことはなかった。いつ行ってもどこか空いている。午後,つくばの町をぶらぶらする。

 

1015日(日)

 午前6時起床。気合を入れて,東京へ。午前7時ちょうどにJR関東バスの教育会館前停留所(教育会館の裏)から土浦駅行きのバスが出る。道すがら感じたことだが,関東平野は本当に広い。バスは旧道を通るので,昔ながらの建物や神社・お寺のある田舎の道を行った。30年ぐらい前は,クリーム色にツバメのマークの入った国鉄バスがこの道を往来したことだろう。ひょっとしたら,ボンネットバスだったかもしれないなどと思いながら,1時間ほどの道のりを楽しんだ。

 土浦駅に着くと,上野行きの常磐線普通列車が待っていた。そのまま,乗車。結構,人が多い。上野まで行って,まず駅前をぶらぶらする。NFLのウェアを扱う「ウェアバンクス」を探すが,どこか分からなかった。以前も探したけれど,闇雲に探してもだめだ。HPをプリントアウトすればよかったと思いながら歩き,仕方がないのでそのまま駅まで戻る。そして,「桂」に持っていく狸の焼き物を浅草で探した。あちらこちら探し回った挙句,新仲見世通りで見つけた。金2520円なり。

 午後秋葉原へ。テキストコンバータを購入。夕方から雨が降り始める。午後8時,愛知県4人の待ち合わせ場所の東京駅高速バスターミナルへ。820分発の「筑波山」行き最終に乗車。940分ごろ到着。風呂へ急行した。

 

1016日(月)

 昨日電話しそびれたが,15日は京都の両親の44回目の結婚記念日だった。夕方,電話をする。母が出た。うれしそうだった。

 休み明けの講義は結構つらいものがある。眠たかった。もう少し,おもしろい講義にしてほしい。夜,1棟3階のフロアでの飲み会。結構楽しかった。

 

1017日(火)

 今日も午前午後ともに,とてもつらい講義だった。研究者というものはやっぱり独善的になりがちか。ひょっとしたら,自分も子供たちから同じように思われているかもしれない。那須甲子の案内が配られた。雨具を豊田から送ってもらうつもり。講義の後,電気屋でインクジェット用の葉書とカラー・白黒インクを購入。自転車であたりをうろつく。

1018日(水)

 明け方,夢を見た。もう20年近く前の懐かしいシーンだった。起きると,700を過ぎていた。窓には,バッタがとまっていた。

 午前中は,学校での進路指導についての講義。小中学校一貫した進路指導が必要であることを熱っぽく話された。ゴールとして高校入試や就職を指導することではなく,人間として自分の人生をどのように考えていけばよいかを考えさせるガイダンスが大切である。かつての偏差値によるデータ重視の割り振りでは,その児童生徒の進学後の人生を保証できるかとも指摘された。こういう専門家の話を聞けることも今回の研修のメリットである。

 昼食後,車いすで講義に向かう女性の先生を見かけた。聞くところによると,昨夕の自由時間にテニスをやっていて,アキレス腱を切ったとのことである。先日の自分以上のけがである。十分注意したい。

 午後は,あの今井通子さんの講義である。目玉として,以前から注目していた。1時間半という時間はやっぱり短い。どうしてこういう人の講義にもう少し時間を割いてくれないのだろうか。最初は,人間が動物として生きる上での生態学的なことを話された。人間が赤ん坊として生まれてから,どのように成長していくのか,脳の発達にも触れながら話された。後半は,自分の山とのかかわりについての話であった。ヨーロッパでの登山やワンダーフォーゲル・ユースホステル運動がどうして起こってきたのかなど,産業革命以後のヨーロッパの歴史と絡めた話がおもしろかった。また,今井先生が子どものころ長野県の蓼科で,別荘暮らしをしながら自然を満喫していたことが興味深かった。最後に,地球環境の悪化と人間への影響について問題提起をされ,話を終わられた。

 

1019日(木)

すでに,午前0時を回ったので正確に言うと,今は20日の未明ということになる。今日は講義はなく,午前午後ともに教育課題演習だった。午前はいじめ問題で,午後から不登校問題について話し合った。事前に配られた事例集をもとに、4名の少人数グループで討論し,その後学習班全体で質疑応答をするというスタイルであった。事例については,いずれも教師の独り善がり,対応の甘さ,子どもたちを十分理解していない姿が記述してあった。自分自身にも気にかかるところである。

研修所内にある食堂2階の軽食喫茶のフロアでは,ちょっとしたつまみが出るので,今日も愛知県の4人で雑談がてら食事と生ビールを飲む。体調が悪いため,舩橋先生と鈴木先生はハンバーグ定食だけ。元気な古田先生と自分は生ビールを飲んだ。そうそう,ここで飲む前,古田先生は講義終了後着替えるとすぐに自転車に乗って,つくばセンターまで片道40分の道のりを往復したそうだ。「筑波大学はすごく広い。」というのが古田先生の弁。

数日前から,喫茶にいるウェイトレスの横内由紀さんが愛知県4人のアイドル的な存在になっている。鈴木先生が気軽に声をかけたのがきっかけだった。本当に,はきはきとしていて,言葉遣いもていねいな子である。甘党の舩橋先生にケーキのおいしい店の地図を描いてくれたり,栗の和菓子のおいしい「栗の渡辺」を紹介してくれたりした。それだけでなく,筑波西武にある「栗の渡辺」まで出かけていって,わざわざ買ってきてくれるとのことである。本当に頭が下がる。大いに感謝!!

夜は,9時ごろからまた1棟のフロアで飲んで情報交換。

1020日(金)

今日は,昼頃から雨が降り始め,夕方には本格的な雨になった。この研修所へ来て初めての雨らしい雨である。今日,あの協栄生命が倒産したことによる,みんなの涙雨?それとも恨み雨?いずれにしても愛知県の教員はほとんどの人が心配で今夜は寝られないという人もいるだろう。

夕方,豊田からの荷物を受け取る。テキストコンバーターが届いた。これで,演習などでいろいろな地域のレポートや模範解答集を変換,コピーができる。また,坂角の「ゆかり」も送ってくれた。これまたいろいろな地区との飲み会に役立ちそうである。

6時から桂へ行く。これで2度目だ。今日行ったのは理由がある。244回の愛知県人会として記念の品の狸を渡して飾ってもらうことである。いつの日にか,あの狸に再会することがあるのかもしれない。

 

1021日(土)

午前中の講義は,総合的な学習について。宇都宮大学の奥井教授の話は,結構おもしろかった。話し慣れているという方が正しいかもしれない。総合的な学習に向けての各地の取り組みなどが取り上げられた。

午後からは,研修所の自転車を借りて「つくばセンター」の方へ行く。片道40分だった。初めに行ったのはNASDA(宇宙開発事業団)だったが,展示室は閑散としていて,興味半減と言うのが実際の気持ちである。NASAのようなイメージを持っていくのが普通だと思うが,全くお役所仕事を連想させるような対応である。まして,土日は食堂や売店は営業していない。これでは,家族連れはいつ行けばよいのだろうか。

続いて,つくばセンター。筑波科学万博からすでに15年が経ってしまっている。筑波のエクスポセンター周辺も,すっかり夢は遠い過去になってしまっていた。ただ一つ,エクスポセンターの前には,H−Uロケットが立っていたのが夢を語っていた。

そのあと,筑波大学のキャンパスを通って,国土地理院の横を通り,研修所へ戻る。回転寿司でサザエを食べた。600円なり。美味!

 

1022日(日)

前夜予約しておいたレンタカーを取りに,自転車で8時過ぎに近くのレンタカー屋に行った。古田先生は東京へ行くので,舩橋先生と鈴木先生との3人での日帰り旅行である。行き先は筑波山と霞ヶ浦。どちらも茨城県を代表する名所。あとは水戸に行けばよいのだが。

筑波山は朝9時過ぎということもあって、人が少ない。一番のケーブルカーで山頂へ行く。まずは,向かって左側の男体山である。あいにくガスがかかっていたので,肌寒い。その上,景色も十分ではなかった。山頂の筑波山神社に参ったあと,反対側の女体山の山頂に登った。この頃になると,人が続々と下から上がってきたので,山頂は結構人があふれていた。

そのあと,ケーブルカーで麓に下り,がまの油を神橋亭という土産物屋で購入。四六のガマを見て,がまの油は山頂の300円のものは子供向けの土産で,600円のものこそ,正規の薬であるとのこと。知らないということは恐ろしい。

午後0時過ぎ,紺色のHONDALOGOは土浦から霞ヶ浦をかすめて、千葉県の佐原氏へ,そして2時ごろ香取神宮に到着した。曇り空ということもあって,観光客はまばら。境内も社殿も趣のあるものだった。神杉が何本も立っていた。

そして,潮来へ向かう。町の様子をさあっと見る予定だったが,十二橋めぐりの客引きのおばさんに呼び止められ,帰りの時間が気になっていたものの,30分コース(1船につき5000円)に乗船することになった。3時過ぎと言うこともあって,こちらも閑古鳥が鳴いていた。シーズンは5・6月で,その頃は柳もきれいだろう。船頭のおじいさんはかなりユニークな人で,いろいろ説明してくれるのだが,何を言っているのかさっぱり分からなかった。下船後,土浦に向けて走り出すと,広大なコスモス畑が現れた。ここまで来た愛知県人はいないだろうなと3人で話す。実際,こんなに広い所は見たことは自分自身もない。

研修所到着後,レンタカーを返しに行き,自転車で戻る。研修所の東にある「麺八」というラーメン屋で餃子とタンメンを食べた。これまた,結構美味。

 

10月23日(月)

昨日の疲れが残っていたため,今朝はジョギングを止めた。洗濯に行ったら,全部ふさがっていた。9時半からの講義に行くが,今日から席がえ。9時前に講堂に入って,いい席をとろうと思ったら,もうふさがっていた。でも,何とか通路側を確保した。こんなふうに始まった今日は何かあると思ったら,やっぱりあった。

それは,午後の講義が終わったところで,講師が退場するや否や発表された主事の中川先生の一言だった。

「昨日,文部省からの緊急の連絡があって,法規演習の問題について,全面差し替えをします。」

というものだった。

 その一言が終わって,中川先生が退場するや否や場内ざわざわ。

これまで演習問題について,学習班で分担して取り組んできたことが崩れてしまうと思った。直後に,緊急の班別協議会を開き,変更部分の分担を行って,なんとかこの場をしのいだという感じだった。これからもひょっとしてこういうことがあるのかもしれない。

 雨は夜更け過ぎに・・・。

 

10月24日(火)

 朝,今日も走らなかった。昨日の夜,1時過ぎまで眠れなかった。今日は一日眠たかった。今日は学習班で,それぞれが持ち寄ったレポートについて意見交換をする第一日目。心配したが結構おもしろく,楽しく90分を過ごすことができた。夜,学習班の飲み会を桂で行った。京都から送ってもらった「八瀬かまぶろ」と豊田から送ってもらった「ゆかり」を桂の女将さんに持って行った。「お孫さんに」と言って渡したら,女将さんがすごく喜んでくれた。10時半過ぎ,ASIA CUPの決勝トーナメント第1戦イラクとの因縁の対決。4−1まではテレビで見た。その後就寝。明日の朝こそ走ろう!!



10月25日(水)

眠い。久しぶりに走った。

忙しくなってきた。明日は,自分のレポートを報告しなければならない。法規演習の準備もすすめなければならない。また,27日28日の那須甲子での館外研修の準備もやらなければ。前山の学習発表会も気になる。

 

10月26日()

朝から忙しい。今日は8時45分から17時15分までみっちり研修。法規演習の準備も何とか間に合った。解答も何とかなりそうだ。分からないところも多々あるけれど,法規に関する文部省の今の見解や解釈こそが重要なのだ。

10時30分からレポートを報告。2番目。前日までに報告の練習は一度もできなかった。他のレポートのコメント票を書くのが精一杯だった。案の定,30秒ほど超過。しかし,テレビ会議システムに関する,班のみんなの反応は結構よかった。今までになく感想や質問が寄せられた。総合的な学習とともに,情報教育の関心もやはり高そうだ。

明日は,7時半には那須甲子に向け,バスにて出発!!

 

10月27日()

6時過ぎに起床。7時40分,バス6台で那須甲子へ出発。那須と言っても栃木県ではない。福島県なのだ。でも,何でわざわざ早朝に起きて,那須甲子まで行かなければならないの?途中,東北自動車道で事故。ベンツとマイクロバスの接触事故のおかげで1時間遅れて,12時半ごろ到着。国立那須甲子少年自然の家は福島県にある。東北自動車道を出て,バスは30分ほど山を登っていった。はるか向こうの谷には,紅葉が見られた。絶景。

自然の家到着後,部屋に入るための通路を通っていくと,すごく長ーい。階段もいやというほどある。そうなのだ。ここは修行道場なのだ。まるで禅僧にでもなったかのような気持ちで午後の研修を迎えた。

 福島県の林業についての講義を聞いたあと,間伐の体験を行った。鈴木さんという人のいいおじさんが間伐作業の手順や機械の使い方を説明してくださった。まずは,下草刈り用の長い鎌の使い方。次は草刈り機、そしてチェーンソー。どれも自分にとっては使ったことのある馴染みのある機械だが,班の多くの先生は経験したことがないようだった。体験が終わる頃から急に山は寒くなった。さっさと山を下りて,すぐに風呂場へ行ったのだが,湯船の中はぬるま湯で,じっとしていられなくてシャワーを浴びると,これまた水に近いお湯。風邪をひきそうだったので,部屋に直行。すぐに着替えて,布団にもぐりこみ,夕食が始まる時間までうたたね。

 夜,尾瀬沼の自然保護などについて講義を聞いた。すごく眠たかった。

 

10月28日()

不思議なもので那須甲子に来たら,つくばの研修所が懐かしい。体もあのベッドに慣れてしまったようで,那須甲子のベッドで一晩寝ただけで,体中が痛い。朝,多くの先生が早起きして,山の中腹まで上がってすばらしい紅葉と,澄んだ空気を楽しんだようだが,私は惰眠を貪っていた。

 「なすかしの森」の食堂は,朝昼夜と全部の食事がバイキング形式である。今朝は「なすかしの森」で焼いているパン。これがすごくうまい。他のメニューが冷凍食品のようなものばかりの中で,この3種類のパンは抜群である。これを売り出したらよいと思うほどである。きっとファンがいるだろう。クロワッサンと胡麻パン,レーズンパンの3種類,このパンだけはもう一度食べてみたい。

 

10月29日()

会津駅前で朝を迎える。しとしとと雨が降る。午前9時ごろから白虎隊で有名な飯盛山へ登る。急な階段を上っていくと,19人の隊士の墓があった。そぼ降る雨にあたかも泣いているようだ。

会津と言えば白虎隊。ここ飯盛山をめざして多くの人が訪れる。次々にやって来るバスから吐き出されるおじいさん,おばあさんたち。会津と磐梯山,猪苗代湖を巡る秋のたびという感じだろうか。

白虎隊士中二番隊の自刃の場所は,階段を上って右手奥にある。はるか鶴ヶ城を望む高台の共同墓地の中に戊辰戦争の一大悲劇の場があった。自刃以後,明治政府の意向で7ヶ月も遺体は野ざらしにされたと言う。

 

10月30日(月)

いよいよ今週で後半に入る。今日,学級のみんなから励ましの手紙をもらった。伊藤先生の手紙もうれしかった。そんな中で「ちーちゃん」から葉書も届いた。感激だ!「風邪をひかないように」と添えられた文面に一人喜んでいた。また,夜には彼女から携帯電話から送ったと思われるメールも届いた。早速返事を送ったが,届いているか心配だ。植田先生からも手紙があり,学習発表会が無事終わったことを知った。子どもたちが来てほしい旨の文面を読んだあとだったので,行きたかったのだが…。

 

10月31日(火)

もうすぐ連休だ!

周りはみんな家に帰るようだ。

でも,自分は帰らない。

でも,心が揺らぐ。

 

11月1日(水)

ついに11月。誕生日はここ研修所で迎えることになる。今日は午後オペラを聞く。やっぱり本物はすばらしい。藤原歌劇団の家田紀子さんとピアニスト金井紀子さん。家田さんは,そのまま楽器である。肉体を極度に鍛え上げた本物である。オペラもカンツォーネに聞き入ってしまった。金井さんの手によるショパンの幻想即興曲も卓抜である。

夜,フロア会。すごく楽しい一時を過ごした。風呂に初めて入らなかった。

 

11月2日(木)

 今日が終われば,3連休。休みの前には,講義室西側の廊下に外泊申請の用紙が置かれる。近県の人はもちろん,結構遠くの人も帰るようだ。聞いたところでは,沖縄の人も帰るらしい。大変だ!!

 夜,桂の近くの大衆食堂に行く。わかさぎフライ定食を注文。1700円で生ビール2杯も飲み,食事もできた。フロアはほとんど帰って,数人だけが残った。

 

11月3日(金)

朝6時半起床。8時01分大穂支所発の東京駅行き高速バスに乗った。日本橋口までの結構快適なバス旅だった。東京に入る手前ぐらいから渋滞が始まり,予定より30分遅れの10時15分頃に到着した。到着直前驚いたことに,憎きGIANTSの日本一を祝うパレードが駅の近くを通ることを知った。乗り気ではなかったが,長島監督だけを見たいと思って,中央通りまで足を進めた。周囲にはG党が足早に道路に向かう姿。しばらくして,3台ほどの車(トラック)に乗ったGの面々が目の前をあっという間に通り過ぎていった。

長島監督は逆サイドに乗っていたため,見られなかった。工藤・清原・仁志・高橋・元木らをデジカメで撮った。

 午後はJRで埼玉県の「さいたま新都心」まで行き,ジョンレノンミュージアムに入った。曇り空ではあったが,まだ開館して間がないので,多くの人々が来ていた。食事をミュージアムに併設されたカフェでとる。レノンゆかりの軽井沢の万平ホテルが経営するレストランで,食器にはレノンが描いた自画像がプリントされていた。展示室には,自由には入れない。はじめに7分ばかりのレノンの生い立ちをまとめたビデオを見るためだ。うまく構成されていた。最後は1980年12月8日だ。バックには,A DAY IN THE LIFEが流れ,その瞬間音が高まり,そしてしばらくの沈黙。演出の妙を感じた。その後,生い立ちから成人,アイドルからアーティストへの変貌,ヨーコとの出会い,苦悩,そして我が子ショーンを育てる主夫の時代。そして…。食事の時間も含め,3時間近くが経っていた。心地よい疲れだった。

夜は,銀座に戻り,銀座ライオンでビールを楽しんだ。美酒。

 

11月4日(土)

 鎌倉行き。北鎌倉まで行って円覚寺へ。3日から5日まで特別拝観で,舎利殿を見ることができた。9時半に入ったからすごく空いていた。宝物展も見たが,羅漢さんの絵ばかりで収穫はほとんどなかった。建長寺から鶴岡八幡宮,そして銭洗弁財天へ。一生懸命,1万円札を洗った。さて,1万円札は増えるだろうか。お願いします!弁天様!!

 その後,大仏と回る。大仏は予想した以上に小さかった。でも,与謝野晶子ではないが,ひきつけるものはある。胎内にも入った。20円なり。

 その後,長谷駅から江ノ電に乗って藤沢へ,そこから小田急の特急で新宿まで出,浅草でてんぷらを食すなり。まあまあのお味なり。

 

11月5日(日)

 今日は遅く起きたので,日が高くなってから,東京をぶらぶらした。最初に行ったのは,サントリー美術館。ピカソやルオー,そして歌川広重にも出会った。

 その後,重い荷物を持って東京駅へ。荷物を預けようと思ったら,なんとコインロッカーはどこも満杯!恐るべし3連休!!ふと見ると東京駅の赤帽さんの部屋に「荷物預かります」の札。ピンポーン!頭の上に電球がついた!

 その足で上野へ行こうと思って,山手線に乗ると,原宿へ。我ながら自分の行動にはびっくりする。原宿には,人があふれていた。イタ飯を食べて帰る。

 

11月6日(月)

法規演習開始!どんな風に進むかと緊張していたが,心配は徒労だった。

 

11月7日(火)

法規演習2日目!文部省から来たのは,大西という若い女性。大学を出て3年目頃だという話。すごい人だ。

 

11月8日(水)

法規演習最終日!3日間来たどの講師も官僚なのだ。今日の南という講師は「そもそも公務員というものはどうあるべきかを考えてみてください」というそもそも論ですべてを片付けた。自分とは住む世界が違う人だと痛感した。

 

11月9日(木)

 朝から法規演習の7と8を行う。それぞれ1時間で教育法規の問題に答えるのだ。問題は予想通りだったが,なにぶん時間が足りなかった。2問だけ論述できなかった。

 

11月10日(金)

 朝六時起床。東京での館外研修。歌舞伎を見るのだ。生まれて初めての経験はうれしいものだ。

 9時半前に歌舞伎座前に到着。その足で築地の市場へ。最初は見学だけのつもりが,大阪の村上先生と共に,マグロ丼を求めてさまようことになった。その挙句たどり着いたところには,どこかで見た顔ばかり。そう言えばすれ違うのも背広を着た研修生ばかりだった。恐るべし,研修生。その飽くなき食欲に脱帽!イクラ・ウニ・マグロの三種類丼を食べた。900円とは安い!

 

11月11日(土)

こんだけ,毎週のように東京に来ていると,さながら東京に住んでいるようだ。今日は,上野の国立博物館で中国国宝展を見てきた。ずっと見たかったその人に初めて出会うことができた。それは,始皇帝の兵馬傭だ。圧巻だった。1300円で見られるとは思わなかった。来てよかった。

その後,上野の居酒屋で活きのいい刺身とイカ焼きで生ビール3杯!その後,渋谷へ移動して,NHKへ。数年ぶりに行ったので,だいぶ変わっていた。そして,今日も映画「スペースカウボーイ」を見る。昨晩見た「U−517」の方が人間臭くていい。クリント・イーストウッド,ドナルド・サザーランド,トミー・リー・ジョーンズと共に,老いたジェームズ・ガーナ−と出会った。「大脱走」の颯爽とした空軍士官姿やテレビ朝日系でやっていたTV映画「ロックフォード氏の事件メモ」のどこか憎めないキャラクターの延長の姿がそこにはあった。「スペースカウボーイ」でのタンクという名前は,多分彼が主演した映画「Mr.TANK」から来ているのだろう。実の子供の名誉のためにUS.ARMYの州軍からシャーマン戦車を盗んで,見事疑惑を晴らすという,すごくアメリカ的な映画だった。かく言う自分自身のアメリカ映画との出会いは,子供の頃に観たディズニー映画なのだが,最も影響を受けたのは,1968年名古屋で父親と観た「BLITT」なのだ。当時の父親は今の自分よりも若かった。自分が初めて意識した俳優は紛れもなくSteveMcqueenだ。

研修所に帰宅したのは,10時前。急いで風呂に入った。まだ,フロアのみんなはあまり帰ってきていなかった。

 

11月12日(日)

いよいよ42歳とも今日でお別れ。背番号42と同じ歳はこれでおしまい。

今日は,一日研修所にいる。こんなことはこの1ヶ月で初めてのことだ。朝から曇り。午後にになって少し陽が差してきた。独身時代の戻ったような昼下がりを味わっている。1時から「日曜喫茶室」を聞く。NHKFMが結構好きなんだよね。空は少し曇っているけれど。そう言えば,豊田に来た頃はまだテレビがなくて,毎日FMを聞いていたなあ。

マクドナルドで今ビッグマックセットを買ってきた。久しぶり!少し,ポテトは塩辛いけれど,2本買って飲んでいる黒ラベルにはちょうどいいかも。もうすぐこの「独身生活」ともお別れ。なんとなく淋しくなってきた。こういう昼下がり。至福のとき。

6時半から長崎の上野先生と桂で飲んだ。彼の純粋さに引かれる。離島に勤務してこそわかる子供たちの輝きを彼は毎日感じているようだ。自分が出てしまった東広瀬の子供たちに通ずるものがある。話の中で,長崎大学で社会科の日本史を学んだことを知った。中世史を学んだことも引き合うものだったのかもしれない。歴史のことを熱く語れる仲間だ。終生の友になってほしいと思った。あと,せいぜい飲めるのも1回だ。毎年みんなと会いたい。そう思うのは自分だけだろうか。

今,午後11時10分。ラジオで聞いているNHK総合テレビでは今日も「新アジア発見」のテーマ曲が流れ始めた。思えば,筑波に来てから何度この曲をPanasonicのラジオから聴いたことか。それも今日が最後かと思うと淋しい。

 

11月13日(月)

43歳の朝。だれも祝ってくれるはずはない。いよいよ大詰である。演習などで疲れて部屋に戻って,しばらくするとフロアの飲み会。筑波大学の近くの店までタクシーで行く。鍋物だった。フロアの全員がそろっての飲み会はこれが最後である。みんな笑い,飲み,また笑った。誰に気を使うでもなく,こんなに楽しく酒を飲むことのできる幸せを喜ぶ。いい43歳のスタートだ。

11月14日(火)

 障害者の施設「こころみ学園」園長の川田 昇さんの講演「障害者40年ともに歩いて」があった。人の数倍も数十倍も苦労しているのに,こともなげにさらりと話をされる。話しなれているせいか,無駄がない。氏もやはり戦争という原罪を背負っておられた。思わず,涙が出た。会場のあちらでもこちらでもハンカチを取り出している姿が見られた。教育とは何かを改めて考えずにはいられなかった。講演の最後に「こころみ学園」で造られたワインを試飲させていただいた。九州沖縄サミットで各国首脳に振舞われたものである。こんなにもワインをおいしいと思ったことはこれが初めてである。

 午後の講演で工学院大学教授の三浦宏文先生の「ロボットと私」と題する話も興味深いものであった。夜,最後の夜を受講生全員で迎えた。小2Aのみんなの結束を感じた。今年の夏の第1回の同窓会は愛知県でやりますと立候補してしまった。我ながら変な奴である。

 悲しいことに,宴終了後,受講生2名が交通事故に遭い,重傷を負った。聞くところでは,信号が青になって横断歩道を渡っていたところへ,暴走車が突っ込み次々と跳ね飛ばしたとのことである。若い女の子で,免許を取って日が浅いのに,携帯電話をしながらの運転だったそうで,言語道断である。青森から来ている

受講生の女の先生は,骨盤を骨折し,数ヶ月の入院になってしまった。明日で筑波を離れるという日に起こった事件である。

 

11月15日(水)

 最終日。朝から片付けでフロアがあわただしい。最終の荷物も片付け,プラザから発送した。予定よりも個数が増えてしまった。NHKの「オードリー」を見た。続々と人が集まってフロアの全員で見ることになった。これもまたよき思い出か。

 閉講式。修了証授与などさながら卒業式の様相。ここでも涙涙である。デジカメで周囲の様子を撮影。いよいよバスへ。夏の再開を誓い合って乗車。あの顔もこの顔も日本中に散っていく。

 東京駅までの道のりはやっぱり大渋滞であった。「ひかり」に飛び乗り,愛知へ,名古屋へ,豊田へ。

 県庁に行き,義務教育課へのあいさつと報告書の提出を済ませた。1ヶ月以上も離れていたせいか,見るものがどれも新鮮だった。豊田市駅に着くと未央と芽衣が改札口の前で待っていた。ありがとう。