いたいけな瞳  吉野 朔実

でも
もしもは いつも
もしものままで

いつか
忘れて
しまうんだ

淡い

気分だけ残して



全8巻31話の短編集。
それぞれの話ごとにテーマはあるけれど、多くの話に共通しているのはいづれも逸脱の物語だということ。
現実からの逸脱、常識からの逸脱、自己の価値観からの逸脱、等々。

起こしたらおこるだろうか
あの日 ぼくが君に起こされたように
君を起こしてしまおうか

ぼくはいつも
美しい静寂を夢見ていた
生命絶えた至福の星 地球

パーフェクト・ワールド
完全な世界

だから たぶん
ぼくは君を待っていたんだ

アンダー・ザ・ネーム・オブ・ラブ
愛の名のもとに
世界は壊れる

君のために
ぼくのために

地球は回る

     第3話「愛の名のもとに」より

この3話だけでなくすべての話に出てくる登場人物たちは「美しい静寂」を精神の内にを持っている。その美しさは僕を魅了してやまない。
しかし、夢というもの、憧れというものは、現実ではないからこそ「完全な世界」たり得る。

物語は、「完全な世界」のために現実から逸脱する様を描き出す。 その構成は実に見事。すっと自然に、いつの間にか別の世界へといってしまっている。

読んでいる間はもちろん僕も現実から逸脱している(というより逃避か)。
僕は弱い精神しか持ち合わせていないので、常識を信じて、常識にすがって暮らしている。 だけど「常識」を知っているだけで常識にしてる訳じゃない。 だから、登場人物たちの「完全な世界」を受け入れることもできるし、逸脱の心理も身近なものに感じられる。
彼らの意識の下に築かれてゆく、いつもとは何かがちがう世界の中へ。その逸脱は僕に浮遊感を与える。

結末は様々。現実の中に新たな「完全な世界」を見出したり、現実を「完全な世界」へと引き寄せたり、 死をもって「完全な世界」に殉じたり。
物語の終わらせ方は、うまいなあ、と思う。 後に余韻を残す終わり方をするのだ。もちろん、一つの話としての結末は付けているけれども、 それまでの時の流れ、こころの流れを無理にまとめあげず、その後の物語を読者に予感させつつ終わる。 そこから先は読者一人一人の物語。

1話1話の完成度は非常に高い。これだけのものを31作もよく作り上げたものだと感心しつつ、 こんなに惜しげもなくネタを使ってしまって大丈夫だろうかなどと思ったり。
実際、吉野朔実は「少年は荒野をめざす」「ジュリエットの卵」「ECCENTRICS」と長編を描いているけれども、 そのエッセンスはすべて「いたいけな瞳」の中に見ることが出来る。 そして短編である分、濃縮され、洗練されているといえる。
ともかく、こんな高濃度の作品集を世に送り出してくれたことには、本当に感謝したい。 ありがたや、ありがたや。

とりあえず、ベスト5(収録順)

いや、ホントにとりあえずって事で選んでみましたけど、他の作品も甲乙付けがたい良品ばっかです。 特に8巻なんて4話ともすごく好き。


いたいけな瞳 全8巻/吉野 朔実
集英社/ぶ〜けコミックワイド版


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