1月21日 |
ジョージ,サリー州のエプソム登記所で,パティーと結婚する。外電は,この結婚は熱狂的なファンを不幸のどん底に落とし,おろおろ泣きわめく女学生たちで授業もろくにできなかったハイ・スクールが多かったと報じた。
★プラジルで「アルゼンチン・ビートルズ」と称する4人組の若者が袋だたきにあう。4人は本物のビートルズの名前をスベイン語風に変えて,パプリート,ホアニート,ヘオルヒート,リンギロと名のり,プラジル各地を巡業して回った。各地で本物に劣らぬ熱狂的歓迎を受けたが,最後の巡業地ウーベルランディア市で彼らがアルゼンチン人とはいつわりで,実はプラジル人だというのがばれてしまった。怒ったファンから看板のモジャモジャ頭を刈り取られ,公園の噴水にたたき込まれ,やむなく解散するはめになった。
★パリのグバビン・ロウ人形館に,ビートルズのロウ人形か陳列される。
★’65年9月に購入し,’66年2月に引越す予定だったセント・ジョンズ・ウッドのポールの家,火事を起こす。損害は少なかった。 |
2月4日 |
ジョージとパティー,エプスタイン,ロンドンのウエスト・エンド区にあるガーリッグ・シアターで,映画、リトル・マルコム・アンド・ヒズ・ストラグル・アゲインスト・ザ・ジューナック」を見る。 |
2月8日 |
ジョージとパティー,バルパドス島のサンチィー・レーン海岸に,新婚旅行にでかける(2月25日帰国)。 |
3月1日 |
’65年8月のアメリカ公演録画フィルム「ビートルズ・アット・シェア・スタジアム」,BBCテレビより放映される。 |
3月3日 |
「ニュー・ミュージカル・エキスプレス」,ビ‐トルズが夏に来日すると報じる。 |
3月4日 |
コンパクト「YESTERDAY」発売される。 |
3月15日 |
日本のレコード業界視察のために来日したイギリスのEMI会長ジョセフ・F・ロックウッド卿,羽田空港での記者会見でビートルズ来日説を肯定し「4カ月前にビートルズの面々に会った時,8月に訪日すると聞いた。日程など詳細はまだ正式に決定していないので知らないが,他の仕事で日本公演がキャンセルされることはないと思う。世界大戦争でも始まらない限り,ビートルズの日本公演実現は確実である」と語る。
★ジョン,元ロンドン・イプニング・スタンダード誌レポーター,モーリン・グリープスとのインタビューで「ビートルズは今や,キリストよりも有名である」と語る。
★ジョンとシンシア,リンゴとモーリン,西インド諸島にある英領トバゴに,9日間の休暇旅行に出かけ,エリック・ウィリアムス総理大臣の歓迎を受ける。 |
4月9日 |
「ヒ∃ウタンからコマがでそう」といわれているのがビートルズの来日。マネージャーが,イギりスの週刊誌記者に「日本へ行きたい」と語ったことから火かついて6月来日説,8月来日説,10月末日説,一方では「ただのPRさ」というさまざまなウワサが乱れとんでいたが,最近になって,6月末来日か濃厚になってきた。世界一忙しく,高価なタレントだけに,どうなるかはわからないが,来日するとなれば,カラヤン以上の話題になるだろう。(毎日新聞夕刊) |
4月14日 |
〔大阪〕音楽ファンのあいだで話題となっていた、「ビートルズ」一行の来日スケジュールか決まった。一行が映画撮影の余暇を利用して東南アジア,ハワイヘ旅行する途中,日本へ立ち寄るもので,日本では中部日本放送と協同企画が協同主催する。主催者から大蔵省に申請している外貨(8万ドルといわれる)の許可がおりればビートルズー行は6月28日来日30日,7月1,2日の3回東京の日本武道館で公演を行なう。(毎日新聞夕刊) |
5月1日 |
恒列のウェンプレイ,エンパイア・プールでの「ニュー・ミュージカル・エキスプレス誌」人気投票入賞者コンサートに出演する。演奏曲自は「恋におちたら」「一人ぼっちのあいつ」「デイ・トリッパー」「恋をするなら」「アイム・ダウン」ローリング・ストーンズ,スモール・フェイセス・シンカ一ズ,ダスティー・スプリングフィールドも出演。 |
5月3日 |
日本公演日程決まる。 |
5月17日 |
日本武道館での日本初公演の入場券抽選が行なわれる。3日問の入場者は合わせて3万人が限度だが,さすかに「ザ・ビートルズ」の人気は圧倒的で,全国から集まった申し込みはなんと20万8850枚。 |
5月20日 |
AP電「ビートルズは羽田空港に降りられず,チャーター・ヘリコプターで立川,あるいは大阪か名古屋に降りることまで考えており,混乱の中にビートルズを巻き込まないため,来日予定日(28日)を変更するかもしれない。 |
5月25日 |
日本武道館,ビートルズ公演を認可する。 |
5月29日 |
TBSテレビの対談番組「時事放談」で,レギュラー出演者の政治評論家,細川隆元と小汀利得が,ビートルズの武道館使用間題にふれ,「こじき芸人に武道館など使わせてたまるか」と発言。全国のビートルズ・ファンから抗議の電話や手紙が殺到した。 |
6月5日 |
CBSテレビ「エド・サリヴァンショウ」で,5月20日EMIスタジオで収録したフィルムを放映する。再ぴ「時事放談」でビートルズ間題をとりあげ,「夢の島でやればいいんだ」「こじき芸人だ」「フランスには入国できないそうじゃないか」などと毒舌をはく。特に「ビートルズがこしき芸人なのは,さわいでいる気違い少女どもをみれば一目瞭然。なんでも,武道館から飛ぴ降りる練習をして
いるというじゃないか」という発言がファンを刺激し,先週にも増して放送局に抗議の手紙が殺到し,「オレは右翼だが,ビートルズはわかる」という電話もかかってきた。 |
6月10日 |
シングル「PAPERBACK WRlTER / RAlN」発売される。夜11時ごろ,東京・銀座の鳩居堂の前に4人,日本楽器の前に3人と切符を求めるファン達が集まった。鳩居堂前の女子高校生たちは,毛布にくるまりそれぞれ教科書と辞書をひろげて勉強しながらの待機だったが,カメラを向けるといっせいに「イャッ!」「両親の許可はとってあるわ。ビートルズって,全部がステキ」という。そばの交番のおまわりさんが「1度親ごさんが迎えにきたんですがね。帰りなさいといえば『オトナは嫌い!』といわれるもので・・・・・」と苦笑していた。 |
6月12日 |
ABCテレビ「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」に出演する。 |
6月15日 |
イギリスのサンダーランドで,ビートルズに会いたいはかりに自分を箱につめて,鉄道荷物としてビートルズのもとに送ろうとした12才のキャロル・ドライデンという少女が,窒息寸前て助かる。キャロルは毎週もらう6シリング(約300円)の小遣いをためて,自分がはいれるぐらいの大きな箱を買い,友だちがこれを荷物受け付け所で,運賃3ポンド(3000円)を支払って「ロンドンのビートルズ・ファン・クラプ気付けビートルズ様」で出したが,係員が数分後に箱が動くのに気かついて助かったもの。母親によるとキャロルは熱烈なビートルズ・ファン。「空気や食物がいるとは考えたこともなかったわ」というのが助かったときの弁で,箱の中は相当苦しかったらしい。長い期問かかってためた3ボンドなので,係員たちも金を集めて少女に与えた。 |
6月16日 |
BBCテレビ「トップ・オプ・ザ・ポッブス」に出演。「ペイパーバック・ライ夕一」と「レイン」のプロモーション・フィルムを放映。この番組に出演したのは、’65年4月15日以来久しぶりだったため,ファンは新聞の出演予告を信用せず,ロンドンのシェパード・ブッシュにあるBBCスタジオに来たフアンはたったの6人。 |
6月19日 |
警視庁少年課は19日正午ごろ,大阪から家出して来たビ一トルズ・ファンの少年2人を東京駅八重州口で保護した。大阪市生野区の工買A(16)と無職B(16)で調べによるとAはビートルズの熱狂的なファン。30日から始まる日本公演の切符が手にはいらなかったが,東京に行けば顔だけでも見られると思い,勤め先をやめ失業中のBを誘い上京した。Aは「東京で就職先を捜すつもりだった」といっている。(6月20日付毎日新聞夕刊)「たかが4人の歌うたいのために・・・・・」と,しぶい顔をしながら警視庁はビートルズ対策会議を開く。「安保」「日韓」を除いては,警視庁設創以来といわれる大規模な「ビートルズ作戦」を練り,総合警備本部を28日に発足させること
に決めた。 |
6月20日 |
TBSテレビ「話題をつく」で,「時事放談」のビートルズ論争の結着をつけようと「ザ・ビートルズにケチをつけないで」という題で,細川隆元、小汀利得対ビートルズ・ファンが大論争を展開。話題をまく。警視庁は,暴走ファンの早期補導を主目的に午前9時から午後5時まで,少年補導を行ない,非行少年683入を補導する。 |
6月23日 |
ドイツ公演に向けて出発する。 |
6月25日 |
ビートルズからメッセージ届く。「われわれは日本が大好きですし,公演ができることをまことにうれしく思っています。ファンの1人1人の方にお目にかかりたいほどですが,時間的な余裕もなく,公演の時だけしか接することができないのが残念です。われわれも音楽的な成長をしたと自信をもっています。歓迎をしていただくのはうれしいのですが,どうか節度をもって静かに聞いていただきたいと思います。それを心から期待しております」。(6月26日付読売新聞朝刊) |
6月27日 |
ドイツ公演を終え,日航機で日本に向けて出発。ハンプルグ空捲には,大雨をついて数百人のファンが押しかけ,厳重な警官隊の目を盗んで滑走路に飛ぴ出す若者もいた。 |
6月28日 |
台風4号の影響で来日遅れる。はげしい風雨が羽田を見舞っていた28日午後10時過ぎ,翌朝4時に到着予定のザ・ビートルズに備えて警視庁と空港に向かうタクシーをかたっばしから止め,29日午前2時過ぎまでにファンとおぼしき約250人にお引きとりを願った。(毎日新聞朝刊) |
6月29日 |
午前3時50分,羽田着の日航機で来日する。ヒルトン・ホテルで記者会見。 |
7月1日 |
日本テレビ,日本公演を放映する。 |
7月3日 |
日本を離れてマニラに向う。 |
7月4日 |
フィリビンで,マルコス大統領夫人に昼食に招待されながら,すっぽかす。 |
7月5日 |
フィリビンの新聞,ラジオが,ビートルズのすっぽかし事件を,一斉に報じる。警察はビートルズ護衛隊を全員引き揚げ,税務署は「フィリビンにおける所得申告をしないと拘留する」と通告。このためビートルズは,飛行機の出る1時間前にやっと税金間題を片付け,ホテルから窒港にフル・スビードでかけつけたが,パトカーは1台ついただけだった。そのうえ,空港長の「一切特別扱いを許さぬ」との方針で,一般旅客並みに出国手続きをしているうち,険悪なフィリビン人群衆に取り囲まれ,さんざんやじられ,つき飛ばざれ,こづきまわされた。マルコス大統領夫妻は,夜「ビートルズに大統領夫人や,フィリビン政府を軽べつするつもりはなかった。空港ての事件は遣憾である」むねを発表。一方,フィリビン駐在イギリス大使,ビートルズが大統領夫人の昼食会の約束を守らなかったことをあやまる声明を出した。 |
7月5日 |
夜のニューデリーに着き,ファンの大歓迎を受ける。 |
7月7日 |
エプスタイン,ロンドン事務所を通じ「われわれがマニラ空港の特別警備にあたっていたものから,動物のように扱われて,けられたり,なぐられたり,つき飛ばされたというのは本当だ。マルコス,フィリビン大統領から昼食会の招待は受けていない。すべてのトラプルはプロモーターのせいで,ロンドンに帰りしだい弁護士に相談するつもりだ」との声明を発表する。フィリビンのマニラ北方72キロにあるアンジェルス市の市会議員3人が,ビートルズのすっぽかし事件の報復手段として,同市のジューク・ポックスやナイト・クラプからビートルズの音楽をしめ出すよう,動議を提出する。 |
7月8日 |
東ドイツ,日本,フィリピンの演奏旅行を終え,ロンドンに戻る。ロンドン空港には少女ファン約200人かつめかけ,傷心の「英雄」たちを慰める。コンパクト「N0WHERE MAN」発売される。 |
7月11日 |
マニラ公演を主催した興行会社,カバルケイド・プロモーションが破産する。同社のラファエル・コラレス総支配人は記者会見で「いま会社を清算中だ。どれだけ損をしたかわからない」と語った。 |
7月23日 |
経営不振で店をしめていたキャヴァン・クラプ,新店主の下で開店する。数百人のティーン・エイジャーでごった返す開店披露パーティーにウィルソン首相も姿をみせ「かた苦しいと定評のあるイギリス人だがそうでない。ボビュラー・ソングも一流だということを世界にみせてやろう」と気炎をあげた。★インドネシアで,スカルノ体制ゆさぶりの先頭を切る戦闘的な学生行動戦線(KAMl)と高校生行動戦線(KAPPI)が,ジャカルタで「ピートルズ族」退治に乗り出す。おかっば頭の若ものたち約200人(女もまじる)が,町の真中でつかまえられ公衆の面前で片っばしから「ビートルズ・カット」を「ユル・プリンナ一・カット(丸坊主)」に変えられてしまった。「アンペラ(人民の悩める声)」の時代にビートルズ的な「lいかれた」若ものの存在は許せないということらしい。 |
8月4日 |
エプスタイン,4回目のアメリカ公演を前に,キリスト事件でアメリカ国内で盛リ上がったビ一トルズ排撃運動の広がりを押えるため,アメリカに飛ぶ。 |
8月5日 |
アルバム「REVOLVER」発売される。 |
8月8日 |
シングル「ELEAN0R RlGBY / YELL0W SUBMARlNE」発売される。 |
8月11日 |
アメリカ公演に向けて,ロンドンのヒースロウ空港を飛ぴ立つ。数干人のファンが見送るが,出発を前にして,キリスト舌下事件を巻き起こしたジョンは,「事の成り行きがどうなるのか心配だが,この旅行に関しては心配してない」と語る。 |
8月12日 |
ジョン,シカゴのアストー・タワーホテルでの記者会見で・キリスト発言間題にふれ,「別に反宗教的なつもりでいったわけではないが,キリスト教に対してとった態度は悪かった」とあやまる。しかし「僕にとってキり入ト教は,何となくしりごみされるものがある」と語る。 |
8月13日 |
バチカン機関紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」レノンはシカゴで,自分のいった意味はキリスト教がいまや往年のような影響力を持っていないということだったと語っているが,これは根拠がないわけではない。ビートルズは悩んでおり,後悔している。この事件は終わった。 |
8月14日 |
AP電,「僕は近くジェーン・アッシャーと結婚するつもりだ」とのポールの談話を報道する。 |
8月31日 |
アメリカ公演を終えて,ロンドンに戻る。出迎えたファンは250人。アメリカ滞在中,ボールの結婚が近いとの報道があったため,新聞記者達がロビーで真偽のはどを確かめようと質問するとポールは、「ノー・ノー」というたげで言葉を濁した。
★ジ∃ンのキリスト発言に関連して,アメりカ南部で10以上の放送局がビートルズのレコードをしめ出す。オランダのアムステルダムにあるプロテスタント系にあるNCRV放送局,スペインのロルカとカルタジェナにある地方放送局でも,ビ‐トルズのレコードの放送をやめた。ジョンの言葉は「神を恐れぬ不謹慎しごくなもの」というのがその埋由。
★ビートルズ音楽しめ出しの動きに心を痛めた2人のアメリカの少女が,イギリス新聞「デイリー・テレビグラフ」に広告を出す。アメリカでは,ジョン・レノンの言葉が原因で10以上の放送局がビートルズのレコードを追放してしまった。私たちはビートルズのレコードが再ぴ放送されるよう願っています。どうぞキりストさま,私たちを助けてください。私たちもまたビートルズか大好きなのです。 |
9月3日 |
ジョン,映画、「ハウ・アイ・ウォン・ザ・ウォー」の撮影のため,シンシア,ジュリアン,二一ルを伴ってドイツに行く。 |
9月6日 |
ジョン,映画、、「ハウ・アイ・ウォン・ザ・ウォー」に兵隊の役で出演するために,ドイツのルネバーグ・ヒ一スで髪の毛を切る。 |
9月13日 |
ポールとリンゴ,「メロディー・メーカー」主催の受賞者表彰式に出席する。 |
9月15日 |
ジョン,二一ルを伴ってハンプルグから汽車でパりに行く。パリでポールと会うことになっていたが,会えなかった。 |
9月18日 |
ジョン,フランスからスベインに渡る。
★ポール,スコットランドに200工一カーの農場を購入する。
★「メロディー・メーカー」人気投票のグループ部門で1位。2位はビーチ・ボーイズ。
★ポール,リンゴ,エプスタイン,ジェーン,マイク・マクガイア,ビートルズ第3作目の主演映画の脚本担当が予定されている,オーエン・ホルダーの脚本による映画「ア・ファ二一・シングス・ハプンド・オン・ザ・ウェイ・トウ・ザ・フォーラム」を観に行く。
★「ビートルズ旋風」巻き起こるアメリカで,ビートルズを苦々しく思っていた5人の鉄鋼労働者が,頭をつるつるにそり,ビートルズとビートルズ・スタイルの髪に抗議する。 |
10月1日 |
ジョージ,パティーを伴っで,シ夕一ルの修行にインドのボンベイに行き,ラヴィ・シャンカールから1日7時問にもおよぷ指導を受ける。宿泊ホテルはタジ・マハール。インド滞在中ジョージは車を運転していて牛と衝実するが,ジョージ,牛とも無事。 |
10月4日 |
リンゴとモーリン,南スペインのマラガに2週間の休暇旅行にでかiナる。生後約1年のザックは留守番。 |
10月5日 |
リンゴ,スペインのロケ地にジョンを尋ねる。 |
10月25日 |
ジョージ,BBCテレビの招きでロンドンに到着したラヴィ・シャンカールをヒースロウ空港に迎える。空港ロビーでの記者会見で彼は「ジョージのシタールば着実に進歩している」と語る。
★現代の生活様式を後世の人々に実物で伝えるための保存容器「タイム・カプセル」の埋蔵式が,ハンフリー副大続領を迎えて,マサチューセッツ州ウェスターで行なわれ,カプセルの中にビートルズのレコードが入れられる。ほかには聖書,ケネディ前大統領の就任演説や’62年に議会に送った特別教書,グレン飛行士が’62年宇宙飛行の際地上と交信したテープ,ミニスカート,バットマンのマンガ本など盛りたくさん。カプセルは長さ3・5メ一トル,直径40センチ,重さ150キロのロケット型の容器で,500年後の2466年まであけられない。 |
11月4日 |
ジョニー・ティロットソン公演に来ていた,埼玉県川口市の会社員,佐藤栄さんに抽選で,ビートルズが日本公演で乗りまわしたキャデラック・リムジンが当たる。 |
11月7日 |
ジョン,アルメニアでのロケーションを終え,ロンドンに戻る。 |
11月8日 |
エプスタイン、ビートルズ解散のウワサに答え「まだ決まったわけではないが、ビートルズの、将来について4人のメンバ一と早急に会議するつもりだ」と語る。彼のコメントか流れると,多くのビートルズ・ファンがロンドンのエプスタイン邸を取りまき,「解散反対」のデモを行なった。 |
11月11日 |
ジョン,ビートルズ解散のウワサについて「ビートルズは解散しない。われわれはこれからも4つのモップ・トップスであるべきだ。別れ別れになるつもりはない。これからも一緒にレコードの吹き込みを続ける」と語る。解散については「4人ともそれぞれ独自の利害関係があるため,そうしたウワサかとぴ出したのだろう」と答える。 |
11月27日 |
ジョン、BBC第2テレビ「ノット・オンリ一・バット・オールソー」にゲスト出演し,ソーホーのバーウィック通りの近くの公衆トイレで録画フィルムを撮る(12月27日放映)。 |
12月25日 |
アルバム「A BEATLES’ C0LLECTl0N OF OLDlES」発売される。
★イタリアで「ヨ一ロッパ大陸にビートルズ調がはぴこっているのは,歌の国の伝続を継ぐイタリアとして,黙っているわけにはいかない。アングロサクソン調は,大陸から締め出すべきだ」という声が高まる。 |